五話 勇者を選びました

「私が勇者になります」

「意思は、固いのですね?」


 最後の望みを込めて夏樹はミレイへと尋ねる。その心へ語り掛けるその声からは、彼女のことを本心から案ずる感情と思い改めて欲しいという願いが伝わっているのだろう。


「はい!」


 だが、だからこそミレイはその考えを変えない。


「わかりました」


 諦めたように夏樹は頷く。そしてシラネの方へ視線をやると彼女は何かを操作したような仕草をし、すると彼の目の前に「ミレイを勇者に設定しますか?」というゲームにあるようなメッセージウインドウがポップした。


 最後まで躊躇いを残しつつも夏樹は表示されている選択肢の「はい」に手で触れた。


「勇者の設定が完了したです」


 メッセージウインドウが消えると同時にシラネがその完了を告げる。


「これで、対象シラネは勇者となったですよ。以後は対象の魂は保護され、蘇生及びその強化が可能となるです」

「ふむ、これでようやくスタートラインに立ったわけだ」


 満足げに叶が頷く。それに夏樹は一人の少女にとっては苦難の始まりだと苦い顔をする。だが今はその気持ちを抑えてシラネの相手をしなくてはならない。


「シラネ、あなたは私が導くべき勇者となりました」

「はい! 神様との繋がりが強くなったのを感じます!」


 とても嬉しそうな笑みをシラネが浮かべる。夏樹の方にはそんな感覚がなかったのでシラネを見ると、彼女はこくりと頷いた。


「彼女を勇者に選んだことであなたと魂の繋がりとも呼べるものが出来ているのですよ。後でまた説明しますが蘇生や強化を行うためには必要な措置そちなのです」

「それは私達も繋がっているのかな?」


 横から叶が尋ねる。同様の疑問を抱いているのか氷華もこちらを見ていた。


「いえ、直接彼女を勇者に選んだ夏樹さんだけです。誰か一人と繋がりがあれば勇者を導くには支障がないのですよ」

「それはよかった」


 叶は肩を竦める。


「少年と違ってお姉さんの心に繋がりなんて持たれたら不信を与えてしまうからね」


 それもどうなんだと夏樹は思ったが、隣で氷華もどこかほっとしたような表情を浮かべていた。


「ええと、それでまずはどうしよう?」


 当面の目的は近い場所の神具を手に入れることだが、まさかミレイに今すぐ神具を取りに行くよう指示するわけにもいかないだろう。


「まずは旅立ちの準備だろうねえ」


 それに叶が答える。異世界の時間は概ねこちらとリンクしているようで昼も過ぎている。今日は村を出る準備に当てて本格的な行動は明日からにするのが無難だろう。


「村は壊滅的だが探せば無事な物資はあるはずだよ…………シラネ、勇者となった彼女は食事や睡眠の必要はあるのかい?」

「今はまだ必要なのですよ。ただ今後の強化次第で必要性を減らすことは可能です」

「…………それは副作用とか大丈夫なのか」


 叶の質問にシラネはさらりと答えるが、横で聞いている夏樹には不安しか浮かばない。食事や睡眠が不要であるとしたら一体その生物はどうやって栄養を摂取して体を休ませているというのだろうか。


「その強化というのは今すぐには出来ないのかい? 食事や睡眠を無くすことが出来ないにしても多少の肉体強化でもできればこの先の展開が少し楽になるのだけどね」


 夏樹の呟きをさらっと流して叶が続けるが、その意見には賛成だったので彼も特に異論を挟まずシラネを見た。


「それは無理なのです。強化はいつでも行えるわけでもないのがその理由の一つですが、何よりもその強化の為のエネルギーがまだ溜まっていないのですよ」

「エネルギ―…………」


 そういえばシラネは敵から抽出したエネルギーを使って勇者を強化すると説明していた。


「勇者を強化したいならまずは敵を倒してエネルギーを溜めて欲しいのです」

「それは聞いていたがね、初回特典のようなものは無いのかい?」


 ゲームであれば開始時にある程度のスキルポイントが与えられてスタートするものも珍しくはない。それがあると主人公の育成方向や戦闘スタイルを定めてゲームを始められる。


「残念ですがエネルギーの持ち出しをしてしまうと規約に引っ掛かってしまうのです。あちらの世界で稼いだエネルギーを使って強化するから規約の穴を突け…………失礼、規約に問題無く勇者の強化ができるのですよ」

「ふむ、ならばやはり強化は神具の入手まで無理のようだね」


 叶は効率の為に神具が近くにあり且つ敵勢力に最も近い場所に住むミレイを選んだ。それは神具さえ入手すれば序盤からでも強力な敵を倒して勇者を強化できるという目論見あってのことだが、逆に言えば神具を手に入れなければ満足に敵すら倒せないという事でもある。


「では食料に水は必須としてキャンプ道具に防寒具なんかも必要だろうね…………神具のある場所は調べてみたところ村よりもさらに高度の高い山にあるようだからね」


 神具のある場所は闇に覆われておりそれ以外の場所のように映像を拡大したりすることはできない。しかし覆われていない場所の視点からその方向を眺めることは可能であり、叶はその方法で大体の地形を確認したらしい。


 その方法で視認できるという事は実際に現地が闇の覆われてしまっているわけではなく、この長机の機能で表示できない場所を闇に覆われる形で示しているという事なのだろう。


「これって闇に覆われた場所にミレイが入ったらこっちも見れなくなるんじゃ?」


 だとすれば困った話になる。


「いいえ、勇者自身を中継にできるので周囲の情報は表示できるようになるはずなのです」

「なるほど」


 だがその物言いを聞くに表示範囲は勇者から限られそうだ。


「ああ、そうだ少年。さっきは言い忘れたけどちゃんと武器も手に入れるよう彼女には伝えるんだよ? 死んだ村人の中にはちゃんと武装した人もいただろうしね」


 思い出したように叶が口を開き、それに夏樹が顔をしかめる。


「武器、やっぱり必要ですか?」


 もちろん必要だろうとは夏樹にだってわかっている。しかしミレイに武器を持たせることは本格的に過酷な運命を歩むことを確定させるようで…………どうせ神具の場所までは敵を避けるのだから必要ないのではないかと言い訳が頭に浮かんでしまう。


「必要」


 その答えを告げたのはこれまでほとんど口を開いていなかった氷華だった。


「実際に戦うかどうかは問題じゃない。戦う構えを持っておくことが大事…………そうじゃなきゃ咄嗟の時に動けない」


 いつものように無表情で淡々と、だからこそ氷華のその言葉には重みがあった。


「そもそも神具を手に入れる前に何度か敵と戦わせておくべき。最初から楽を覚えたら戦いに対する心構えなんて生まれなくなる」

「ふむ、正論だね」


 同意するように叶が頷く。ゲームであればキャラクターは数値通りの働きをするが、これは現実なのだ。ミレイには感情があり自分で考える心がある…………その変化次第では数値以上の働きをするだろうし、その逆もあるだろう。


 叶の立てた方針はゲームであれば効率的で楽な経験値稼ぎによる育成だが、現実であればそれによって彼女に慢心や増長をさせてしまうかもしれない。


 そうなれば氷華の言う戦いの心構えなど出来ず、本来その稼ぎによる強化によって勝てるはずの相手にすら油断や戦いへの恐怖心で負ける可能性だってある。


「その知見は君の読んだ本によるものかな?」

「実体験」


 いつものように無表情で淡々と氷華は答える…………いつもと変わらないからこそその言葉には重みがあって深い真実味が感じられた。

 しかしその見た目や行動は過剰なまでの本好きに見える少女が、一体どこでそんなバイオレンスな実体験をしたのだろうかと夏樹は疑問に思う。


「ふふん、まああの打撃を見れば虚言や冗談とは言えないね…………これは興味本位だけれどそれがどんな体験だったか教えてくれないかな?」

「…………」


 楽し気に尋ねる叶だったが氷華は黙して答えなかった。


「おや残念」


 しかし予想していたのかその表情は言葉ほど残念そうでもなかった。


「ま、そういうわけだから少年。ちゃんと彼女には武器も用意するように言うんだよ? 氷華の言うように実戦を経験させるかを別としても勝てるチャンスがゼロというわけじゃないのだしね」


 なにせゲームであればそのキャラクターよりも数値の高い相手には絶対に勝てないが、現実であれば勝てるチャンスは皆無ではない。

 例えばゲームであれば防御力の高い相手に低い攻撃力ではダメージを与えられない。しかし現実であれば敵の全身が同一の硬度ということはありえないだろう。その場合柔らかい部位を見つければダメージを与えられる可能性はある…………他にも地形を利用して相手を崖から落とすような倒し方だって考えられる。


 この場合はゲームではなく現実であるという点がミレイには有利に働くだろう。


「…………わかりました」


 反論する言葉は見つからず夏樹は頷くしかなかった。叶も氷華も無茶な要求をしているわけではなく結果としてミレイの為になる話をしている。それを彼の一時の同情で拒否すれば今は良くてもこの先の彼女が悲惨な未来を辿ることになるかもしれない。


 夏樹は当面の方針が村から近い場所にある神具であること、明日からその探索に向かうので今日はその準備をして休むようにとミレイへと指示する。必要なものに関しては先ほど話に出たものを漏らすことなく伝えた。


「物資を集めるために村を回るのはつらいかも知れませんが…………」

「いえ、大丈夫です神様!」


 気遣う夏樹にミレイは元気よく答える。


「みんなの埋葬はもう済ませました…………これからは、私が前に進むための行いですから」

「そうですか」


 夏樹の声に影響があり過ぎるのは問題だと思うが、ひとまず彼女が前向きになれたならそれも悪いことではなかったのだろう。


「じゃあ、さっそく行ってきます!」

「気を付けるのですよ」

「はいっ!」


 元気よく答えてミレイは村の建物の方へと走っていく。その様子を映像で見守りながら夏樹はふと気づく。


「そういえば、この部屋から出たらミレイには話しかけられないんだよな?」

「はい、もちろんなのですよ」


 その呟きにシラネが答える。異世界にいるはずの少女へと直接話しかけることが出来るのはこの部屋の機能だ。当然ながら部屋を出てしまえばその恩恵にあずかることはできない。


「それって外でも出来る様に出来たりしない? 例えばスマホに機能を追加するとか」

「無理なのです。異世界への干渉はあくまでこの部屋が世界同士の狭間にあるから許されているのですよ…………この部屋の機能を別の世界に持ち出したらそれは規約に引っ掛かってしまうのです」

「う」


 やはり無理かと夏樹は言葉を詰まらせる。


「少年、あまり過保護もいけないとお姉さんは思うよ?」


 夏樹の心情を察したように叶が口を開く。


「でも、今のミレイはまだ心配ですよ」


 叶の察した通り今の質問の意図はつまりはそれだった。昨日のように夜に家に戻るなら当然ミレイに話しかけることは出来なくなる…………しかし今の彼女は全てを失って彼だけが拠り所のような状態だ。そんな彼女を明日まで放置していいものかと思う。


「少年はあの子に自分に依存して孤立して欲しいのかな?」

「えっ」


 予想外の返答に夏樹は思わず声を上げる。


「現時点でもあの子の少年への依存は随分と高いはずだよ? なにせこの世の終わりみたい精神状態のところから自分を引き上げてくれた恩人だからね…………その相手が四六時中話しかけても声が返してくれるとなったらもう他の人間と話す必要なんてほぼなくなるとも」


 人間が他者と交流する理由はいくつもあるが、単純な理由を一つ上げるなら一人では寂しいからだ。家であったり学校であったり職場であったりと、様々な場所で孤立しないために人は他者との交流を求める…………だが、常に自分の傍にもっとも親しみを感じる相手がいたらどうだろうか。


 そんな相手がいるのならわざわざ他者との交流を持つ必要がない。なにせ話かければ最高の愛情を返してくれるのだ、むしろ他の人間との交流は最高のパートナーとの時間を浪費させる無駄な時間でしかない。


 もちろん、これは極端な例だ。普通の人間は最高のパートナーを見つける前に家族や友人との人間関係を構築する。そうして構築された関係は例え最高の相手が見つかっても簡単に捨てたりはしないだろう。


 けれどミレイの場合は魔物の襲撃によってその全てが失われている。今現在の彼女の人間関係は環形は夏樹一人であり…………そして失うことを知ったミレイが死ぬことのない神である夏樹だけいればいいと他者との交流を拒む可能性は十分にある。


「別にお姉さんもあの子を見放せと言ってるわけじゃない。あちらの世界に干渉できる時間に限りがあると伝えるだけのことだよ。その間は他の神がサポートにつくこともあると伝えておいてくれればお姉さんたちもフォローがしやすい」


 夏樹が紹介した神ならばと多少の信頼を得られることだろう。


「夏樹がここにいる間はお姉さんが様子を見るし…………どうしても少年が必要な状況なら連絡なり扉を経由して呼びに行くことだってできる」


 あらゆる扉がこの部屋に直結しているので夏樹が外にいても、ほとんどタイムラグ無しで彼を呼び出すことが出来るのだ。


「つまり部屋を離れて何かあっても問題なく少年は対応できる…………だけど、ここで距離を作っておかないとあの子は君から一歩も離れられなくなるとお姉さんは思う」

「…………」 


 そうなったら自分が責任を取る、流石にそこまでは夏樹も口にできなかった。彼はミレイに同情しているし出来る限りのことはしてあげたいと思っているが…………それはその限界を超えているように思えた。


「わかりました」


 息を吐いて夏樹は気持ちを整える。


 そしてミレイにどう伝えるか、それに対する反応をどう対応するかを頭に思い浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る