プロローグ(2)
新たに現れた少女は立ち上がった夏樹と叶を無視して視線を巡らすと、真っ直ぐに部屋にある本棚へと歩いて行った。その迷わぬ足取りに彼女はこの部屋のことを知っているのではと彼は希望を抱く。
叶ですら部屋のことをまず夏樹に尋ねていたのだから。
「ええと、ちょっといいかな?」
棚から本を一冊抜き取り開く少女に夏樹は話しかける。
「僕は白銀夏樹…………ちょっと君に聞きたいことがあるんだけど」
「…………」
少女は黙したまま本を閉じると部屋の中央に置かれた長テーブルへと移動する。そして椅子を引くとそこに腰かけて再び本を開き…………読み始めた。
無視されたのは明らかだがそれでめげるわけにもいかず、夏樹は彼女に歩み寄る。
「その、僕と向こうの彼女……巫女守叶さんって言うんだけど、僕ら二人は気が付いたらこの場所に居てここが何なのか何も知らないんだ…………だからもし何か知っているなら教えてくれないかな?」
「
言葉と共に射貫くような視線が向けられる…………二の句が継げずに夏樹は後退した。
「はっはっは、情けないなあ少年」
「…………それなら叶さんが行ってくださいよ」
「やだね」
いつのまにやら叶はゲーミングチェアに深く腰かけ、壁に掛けられた小さめのモニターを使ってテレビゲームを始めていた。
「見ての通り私はここから出られなくても困ってない」
だから聞く必要もないということなのだろうか…………夏樹にはこの短時間でこの部屋に順応できる彼女の気持ちがさっぱり理解できない。
「…………というか、どこにあったんですかそれ」
「さあ、そこらに置いてあったよ」
夏樹が最初に部屋を見た時にはなかった気がするが、実際にそこにあるのは否定できない事実だ。
「存外ここは快適な空間かも知れないぞ?」
「それでも僕は帰りたいですよ」
確かに水も食料も娯楽もある…………だからといってここで一生過ごせと言われて納得できるものではない。
「ふむ、ではアドバイスだ」
「…………アドバイスですか?」
「そうだとも…………私は帰れなくても困らないが、少年に好かれたいとも思っているからね」
だから手伝いはしないがアドバイスはするということらしい。
「でもアドバイスも何もそもそも話を聞いてくれないんですが」
「それは少年が自分の意見を押し付けようとしてるからだろう」
「…………自分の意見って」
客観的に見て夏樹たちは監禁されているような状態なのだ。そこから抜け出そうと考えるのは一般的ではないのだろうか。
「見ず知らずの人間同士なのだから、まずは互いに歩み寄ることが肝要だとお姉さんは思うね」
「歩み寄る、ですか?」
「まずはあの子と仲良くなることだよ」
「…………仲良く」
確かに現状では話す以前の問題なのだから一理ある。
「ふふん、つまりはあの子を口説くつもりでやれってことだとも」
「余計難易度上がってませんか?」
「それくらいのつもりでやったほうがいいということだよ、少年」
にぃっと叶は笑う。
「なんなら予行演習で私を口説いてもいいんだよ?」
「やめときます」
また押し倒されては叶わない。
「…………ふう」
息を吐き、夏樹は少女にどう話かけるかを考える。するとすぐにそのきっかけとなる物はあることに気づいた…………確かに叶の言う通り先ほどは自分の都合を優先して彼女のことなど考えていなかったようようだ。
「あの、さ」
先ほどの視線を思い出して一瞬躊躇うも夏樹は少女に声を掛ける。
「それって魔法使いと巨人の新刊だよね」
それは今日夏樹が本屋で買うつもりだったライトノベルだ。少女が棚から手に取った時にそんな気はしていたのだが、今間近で確認して確信できた。
「…………知ってるの?」
少女が顔を上げて夏樹を見る。感情の薄い平坦な表情ではあったが、先ほどのような強い拒絶は感じなかった。
「実はそれを買う為に本屋に入ったはずがなぜかここに居たんだ」
「…………そう」
少女は呟き、少し迷うような仕草をしてから再び口を開く。
「私も同じ」
「…………そうなんだ」
それが本当なら夏樹と同じ状況に置かれながら彼女はこの部屋の脱出よりも読書を優先したことになる…………よくよく考えると叶も似たような行動をとったわけだし、まず脱出を考えた自分がおかしいのだろうかと夏樹は不安になった。
「先に読む?」
すっと少女はその手に持っていた小説を差し出す。
「ええと、いいの?」
「まだ他にも本はある」
そう言って少女は本棚へと視線を向ける。つられるように夏樹も視線を向けるが確かにそこには他にも様々な本が並べられている。少女の手元にあるようなライトノベルはもちろん文学小説やSF小説などジャンルを問わずに置かれているようだ。
「ハードカバーの本まであるんだな」
しかも英書のようだ。どういう基準のラインナップなのだろうと夏樹は首を捻る。
「全部私が読みたいと思っていた本」
その答えを少女が口にする。
「そうなの?」
「うん、不思議」
「…………」
不思議に思いながらも彼女はその疑問を解く事より読むことを優先したらしい。それは呆れるよりも感心するくらいの読書への執着だと夏樹は思った。
「本、好きなんだ」
「好き」
少女は即答する。そして夏樹を見た。
「あなたも、本は好き?」
「うん、まあ」
少女ほどではないが好きなのは間違いない。
「祖父が熱心な読書家でその影響かな…………まあ、祖父とは違って読むのはライトノベル中心だけど」
夏樹にとって読書はいくつかある趣味の一つであり、必然的に読むのに時間をそれほど取られないライトノベルを中心に読むようになった。
「本に
しかし少女はそれを否定しなかった。
「どんな本でも、その人にとって価値があるなら無駄な物じゃない」
「…………そっか」
ああ、この子は本当に本が好きなんだなと夏樹は思う。確かに叶の言う通り歩み寄らなかったら彼女を説得する糸口も見つからなかったかもしれない。
「ねえ、君は……」
「
呼びかけようとした夏樹に端的に少女が名前を告げる。
「ええと、氷華はこの部屋から出たくないの?」
それくらいは心を許してくれたのだろうかと彼はその名前を口にした。後で思えばまずは名字で呼ぶべきだったかと思う。
「出たくないわけじゃない」
だが氷華はそのことは気にせず夏樹に答える。
「先に本を読みたいだけ」
氷華にとってはただの優先順位の問題らしい。
「ええと、それなら本を持ち出せばいいよ。量はあるけど僕も手伝うし」
何もこんな得体のしれない空間で読破する必要はないのだ。
「駄目。こんなにたくさんうちには置いておけない」
少し悲し気に氷華は答える。部屋に置くなら大した量ではないと夏樹には思えたが、その表情を見ると詳しくは尋ねられなかった。
「あー、それならうちに置いておくのはどうかな? さっきも言ったけど亡くなった祖父が本好きで家には立派な書斎があるんだ。とりあえずそこに置いて読みたい物だけ持ち帰るようにすればいいし…………もしかしたら祖父の蔵書には氷華が気に入るような本もあるかもしれない」
いきなり家に招くのは踏み込み過ぎかとも思ったが、実のところ夏樹の家では祖父の書斎は持て余し気味だ。彼自身の本への思い入れは先ほど口にした程度だし、両親も祖父のような熱心な読書家ではない。
かといって雑に処分してしまうのには
「それはとても魅力的」
初めて氷華の表情がほころぶ。元々端正な顔立ちだとは思っていたが、そこに感情が乗ると思わず心臓がどきりと鳴るほどの可愛さを見せた。
「でもいいの?」
「え、ああうん。眠らせておくより誰かに読んでもらった方が祖父も喜ぶよ」
動揺を抑えつつ夏樹は頷く。
「それなら、出る」
「うん、じゃあまずその方法を…………」
考える為に状況の整理を、そう口にしようとした夏樹の横を通り過ぎて氷華は部屋の扉へと一直線に向かう。
「あ、扉は…………!?」
忠告しようとするがまたしても氷華の行動の方が早い。けれど彼女もそれはわかっていたようで扉を開けようとするのではなく、その前で大きく拳を振りかぶる。その行動が予想外過ぎて夏樹は呆気に取られた。
見たままの文学少女だと思っていたのにその行動は武闘派だった。
ドスンッ
しかもその拳が扉に叩きつけられた瞬間に部屋が揺れる。
「え…………え!?」
夏樹の困惑が深まる。自分でも試したからわかっているがあの扉は衝撃を完全に吸収してしまう。そのおかげで殴っても手を痛めることはないだろうが破壊することも不可能…………なはずなのに今の揺れは明らかに氷華の打撃の衝撃を吸収しきれてなかったように思える。
「はっはっは、すごいね。あれはお姉さんでもまともに受けきれない」
ゲームのコントローラー片手に叶が朗らかに笑う。ゲームしつつも夏樹の交渉の具合はちゃっかり確認していたらしい。
「いや、笑ってないで止めてあげてくださいよ!」
「少年、それは焚きつけた君がするべきことだろう?」
「あんなことになるとは思いませんよ!」
話している間にも氷華は扉を叩き続けて部屋を振動させている。そのルーティンには乱れがなく明らかに彼女に武道の心得があるのは夏樹にだってわかった。
「しかし少年」
「なんですか!」
「今あそこから誰か入ってきたら面白いと思わないかい?」
「そんな冗談……」
話してる状況ですか、と夏樹が憤ると同時に
ガチャ
という音が聞こえた。
ズドンッ
そして拳が扉以外のものをぶん殴ったであろう轟音も。
「あー、生きてるかな?」
少し困ったように、叶が呟いた。
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