九話 勇者はまた死んでしまった
狼の鼻が利くなんてことは簡単に予想できることであり、だからこそミレイは風下の岩場を選んで隠れていた。
きっちり荷物も回収して退避しているので彼女は咄嗟の対応としては充分なことをしたと言える…………そして今も、一度殺された相手を前にして恐怖を押し殺しじっと耐えていた。
「シラネ、あの狼の情報は確認できたりする?」
なにかせめてサポートできることはと夏樹は考え、思いついて尋ねる。机上に表示されている異世界の物に触れればその詳細が表示されることは説明されている…………では敵であるあの茨狼はどうなのか。
「可能なのですよ…………と、言っても現状ではそれほど高い精度ではないのです。わかるのは表面的な情報がほとんどとなるのですよ」
勇者を中継して情報を得ている現状ではその精度は勇者の能力に比例するのだとシラネは説明した。
その仕組みを簡単に説明するなら魔力によるソナーらしい。異世界の人間なら誰でも持っている魔法などの超常の現状を引き起こす源となる魔力…………それが勇者を中心にソナーのように放射されて情報を解析しているのだと。
勇者の力の弱い現状では物体の表面をなぞる程度のことしかできないが、力が強くなればその奥底まで浸透させて精度の高い情報を得られるようになるらしい。
「ふむ、その理屈なら集中させることも可能じゃないのかな?」
思いついたように叶が尋ねる。一つの対象に絞ればより深くまで浸透できるという理屈だ。
「可能なのです」
「なら頼むよ」
「はい、なのですよ」
「あ」
叶が頼むと即座にシラネは頷く…………夏樹が口を挟む余裕も無かった。
「OKなのです」
こちらからは変化はわからなかったし、中継となったミレイ自身も気づいた様子はない。けれどシラネは頼まれたことは出来たのだと口にする。
「どれ」
確認するにはそれが一番早いと叶が映し出された茨狼へと手を伸ばす。その手が触れると同時にウインドウがポップし、入手した情報が表示された。その内容はミレイと同じように身体能力を数値化したもの…………名称は茨狼で合っていたらしい。
「ふむ、これは」
単純にその見た目だけでもわかっていたがミレイとの身体能力の差は大きく開いている。互いの力と防御力と生命力の数値を比べるだけで、どうあがいてもミレイが一撃で殺されるだろうとわかるのだ。
しかし問題は技能と書かれた欄だ。いかにも強力な魔物らしく技能は幾つも並んでいたが、夏樹はその内の一つに思わず注視する。
嗅覚(魔力)
そこにはそう書かれていた。
「シラネ、この嗅覚(魔力)って!?」
「言葉通り魔力を臭いで感じることのできる技能なのですよ」
「!」
即座に夏樹はミレイへと逃げるように念じる。全体に薄く放射されていたのなら発生源を感知するのは難しいが、一点に集中するように放たれたものであればその技能は間違いなく働くはずだ…………その予想は正しく茨狼は真っ直ぐにミレイの居る岩場へと顔を向ける。
「あ」
そこからは夏樹が一言口にする間の出来事だった。夏樹の危機感ごと逃げろという指示を受け取ったミレイは即座に身を翻す…………だが最初から気づかれた時点で終わりの距離だ。せめて底の深い河川であれば飛び込んで逃げられる可能性もあったが、生憎と目の前の小川は膝にも達しない程度の水面しかなかった。
故に、机上に浮かぶ映像の中で少女は数歩も進まずに茨狼に背中から押し倒された。その背を抑えて地面に縫い付けるのが前脚一本であることだけで両者の体躯の差が一目でわかる。
そして、茨狼は獲物に抵抗する時間すら与えなかった…………動けないミレイの頭をその巨大な口で軽く咥えて捻る。
ゴキリ
鈍い音が少女の首から響いてその瞳があり得ぬ方向へと向けられる。僅かに広げられたその唇の端からは留められることのない唾液がたらりと垂れた。
「少年、回収だ」
「!?」
言われる前で夏樹はそれを思い浮かびもしなかった…………何もできない現実に見入ってしまっていたのだ。ミレイの死にざまを見るのはこれで二度目だが、今度はその場に居合わせていたのに何もできなかった。
「少年」
「っ、はい」
繰り返し彼を呼ぶ叶に夏樹はミレイを回収することを念じる…………それが後数秒遅れていれば彼女の死体は無残に喰い荒らされていた事だろう。しかし今回は何とかその前にミレイの身体は光の粒子へと変わって空へと昇って行った。それはすぐにこの部屋にやって来ることだろう。
「後はまた蘇生するだけ、と言いたいところだけどシラネ…………彼女を蘇生して戻すのは死んだ場所じゃなくちゃいけないのかな?」
前回は特に尋ねることもなく戻したが、ミレイは殺された現場に戻されていた。しかし今回同じように戻せばすぐにあの茨狼に見つかることになる。
「こちら側の領域内であればある程度の融通は利くのですよ」
「こちら側ってことはそうじゃない闇に覆われた領域は無理ってことか?」
「その通りなのですよ」
口を挟んだ夏樹にシラネが頷く。つまり今回に限ればミレイが殺されたのは闇に覆われた領域であるため、むしろ殺された場所に蘇生して戻すことの方が出来ないようだ。
「ふむ、それだとあちら側で殺されるたびに探索のやり直しになる。これだと長期遠征はかなり難しいことになるね…………シラネ、何か対処法は無いのかな?」
「闇に覆われた領域の支配権を獲得するか、中継地点を作ればよいのですよ」
そう言ってシラネは改めて闇に覆われた領域について説明する。人間勢力を白き神が助けているように魔王の勢力は敵対する黒き神が力を貸しているらしい。そしてその両者に対する人間と魔王勢力の信仰がそれぞれの敵対する神に対しての妨害となっているらしい。
つまり簡単にまとめれば黒き神への信仰が強い地域では白き神の力、それによって造られたこの部屋から干渉することは難しい。元々直接的な干渉は出来ないが、その地域を覗き見ることや部屋を経由して勇者を移動させることも出来ないのだという。
それを可能にするにはその地域の黒き神への信仰を止めさせるか、直接的に信者を減らすことで白き神への信仰が上回るようにする…………それが支配権の獲得。
とはいえそれは簡単な事ではないので簡易的な方法として中継点の作製する方法がある。これは土地に簡易的な白き神の神殿を作ることで地域の信仰に関係なく力が及ぶ領域を作ることが出来るらしい…………神殿といっても小さな
「つまるところセーブポイントだね」
その地域の支配権を得るまではそれで活動拠点を繋ぐ。問題はゲームと違い中継地点は相手から破壊される可能性があることだ…………設置する場所や偽装なんかは気を遣う必要があるだろう。
「ま、とりあえず少年は彼女を蘇生しておいてくれ。戻すのは前と同じ家でいいよ」
「あ、はい」
そのことに夏樹は異存ない。
「えっと、その後は?」
「どうせこちらで慰める時間も必要だろうしね、セーブポイントを作るための資材を集めておくってことでいいとお姉さんは思うよ…………神具を取りに行くにはあの茨狼を躱す方法を考える必要があることだし」
現状で勝ち目がないのは間違いないから、後はいかにやり過ごすルートを構築するかが必要だ…………その為には適度にセーブポイントを設置する必要もあるだろう。
「あ、そう言えば荷物って…………」
ミレイは回収したが彼女の持っていた荷物はどうなったのだろうかと夏樹は口にする。あの場所に残っているのなら回収する必要があるし、回収できてもそれまでに食料などは荒らされてしまう可能性が高いだろう。
「あ、大丈夫なのですよ。所有する荷物は一緒に回収される仕様なのです」
「ああ、そういえば彼女はちゃんと服を着ていたね」
答えるシラネに叶が思い出したように呟く。勇者だけを回収するのであればその服だって対象外になるだろう…………もしも死ぬ度に荷物を全て失うのであれば難易度が跳ね上がるのでこれは非常に重要な仕様だった。
全ての武器も防具も失った状態で殺した相手の居る場所まで戻って回収などできるはずもないし、少しでも知能のある相手なら殺した相手の物資は奪うか破壊する。
それがそこらの普通の武器ならまだリカバリーは利くが、例えばこれから手に入れる予定の神具であったなら目も当てられない。
「融通が利くんだか利かないんだか」
神々の規約とやらがあるから仕方ないのだろうが、機能面では便利なのに肝心の攻略面では融通の利かないことが多い。
「ま、それはそれでお姉さんは楽しいけれどね」
楽し気に、けれど冷たい瞳で叶は呟いた。
◇
「紅茶で良かったよね?」
祖父の書斎に備え付けられた電気ポットにスイッチを入れながら夏樹は尋ねる。この書斎で何度か氷華にお茶を出しているが彼女は文句ひとつ言ったことは無い…………しかし紅茶を出した時が一番飲み終えるのが早かったような気がした。
「ん」
異論はないというように氷華が夏樹に首肯して見せる。ミレイを蘇生して不甲斐ないと落ち込む彼女を慰め、中継地点の説明をしてその材料を集める指示を出した…………それで今日はもういいと叶から見送られいつものように夏樹は氷華を祖父の書斎へと招いたのだ。
「はいどうぞ」
「ありがとう」
ティーカップに入れた紅茶を氷華の前の机に置く。
「あんまり今日は進んでないね」
氷華の手の本をちらりと見やると紅茶を淹れる前からページが進んでなかった。
「…………集中できない」
言い訳するように氷華が呟く。
「えっと、邪魔だった?」
氷華が書斎にいる時は夏樹も同席するようにしていた。これでまで特に不満を述べられたことは無かったが、これまでは書斎を借りる立場から我慢していただけで他人がいると落ち着けないタイプだったのかもしれない。
「違う」
けれどそれに氷華は首を振り、
「夏樹が邪魔になってるわけじゃない」
明確に口にして否定する。
「それじゃあなんで」
「…………気持ちが
それが抑えられないのだと示すように氷華はその手の本をぱたんと閉じる。
「何に、昂ってるの?」
それが自分と一緒にいるからだと勘違いするほど夏樹はうぬぼれていない。彼女のその視線は彼ではない何かを見据えていた…………その表情はまるで遠足を楽しみにする子供のようにも見える。
「闘争の気配」
小さく、ただはっきりと氷華は呟く。
「それが近いのが分かる」
「…………」
とても文学少女とは思えないセリフだった。
「それってあの茨狼だよね?」
他に考えようもない。
「うん」
それに氷華が頷く。
「でも叶さんは逃げる方針だって話だし…………そもそも氷華が戦えるわけじゃないよね?」
夏樹たち三人は異世界に直接赴くことはできないのだから。
「何か方法がある」
けれど彼女はそんなことを言う。
「そうでないと、私が選ばれた意味がない」
それは自分が戦いの為に選ばれたという確信があるような言葉だった。普通なら一蹴するところだが夏樹は彼女の尋常でない打撃をその目で見ている…………氷華がただの文学少女でないことは最初に出会った時からわかっていたことだ。
「氷華は、戦うのが好きなの?」
根本的な事を夏樹は尋ねる。実力があることとは別に、他が目に入らないほどに本を好んでこの書斎に目を輝かせていた彼女とはまるで結びつかないからだ。
「好き」
端的に、だからこそ正直な気持ちなのだと示すように氷華は答えた。
「読書も好き…………でも、この気持ちは抑えられなかった」
戦いと読書は真逆のものではあるが両方が好きな事は二律背反しない…………ただ、より好きな方が優先されることはある。今の氷華が戦いへの期待で感情を抑えきれないように。
「きっと私はそれでこの世界から逸脱しかけたのだと思う」
そう呟く少女に、夏樹はまだ彼女のことを何も知れていなかったことに気づいた。
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