或る少女の回想(1)

 私の村は山深い場所にあった。時折やって来る行商人は僻地だというが、そこで生まれて暮らしていた私にはそんな感覚は無かった。だって私には村とその周りの山々だけが世界の中心で、遠く離れた場所にあるという街やお城なんてそれこそがおとぎ話のような存在だったのだから。


 村の暮らしは裕福ではなかったが貧しいというほどでもなかったはずだ。畑では村民が暮らしていくのに充分な作物はとれたし、山の幸も豊富だった。それに腕のいい老人の狩人とその若い弟子は定期的に山々を歩き回っては害獣を駆除してその毛皮と肉を村にもたらした


 そんな暮らしがおかしくなったのは行商人が伝えた世情からだった。


 魔王。おとぎ話にしか出て来ないような存在が現れ、魔族たちを率いて人間に対して侵攻を開始したというのだ。さらに魔王の影響下では野生の動物は狂暴化してしまうらしく、そうなった動物は魔物と呼ばれてその被害も広がっているらしい。


 行商人はすでにいくつかの国が滅んでしまったことを告げた。それは私にも聞いたことがある名前の国々で、魔王の脅威がこの村にも迫る可能性を示していた…………とはいえもちろんその時点ではまだ遠い場所での出来事だ。行商人も一応の備えをしておくよう警告しておきたかっただけらしく、次に来る日を約束して去っていった。


 けれどそれから二月経った約束の日に行商人は現れなかった。もちろんその道程が安定したものにならないのはわかっているし、これまでも何日か約束の日からずれることは何度もあった…………けれど、一週二週と経っても彼は現れなかったのだ。

 正直に言えば村にとって行商人は絶対に必要な存在というわけではなかった。村では手に入らない物資や外の情報などは貴重なものではあったが、それがなくとも村は自給自足出来ていたのだから。


 だから、その安否を心配はしつつも深刻には捉えなかった。彼の残した警告を忘れたわけではなかったが、村には目に見える影響は出ていなかった。きっと何か外せない用事でも出来たのだろうと様子を見ることにしたのだ。


 いよいよ状況が悪くなっていることに気づいたのは、狩人の老人がその弟子に担がれて戻って来た時だった。狩りの獲物であるはずの動物たちはいつの間にか狂暴化して魔物となってしまっており、逆に彼らへ襲い掛かって来たらしい。


 手当てのかいも無く狩人の老人はその日に亡くなった。しかしその悲しみに暮れる暇もないほど大きな問題が村人たちには差し迫っていた…………ベテランの狩人であった老人が敵わないような魔物が、それも弟子の証言によれば複数いるのだ。それは村の存亡の危機と言っても差し支えなかった。


 こちらから退治しにいくという選択肢は老人の弟子が否定したし、何よりも死に瀕した老人も無謀な賭けに出ることのないよう最後まで村人たちに警告していた。村で最も戦いに長けた狩人の意見に村人の中で異を唱える人間は少なかった。


 だが、だからといっていきなり村を捨てて逃げるわけにもいかない。村の生活は安定していたし、何よりもいきなり逃げた先で生活ができる保証は全くない。結果としてとりあえず村の守りを固め、その間に大きな街へと助けを求めることにした。


 その判断は無難に見えたが一つ大きな問題を見逃していた。それは助けを呼び行く役の村人が無事に街へと辿り着けるかという問題だった。旅慣れているはずの行商人が約束の日に現れないままだったことをこの時点で誰もが忘れていたのだ…………だからこそ、村までの道中がとても危険になってしまっている可能性を誰も思いつかなかった。


 そしてそれは魔物が悪辣あくらつな者に率いられているという事実と共に証明された。助けを求めて村を出たはずの狩人の弟子ともう一人の村人…………その二人の首が柵を越えて村内へと投げ込まれたのだ。元は獣である魔物にそんな知恵などあるはずもなく、それは魔物を率いて村を滅ぼそうとする存在の証明だった。


 元より人間は生物としての強さでは魔物に劣っている。それを知恵あるものが率いればどうなるかの結果は明らかだった。魔物は村の防壁の薄いところへ殺到して、そのまま村内へとなだれ込んだ…………後は一方的な虐殺が行われるだけだった。


 私が助かったのは幸運と、何よりも両親のおかげだった。崩れ落ちた家屋に巻き込まれたおかげで魔物から見逃されたのが幸運で、瓦礫がれきに圧し潰されずに済んだのは両親が私を庇ってくれたからだった。


 両親の亡骸に抱えられながら私は声を殺して泣きじゃくり、そのまま外が静かになるまで瓦礫の下で怯え続けた。


 それから何時間経ったのか、外が静かになって私は瓦礫を這い出し…………自分が村の唯一の生き残りになったことを知った。慣れ親しんだはずの村はまるで違う場所のようで、自分は一体どこにいるのかとその時の私は本気わからなかった。けれど村の至る所に散らばる村民たちの遺体を見て…………埋めなければ、と私は思ったのだ。


 遺体は放置すれば獣を呼ぶし疫病の温床にもなる。だから死者の平穏の為にもすみやかに弔ってやらなければならないのだと小さい頃から教えられていた…………その時の私にとってはその行為だけが平穏だった村の生活の延長だった。


 遺体を運び、穴を掘り、埋めた。それを何度もなんとも繰り返した。食欲は全く無かったが遺体を埋めるために必要な事だと廃墟となった家々を回って残された物を口へ詰め込んだ。酷使された体は当然悲鳴を挙げていたようだが、私は何も感じていなかった。


 無限に思えるような作業であっても繰り返していればいつか終わる。村人たちの遺体を全て埋めたところで私は動けなくなった。これまで村の生活の延長だと自分をごまかしていた行為が終わったことで、私は現実を見なくてはいけなくなってしまったからだ。


 全てを失った私に生きる理由はもうなかった。けれど自殺することは望まぬ死を享受することになった村人たちや、命を懸けてわたしを守ろうとした両親を侮辱するように思えてできなかった。


 かといって生きる気力もなかった私はその場でうずくまって動かない事を選択した…………それが緩慢な自殺であることは理解していた。けれど私は他に何かをすることはできなかったのだ。


あの声が聞こえてきたのは、それから何時間か経ってのことだった。

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