八話 冒険に出かけよう
「さて、早速だけど続きと行こうか…………彼女のやる気も十分満たされただろうしね」
名残惜しい様子はあったもののミレイは異世界へと戻っていった。彼女の蘇生に随分と時間は使ったが、夏樹が部屋に入ったのは早朝なのでまだ昼を回ったくらいの時間だ。
まだミレイを導くには充分の時間が残っている。
「少年は彼女にまず集めた物資を確認させておいて欲しい。その間にお姉さんは周辺の状況を確認しておくよ」
「わかりました」
頷いて夏樹はミレイへと声を掛ける。彼女は先ほど異世界に戻されたがその場所は殺される前まで休んでいた家屋だ。集めた物資も一緒に置いていたはずなので確認作業はすぐに行えるだろう。
長机に表示された異世界は別々に表示させたり拡大することも可能らしく、叶が周辺の様子を見ながらも夏樹はミレイと話しながら様子を確認することが出来た。
「幸い物資は荒らされてないみたいでした」
ミレイを襲った魔物は獲物以外には興味が無かったのだろう。魔物が部屋で暴れた際に多少被害を受けはしたようだが、大部分は無事なまま残っていた。少しばかり食料は減ってしまったが今すぐ出発できるくらいの余裕は残っている。
「それは
少なくとも今確認できる範囲に魔物は居ないと叶は続けた。しかし神具があるのは直接確認できない闇に覆われた地域にあるので確認できたのは今の安全だけだ…………進むなら慎重になる必要がある。
「出発、したほうがいいですよね?」
「そうだね、村にいればまたあの魔物が戻ってくる可能性がある…………村は集団で襲ったのに現れたのが一匹だけだったのは恐らくこの周辺の監視役として残されたんだろう」
殺しそこねや救援などを見つけたら自身で処理するか本隊に知らせる役目。そう考えれば定期的にこの辺りを巡回していてもおかしくはない。
「殺されても蘇生できるとは言え相手にも知能があるなら殺した相手が蘇ってることにも気づくだろう…………そうなる前に神具を手に入れるべきだとお姉さんは思うね」
いずれ敵側に注目されるのは確実にしても勇者が十分に育ってからでないと困った事態になりかねない。敵は弱い内に潰すのが定石であり、今から徹底的に狙われたらいくら蘇生が可能でも育成はかなり困難になる。
「迷いは致命的な隙を作る」
ぽつりと呟くように氷華の声が響く。
「荷物をまとめるようにミレイに指示します」
氷華の言う通り現状に迷ってる余裕も必要もない…………出発を引き延してもそれは夏樹がミレイに危険な真似をさせたくないというわがままでしかないのだから。
◇
村から闇に覆われた領域へと足を進めるミレイを夏樹はハラハラしながら見守っていたが、当の彼女自身は軽い足取りで進んでいく。元々山深い村に住んでいるだけあって健脚で山道にも慣れており、彼との時間も経て気力も充実しているからだろう。
それから一時間程度の距離を歩くとミレイは闇に覆われた領域へと足を踏み入れていた…………といってもそれは夏樹たちからの視点であっていきなり風景が変わるわけでもない。
「ふむ、こちらから確認できるのは勇者から五十メートルほどの範囲のようだね」
もっとも重要な情報を手早く叶が確認する。闇に覆われた領域内でも勇者の周りであればこちらに表示できるという話だったが、やはりその範囲は広くはないようだ…………とはいえその範囲内であれば俯瞰視点で状況を確認できるというのはやはり大きい。
こちらが指示する限りはミレイには死角はないようなものなのだから。
「ちなみにシラネ、この表示範囲を拡大するにはどうすればいい?」
「勇者の対応した部分を強化すれば広がっていくのですよ」
「なるほど」
やはり勇者の強化が必要かと叶は嘆息する。神具を手に入れるまでは何をするにも現状の状態でやりくりするしかないらしい。
「少年、こちらでも指示はするが彼女には慎重に進むように注意するんだよ? 今はまだ問題なさそうだがこの先ドンドンと道は険しくなっていくようだからね」
村の近くはある程度道も整備されているが離れればそうでもない。特に神具がある方向は人気が全く無いようで道はどんどんと荒れていっている…………叶の目算ではそう遠くない内にそれは道ですらなくなるだろう。
「はい…………ええと、気を付けますって言ってますね」
夏樹の視線の先では頷いた少女が小気味よく歩いて行く。かれこれ一時間は山道を歩いているのにそのペースは一向に衰えない。
「えと、叶さん。そろそろ休憩させた方がいいですかね?」
それからさらに数十分ほど歩いたところで夏樹が尋ねる。
「少年も過保護だね。疲れたら自己申告くらいするだろうに」
そう答えつつも叶はあの少女なら彼にいいところを見せようと無理はするだろうなとは考えている…………しかし無理をして死んだところで蘇生できるのだからと考慮の必要は感じなかった。
むしろミレイの限界を見極めるにはちょうどいいとすら思っている。
「だがまあ、そうだねえ…………水の補給は必要かもしれない」
人間は定期的に水を補給しなくては生きていけない生き物だ。だからもちろんミレイに用意させた物資の中には水も入っている…………しかし水という物は重い。他に食料や野営具を持たせることも考えれば補給前提の量しか持たせられなかった。
だがそれは周辺の地形を確認できる夏樹たちであれば水場を発見しやすく補給は容易だろうと考えてのことだ…………とはいえ水が切れた時に水場が近くにあると考えるのも都合のいい話ではある。水は適宜補給する形にしておいた方が無難ではあるだろう。
「そこから五百メートルほど進んだらしばらく右に進ませれば小川に当たるはずだ」
「えっ、わかるんですか?」
思わず夏樹は尋ねる。五百メートル先ということはミレイを中継して確認できる範囲外だ。この部屋からは闇に覆われて視認できない範囲のはずなのだ。
「少年、少しは全体を見ることを覚えないと駄目だよ? 湧水なんかならともかく小川くらいなら確認できる範囲からその先は推察できるはずだ」
「あ」
言われてみればその通りだ。もちろんある程度曲がったりはすることもあるだろうが、地形を見ればどこまで伸びているかは大体の想像は出来る。
「そうですね、気を付けます」
ミレイの周りだけを確認しているだけでは夏樹も見ている意味がない。反省しつつミレイに小川がある可能性を伝えてそこで水の補給と休憩を取るように勧める。当たり前のように彼女はまだ大丈夫と口にしたが、夏樹は不測の事態が起こり得る旅路では思考の柔軟さが大切なのだと説き伏せる。
何か起これば悠長に休憩などしていられないのだし、休憩中に何か起こる可能性だってもちろんある。水の補給だって同様で叶が言ったように必要になった時に補給できない可能性もあるし、水場があっても状況が補給を許さない事態だってあるだろう。
で、あればまだ体力は残ってるとか水も十分あるとか思考を狭めず、ちょうど水場があるから何かあった時の為に休憩と補給を一緒にすませておこうというのは悪い考えではない。もちろん目的が急ぐ場合は別の考えはあるが、今回の目的は早いことに越したことはないが時間制限があるわけではない。
「わかりました!」
一通り説明するとミレイはしっかりと頷いた。しかしそれが夏樹の説明に納得したからなのか、信頼する彼の意見に逆らう気が無かっただけなのかはわからない。
「子犬のようだね」
「…………」
そのやりとりを叶が評するが夏樹は答えなかった。子犬のように無邪気に自分を慕う相手を危険にさらしていると考えるとあまり嬉しいものではない。
「綺麗な水ですね」
話を逸らすように夏樹は目の前の光景の感想を口にする。ミレイが近寄って水筒に水を汲み入れている小川は透き通るような綺麗さだった。浅いとは言え底まではっきり見通せるし小さな魚が泳いでいるのが見て取れる。
これで周囲に山の緑があったらさわやかな雰囲気を感じるところだが、あいにくとすでに冬も近く山の木々は紅と黄色に染まっている…………だがそれはそれで荘厳な雰囲気を醸し出していた。
「そりゃあこちらの世界と違って何の汚染もされていないだろうしねえ」
異世界は科学がそれほど発達していないようだし人口もそれほど多くない。人口に対して土地は余っている状態なのでわざわざ山を切り開いてまで生活圏を確保する必要がないのだ。
ミレイがいた村のように何かしらの事情で村が成立する場所もあるようだが、基本的にはほとんどの自然は手つかずのままだろう。
「少年はキャンプとか好きなのかい?」
「いえ、機会がないから憧れる感じです」
山の清流など子供の頃に二、三度行った記憶があるくらいだ。視線の向こうでは水を汲み終えたミレイが靴を脱いで大きめの岩の上に腰かけ小川に足の先を浸している。
そう言った光景を見ると本能を刺激されるのか自分も自然と触れ合いたいような気分になるのだ。
「叶さんはどうなんですか?」
「現実逃避で山に行きたくなったことはあるね」
「…………」
元ブラック会社勤めの返答は重い。
「でもまあ、お姉さん個人としては冷静に考えると別に自然の豊かさに魅力は感じないねえ…………大人になると余計な知識ばかり増えてどうにもね」
子供であれば気にしないだろうが豊かな自然には虫やら動物やら植物やらが溢れている…………そして遭遇する可能性は低かろうがその中に危険なものも存在するわけで、それらの想像をするだけで行く気なんて失せる人間もいるのだ。
「氷華は?」
もののついでと夏樹は氷華へと水を向ける。ミレイを送り返し部屋が元に戻ると彼女はいつものように本を読み始めていた…………しかしやはり三人いるのに会話が二人しかないのも寂しさを覚えるのだ。
「山の生物は強さが物足りなかった」
視線を返すことなく氷華はそんな返答をする。
「だから子供の頃以来行ってない」
「そ、そう…………と同じだね」
後者の言葉にだけ返答した夏樹の頭の中は困惑で一杯だった。なんでキャンプの話題が山の生き物の強さの話になるのか…………それに山の危険な生物として夏樹の頭に浮かぶイノシシや熊は決して弱い生物ではないはずだ。
「あのさ、氷華」
「…………闘争の気配がする」
思い切って尋ねようとした彼を遮るように氷華がその手の本をぱたりと閉じる。
「おや、本当だ」
その言葉で何かを見つ
けたように叶が呟く。それに夏樹も机上へと視線を戻すとミレイの居る小川に向けてかなりの速度で移動する何かが目に入った。
端的に表現するならそれは巨大な狼とでも呼ぶべき生物だった…………ただ単純に狼と呼ぶにはいささかその形相が凶悪すぎるし、何よりも狼にはあんな全身を覆うように巻き付く茨は存在しない。それは魔物と呼ぶのに相違ない存在だ。
「こいつはこの前ミレイを襲った魔物だね」
落ち着いた声で叶が告げる。
「茨狼とでも呼ぼうか」
「そんなことより早くミレイに逃げるように言わないと!」
対して焦るように夏樹は口にする。
「いや、もう逃げるのは無理だと思うよ」
それに叶が冷静に指摘した。茨狼の速度を考えるとミレイが今から逃げても大した距離は稼げない。すぐさま距離を詰められてゲームオーバーだ。
「それにまだこいつの目的がミレイかどうかはわからない…………ここは無難に岩陰にでも隠れたほうが生存率は高いとお姉さんは思うね」
目的がミレイではないのなら下手に逃げるのは自分の存在をアピールするようなものだ。その場合は隠れて居ればやり過ごせる可能性はあるし、仮にミレイが目的だとしても走って逃げるよりはマシだろう。
「そうしますっ」
答えると時間がないとばかりに夏樹はミレイへと念じる。彼女に茨狼が近づいている方向を知らせて周辺に隠られる岩か何かがないかを探すよう指示した。幸い大きめの岩が風下にあったのでミレイは荷物をまとめると素早くその岩陰に身を潜める。
「…………」
自分が静かにする意味はないと理解しつつも夏樹はじっと息を呑む。視線の向こうで茨狼はミレイの居る岩場にはメモ向けず真っ直ぐに小川へと駆け寄っていく…………そしてそのまま豪快に小川の水を飲み始めた。
「目的は彼女ではなく喉の
その光景に叶が呟く。魔物であってもその生命活動に水は必要なのだろう。元々自然の水場は野生動物が集まる場所でもあるし、そういった意味ではこちらの警戒が足りなかったとも言える…………とはいえサバンナのように水場が限られているわけでもなし、遭遇したのはやはり運が悪かったのだろう。
だとすればこのまま満足すれば去ってくれるだろうかと夏樹は淡い期待を抱く。
「残念だが少年、野生動物であってもそれほど甘くはないよ」
そんな彼の表情を読んでか視線を向けて叶が告げる。ましてや茨狼は野生動物よりも人への明確な悪意がある存在なのであると。
そしてその言葉を証明するように、水を飲み終えた茨狼は周囲へと鼻を利かせ始めた。
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