七話 勇者を生きらえらせよう

「では始めるですよ」


 シラネがそう口にすると同時に部屋の何もかもが消え去って真っ白な空間に夏樹は放り出された。

 あの部屋の窓から見えたどこまでもただ白い空間だけが続く世界、何の事前情報もなくこんな場所に放り出されたらすぐに気が狂いそうだなと夏樹は顔をしかめる。


「…………早く終わらせよう」


 夏樹はそれだけはそのまま残っていた蘇生用のウインドウに手を向ける。


「ちょっと待った少年…………シラネ、少年の姿を神様っぽくできるかい」

「了解なのです」


 どうやら姿が見えないだけでちゃんとこの場にいるらしく叶とシラネの声が響く。すると夏樹の服装が創作上の神様が着ているような白っぽいローブのようなものに変わった。それに加えて何となく見える自分の身体も変わっているような感じがする…………もしかして容姿なども変えられたのだろうか。


「…………」


 とはいえ確認しようがないので夏樹はミレイの蘇生を優先することにした。今度は止める声もなく、彼は蘇生しますかという文言の後に表示される選択肢の「Y」を指で押す。


「!?」


 その瞬間に夏樹の目の前に先ほど見た光の粒子が集まり始めた。それはひと塊になるとうねるように人の形へと変化していき…………瞬く間に色がついてミレイの姿へとなり、そのまま彼の目の前で横たわった姿で宙に浮いた。


「…………ミレイ?」


 声を掛けるが反応は無い。顔を見れば眠っているようだった。夏樹は恐る恐る彼女へと近寄るとそっとその背中に両手を回す…………すると不意に浮力が消えてずっしりとした感触がその手に伝わった。


 それでようやく夏樹はミレイの蘇生が終わったのだと実感できた。


「ええと」


 とりあえず彼女を抱えたまま周囲を見回すが反応は無い。わざわざ自分達の姿を隠したのだから、ミレイがこの場にいる間は姿を現す気はないらしい。だとすればミレイをさっさと起こして状況を理解してもらうのが一番だが…………眠るミレイの表情はとても穏やかで、それを起こすのは夏樹には躊躇われた。


「仕方ないか」


 諦めたように夏樹はゆっくりと腰を下ろす。そのままミレイを床の上に寝かしつけようとして…………枕になるものがないことに気づく。もちろんあの部屋には枕代わりになるものがあっただろうが今は何も見えない。


 仕方ないので、夏樹は原始的な対応をとることにした。


                ◇


「ひゃっ!?」


 それから三十分ほど経過してミレイは目を覚ました。その直後に悲鳴のような声を彼女が上げたのに夏樹は少し申し訳ない気分になる。


 なにせ周りの風景は白が永遠に続くような空間だし、死んだと思って気が付けば見知らぬ男の膝枕だ…………そりゃ誰だってそんな状況にいきなり放り込まれれば悲鳴の一つも上げたくなるだろう。


「落ち着いてください」


 それでもまずは落ち着いてもらわないと、と思い夏樹はミレイを見下ろしたまま声を掛ける。


「ひゃ、ひゃいっ!」


 さほど落ち着いたようには見えないがそれにミレイが勢い良く頷いた。


「いきなりで驚くかもしれませんが私は…………」

「神様!」


 名乗ろうとしたところでミレイが先に口にする。


「神様、ですよね?」

「…………そうです」


 すぐにミレイが気付いたことに内心驚きつつも夏樹は頷く。


「やっぱり!」


 ミレイのその顔が喜びにほころび、それを見た夏樹は状況の説明をするべきか迷う。その表情を崩さずに休ませてあげたいが、どのみちすぐに彼女も自分の居る場所に気づくだろう。


「ミレイ、周りを見てください」

「え、あ…………」


 その表情が驚きに変わる。この場が通常有らざる空間だというのは見るだけで明らかだ。


「ここは世界の狭間にある私の領域です」

「ここが、神様の領域……」


 夏樹の説明にミレイは安堵したような表情を浮かべる。この空間が得体の知れない場所ではなく、安心してよい空間なのだと分かったからだろう。


「あなたがどうしてここにいるのか、覚えていますか?」

「えっ」


 夏樹が尋ねるとミレイは驚いた表情を浮かべる。彼に尋ねられるまでそんな疑問を抱く余裕も無かったのだろう。


「私は村で旅の為の物資を集めて…………それで眠って!?」


 そこまで口にして思い出したのか、顔が蒼白になる。


「わ、わた、し…………死ん」

「大丈夫です」


 震えるその体を落ち着かせるように夏樹はそっとミレイの額に手を当てる。


「ここにはあなたを害するものは存在しません。だから安心してまずは心を落ち着けてください」

「神、様」

「私はあちらの世界であなたを直接助けることはできません…………だからせめて、この場ではあなたの気が済むまで寄り添います」


 本当に、この程度のことしかできないことを夏樹は申し訳なく思う。考えてみれば夏樹たちはこの部屋という報酬を得ているが勇者として選んだミレイには何もない。


 目的を果たすために何度だって死にながら戦い続ける過酷な運命を選ばされた彼女に、けれど夏樹ができるのはただ寄り添うことだけだ…………それだって、報酬ではなく再びミレイを戦場へ送るための準備でしかない。


「はい!」


 気丈に頷くミレイだが、その体が大きく震えたのが夏樹には伝わった。


「やはり私はあなたを選ぶべきではなかったのでしょうか」


 死の体験に震える少女に、夏樹は心底そう思う。


「そんなことないです!」


 慌てたようにミレイが叫ぶ。それは死よりも恐ろしい恐怖に急かされるようだった。


「私はまだ弱いですけど頑張れます! 何度殺されたって諦めませんから…………だから!」

「ミレイ、落ち着いてください」


 その焦りの意味を理解して夏樹は諭すように声を掛ける。


「私はあなたを見捨てようとしているわけではありません」

「でも」

「あなたを過酷な道を歩ませてしまったことが申し訳ないだけなのです」


 それも大した見返りもなく、後戻りすらできない道だ。


「私なら大丈夫です!」


 がばっとミレイが体を起こし、正面から夏樹を見据える。


「確かに死ぬのは怖いし、それを繰り返すのは苦しいですけど…………その度に、神様が慰めてくれるんですよね?」

「はい…………私にできるのはそのくらいのことですから」

「だったら大丈夫です!」


 強くミレイは断言する。


「だって、死んでもその度に神様に会えるんですから!」

「…………」


 そんなことが希望になるのだろうかと夏樹は思う…………いやむしろ、それが希望になるというのなら叶が忠告した彼への依存の結果なのではないかと頭に浮かぶ。


 だからと言って、それを否定すれば目の前の少女が絶望するのは明らかだ。


「私に会いたいからと、わざと死んだりするのは駄目ですよ?」

「はい、わかってます!」


 冗談めかして忠告してみるが、それにミレイは微笑んで頷く。


 その微笑みが彼の言葉へのどんな答えだったのか、夏樹にはわからなかった。


                ◇


 それからしばらくは特に言葉も少なく夏樹とミレイは過ごした。お互い腰を下ろして向かいあったまま時間を過ごすだけ…………なぜだか時折彼女の視線は彼の膝に向いていたが。


「退屈ではありませんか?」

「全然です!」


 ふと尋ねてみると元気のいい言葉が返って来る…………正直に言えば夏樹はちょっと辛くなってきていた。これまで彼女の一人もいなかった身からしてみれば、まだ出会ったばかりの少女と無言で顔を合わせ続けるのは精神が削れる。しかもそれが信頼される神を演じながらであればなおさらだ。


 とは言え夏樹はミレイに対して弱みを感じており、さらに付け加えるなら気が済むまで寄り添うことを確約している…………それはつまり彼の方からもう終わりにしようとは口にできないという事でもある。


「いや流石にもういいとお姉さんは思うなあ」


 そんな夏樹の耳元に囁くような叶の声が聞こえる。


「っ!?」

「神様、どうかしたんですか?」


 突然驚いた表情を浮かべた夏樹にミレイが尋ねる。


「え、ええと」

「いい加減見てるお姉さん達もイラつ…………飽きてきたのでね、少年から切り出せないようならお姉さんが言ってやるとも。どうせお姉さんや氷華の存在も彼女には紹介しないといけなかったわけだしね」


 メインでミレイの相手をするのは夏樹というのが方針だが、前に叶が話したように彼もずっとこの部屋にいられるわけではない。そうなれば夏樹がいない時は叶か氷華がミレイに声を掛けなくてはいけない時もあるだろう…………どのみち顔合わせは必要になるのだ。


「シラネ」


 夏樹の返答を聞かずに叶がその名前を呼ぶ。それと同時に叶と氷華と思わしき姿がその場に現れる…………すぐに確信を得られなかったのはその姿が様変わりしていたからだ。


 二人ともそれこそ女神のような荘厳な衣装に身を包み、全身から薄い光が放たれているようでその輪郭はぼやけており顔もはっきりとは見えない…………もしかして自分もこう見えているのだろうかと夏樹に疑問が浮かぶ。


 だとすればほっとするようでもあり、ミレイへ誠意が欠けるようで申し訳なくもある。


「初めまして、勇者」

「…………よろしく」


 夏樹からすればそっけなく聞こえる物言いで二人がミレイに声を掛ける。


「えっと、お二人は?」


 急に現れた二人に戸惑ったようにミレイが夏樹を見る。


「二人も私と同じく白き神に仕える従属神です」

「そ、そうなんですか?」


 納得しつつもミレイの表情はどこか不安げだ。


「娘、心配せずともよい」


 神を演じる叶がそんな彼女へと声を掛ける。


「私達が現れたのは別にお前を導く役目を引き継ぐためではない…………主としてお前を導くのは変わらず彼の役目だ」

「…………!」


 続けた言葉にミレイの表情がぱっと軽くなる。


「だが神と言えど得意な事や不得意なことはある。それにすでに知っているだろうが彼がお前の世界に干渉できる時間には限りがある…………私たちはそれを補うのが役目だ。彼が不在の時や適切でない場合は代わりに私達がお前の相手をする」

「えと…………わかりました」


 不満そうな様子を見せるでもなく、すんなりとミレイはそれを受け入れた。


「よろしい。ではすまないがそろそろあちらの世界へとお前を戻させてもらう…………彼の使える時間がある内に行動を始めないとまた夜になってしまうからな」

「あ、あの」

「…………不満かな?」

「いえ、違います!」


 首を振ってミレイは否定する。


「あの、その、出来ればお名前を教えて頂きたいなって…………」

「ふむ、確かに区別に必要か」


 全員神様では誰を呼んでいるのかわからない。


「私は叶だ」

「…………氷華」


 二人ともあっさりと本名を名乗ったことに夏樹は少し驚く。異世界の神は名前ではなく異名で呼ばれているようだったのでそれっぽい名前を考えるのかと思っていた。


「カノ様にヒョウカ様…………」


 しかしミレイの方もそれをすんなりと受け入れ、夏樹へ視線を向ける。その意味は一つしかないので慌てて彼も口を開いた。


「私は夏樹です」

「ナツキ…………様!」


 感極まるようにミレイは彼の名前を口にした。


 そんな彼女の表情を、叶と氷華は冷ややかに見つめていた。

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