異世界勇者を育てよう(ベリーハードモード)

火海坂猫

 プロローグ(1)

 長方形の大きなテーブルの上には小さな世界が広がっていた。そびえ立つ山々に大木の立ち並ぶ大森林、陸地を囲むように広がる広大な海。そして開けた平地には塀で囲まれた村や町が点在し、そこに暮らす人々の姿があった。


 それが精巧なミニチュアなどではないことは火山からは煙が立ち上り、風によって木々が揺れ、そこにある人々が生活の為に動き回っていることから見て取れた。そこにあるのは文字通り世界の縮図であり、世界そのものがそこに存在していることに相違ない。


 だがその世界は今やその半分が黒く覆われていた。その領域のほとんどは暗闇を見通すことはできず、辛うじて判別できる範囲でも見ることが出来るのは人々の死体やそれを喰らう凶悪な化け物の数々のみ。


「じゃあ、今日も始めようか」


 そう口を開くのはテーブルの前に立つ一人の少年。


「うん」


 頷くのはその隣に立つ眼鏡をかけた少女。


「ま、気楽にね」


 その反対側にはスーツを着た女性が立っていた。


「では…………勇者よ、目覚めなさい」


 若干の申し訳なさを表情に浮かべつつ、少年はテーブルに広がる世界へと声を掛ける。正確にはその中の闇の領域に近い森の傍ら、弱まりつつある焚火たきびかたわらで眠る少女へと。


「は、はい! 神様!」


 その声に少女が跳び起きて剣を取る。


 そして世界を救うための少女の冒険が今日も始まるのだった。


                ◇


 トンネルを抜けるとそこは雪国だった、という有名な一文がある。

 しかし彼、白銀夏樹しらがねなつきの場合は少し違った。

 本屋の扉をくぐると…………そこは見知らぬ部室だった。


「え?」


 ポカンとする。気が付けば見知らぬ部屋のような場所に立っていたのだ。部屋の大きさはそれほど広くなく、六畳ほどだろうか。中央に長テーブルが一つ置いてあって壁際にはロッカーや棚などが並んでいる。向こう側の壁には大きな窓があり、今はカーテンが閉まっている。


 それは学校で見た文科系の部活動の部室のようだった…………で、ここはどこだろうと夏樹は頭を捻る。


 確か自分は今日発売の文庫本を買いに本屋の扉をくぐったはず。しかし今居るのは明らかに本屋ではない…………振り返ってみる。

 そこにはくぐった記憶のない形状の扉。見た感じは木製のようだった。


「…………」


 ガチャ


 鍵が掛かっていた。


 ガチャガチャ


 鍵が掛かっていた……こちらが内側なのに。


 ガチャガチャガチャ


 外せそうな鍵も見当たらない。


「…………」


 まあ、落ち着こう。理由は分からないがこの扉は普通には開けられないらしい。しかし見たところ木製のようだからそれほど困った状態でもない。別に夏樹は体格に秀でて居るわけではないが、木製の扉をぶち破るくらいの膂力はあるはずだ。


 そう、まだ慌てるような時間じゃない。


「…………よし」


 扉から一歩距離を取り、肩を引いて溜めの姿勢を取る。後は勢いよくぶち当たるだけだ。


 ドンッ


 肩から思い切り扉にぶち当たり、その勢いのままに扉をぶち破…………ることなく夏樹はその場に静止した。


「は?」


 その異様な感触に思わず声が出る。木製の扉を壊せなかった事にではない。そんなものは力が足りなかったのだと思って、より勢いを付けて再チャレンジすればいいだけ…………しかしそんな気が起きないほどそれは異様な感触だった。



「…………」

 軽く扉を叩いてみる。やはり返ってきたのは同じ感触…………反動が一切ない。普通どんなものでも叩けばそれなりの反動が返って来るものだ。しかしこの扉にはそれが全く感じられない…………つまり掛かる負荷の全てを完全に吸収しているとしか思えない。


 例えばこの扉に弾丸を撃ち込んだとして、きっとそれは撃ち抜く事も跳ね返る事もなくぽとりと下へ落ちるのだろう…………なんだそれ?


「…………いや、待て」


 まだだ、まだ慌てる時間じゃない。確かにこの扉は開かないし、壊せる気配もない。しかし何も出られるのはこの扉だけとは限らない。この部屋には窓があるのだからそこから出ても構わないではないか。

 頷いて夏樹は窓際に向かい、カーテンを開ける。


 そこには、無限の白が広がっていた。


「…………」


 無言のままカーテンを閉める。


「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」


 叫ぶしかない。何だあの白。床が白いとか壁が白いとかそういうのじゃない。窓の向こうは白しかないのだ…………奥行きがあるのかもわからないし、天井や底があるのかすらも分からない。とにかく白、白、白。白で埋め尽くされている。


「いやいやいやいやいやいや」


 扉がぶち破れないのはいい。この世に人間一人でぶち破れない扉なんていくらでもあるだろう。あの妙な感触だって何かの新技術かもしれない…………でも、あの白の空間は無理だ。どう考えても人間が作りだせるものと思えない。


「……………………うわあ」


 思わず夏樹の口から声が漏れる。状況を理解してしまった。開ける事の出来ない扉。窓の外に広がる白の空間。


 つまるところ密閉された空間に一人。このまま朽ちていく自分が容易に想像できる。映画などではよくあるシチュエーションだが、実際に放り込まれてみると途方もない絶望が湧いてくるものだった。


「…………」


 夏樹の頭に走馬灯のように過去の情景が浮かんでくる。今まで平々凡々に生きてきたと言うのに何故突然こんな終わりを迎えなくてはいけないのか。せめてもっと浮いた話の一つもあったってよかったじゃないか…………ちくしょう!


「このまま終わってたまるかぁ!」


 その憤りのままに叫ぶ。


「うんうん、頑張るのは良い事だと思うよ少年」

「え」


 いきなり耳元で聞こえた声に夏樹は思わず声を上げる。びくりと体を引いてそちらを見てみるといつの間にかそこには女性が立っていた…………一瞬、状況を忘れて目を奪われる。


 そこにいたのはかなりの美人さんだった。年齢は間違いなく彼より上。二十代中盤くらいだろうか…………すらりと伸びた長身に無駄な肉のないスタイルはまるでモデルのようだ。随分と高そうなスーツを着ていて出来る女という雰囲気を醸し出している。


 後、


 胸がでかい。


 うん、とても大きい。大きい…………いやいや、大事なことだけど二度言っているような状況じゃないと夏樹は頭を振る。


「や」


 まるで道端で友人に会ったような気楽さで女性が片手をあげる。あまりにも自然体過ぎて再び状況を忘れそうになる…………危ない。


「え、と……あなたは?」

「私? 私は巫女守叶みこもりかの。見ての通りOLをしている」

「あ、どうも。僕は白銀夏樹です…………って違う!」

「うむ、いいツッコミだぞ少年」


 褒められた。


「しかしそれはそれとして自己紹介は大切だと思わないかな?」

「いやあの、確かに自己紹介も必要だとは思うんですけど」


 それに関しては夏樹も否定はしない。優先順位の問題があるだけだ。


「でも僕としてはまずあなたが何でいきなり現れたのかを尋ねたいわけで」

「私ならごく普通にそこの扉からここに来たよ」

「え」


 間。


「開いたんですか?」

「開かなければ入っては来れないね」

「!」


 夏樹は飛びつくようにして扉へ走った。希望を込めてドアノブを握りしめ、くるりと捻って扉を引く…………微動だにしなかった。


「開かないようだね」

「…………そうですね」


 期待した分余計に夏樹の気分は暗くなる。


「ところで少年、一つ聞きたいんだが」

「…………なんですか」

「ここはどこかな?」


 尋ねるその表情に嘘は感じられない…………まあ、そうだよなと夏樹は思う。


「ええと、巫女守さんは」

「叶でいい」

「え…………はい、叶さんはどうやってここに?」

「ふむ」


 思い返すように間を置く。


「会社から帰ろうと部署を出たらここに繋がっていたよ」


 夏樹と同じだ。ごく普通に扉をくぐっただけなのにその先がここに繋っていたのだ。


「…………その、ここがどこなのか僕にはわかりません。わかってるのはここから出ようとしても出られないってことくらいで」


 できるだけ冷静に夏樹は状況を説明した。何度開けようとしても扉が開かなかったこと。扉をぶち破ろうとしてできなかったこと。さらに窓から外を見たら無限の白が広がっていたこと…………これは実際に確認してもらった。


「つまり私たちはここに閉じ込められている…………しかもここはまともな場所じゃなさそうだということだね」

「はい、もしかしたら異次元とかそういう場所なのかも…………」


 異次元なんて平時で口にしたら笑ってしまうような単語だが、この状況だと妙に説得力を感じてしまう…………それはつまりまともな方法で元の場所へ戻ることが難しいと言う話でもあるのだが。


「ふうむ」


 叶は部屋を見回した。


「冷蔵庫があるね」

「あ、そうですね」


 確かに部屋の隅っこには中型の冷蔵庫が置かれていた。すると叶は冷蔵庫に近づいてそれを開ける。開いた冷蔵庫の中にはペットボトルが立ち並び、見覚えのある食べ物もいっぱいに収納されていた。


「とりあえず水も食料はあるようだね」

「そうですね」


 一先ずはほっとできる事実だ…………まあ、食べて大丈夫なのか不安は残るが。

 それにしても叶は冷静だと夏樹は感心する。自分なんてこの妙な空間に閉じ込められたという事実に動揺して醜態をさらしてしまったのに…………そういや、見られてたんだよなと彼は思い出す。


 恥ずかしい。


「よし、少年」

「はい」


 その感情を飲み込めぬまま声を掛けられて夏樹は叶を見る。


「子作りしよう」

「…………………………は?」


 そして予想外の言葉に頭が真っ白になった。


「ん、伝わりにくかったかな? 具体的には少年と私でセッ……」

「具体的に言わなくてもわかりますからっ!?」


 叫ぶ。


「わかるならさっそくしよう」

「いやいやいやいやいや」

「なぜ止めるのだい?」


 いやそんな疑問符を浮かべられても。


「そもそもなんでいきなり…………その、子作りなんて話に」

「それは簡単だ」


 叶は言う。


「密室に男女が二人っきり…………やることは一つだろう?」


 そして妖艶ようえんに微笑んだ…………思わず夏樹の心臓がどきりと跳ねる。


「いや、あのでも、僕ら出会ったばかりですし」

「大丈夫。少年はお姉さんの好みだから…………一目惚れかもしれない」


 僅かに頬を赤く染め、叶がゆっくりと夏樹へ近づく。


「その、こういうことはお互いの気持ちが大事で……」

「少年は私の事が嫌いかな? 自分で言うのもなんだけど女としてはかなり上位の部類にはいると思うんだが」


 さらに近づく。もう夏樹の眼前と言える距離になって、半ば吸い寄せられるようにその唇に目がいってしまう。顔がかあっと熱くなるのを感じた。


「えいっ」


 すると不意の掛け声と共に夏樹の体がふわりと傾いた。視界がくるりと上を向いて背中から床に倒れていくのがわかった。


ドサッ


 直前で体を引かれたので思いのほか衝撃は少なかった…………けれど気が付いた時には夏樹の上には叶がまたがっていて、そのまま体を押さえつけられていた。


「お姉さんはこう見えても柔道の段持ちなんだ」


 この人、無駄にハイスペックっぽいと夏樹は思った。


「そしてとてもエロいお姉さんなんだ」


 そしてかなり駄目な人だとも知った。


「さて、しようか」

「っ!?」


 その言葉に夏樹は慌てて逃げようとする…………しかし体の要所を抑えらえているのか全く身動きができない。ならばできることなど一つくらいで…………恥ずかしい。とても恥ずかしいが言うしかない。


「その、僕…………初めてなんです」


 恥かし気に目をそらして夏樹は口にする。


 それに叶は一瞬きょとんとした表情を浮かべ、にっこりと笑った。


「大丈夫、私もだから」

「え」


 今度は夏樹がきょとんとする。


「私は処女だ」


 真面目な顔で告白するように叶は告げた。


「そんな人が何やってんですか!」

「美人でエロくて処女と、青少年にとっては夢のような存在じゃないか」


 そう言って叶はほがらかに笑う。


 いや確かにそうかもしれないけどと夏樹は思ってしまい……………ちょっと冷静に考えてみる。


 うん、夢のような存在かもしれない。


 …………はっ、と彼は首を振る。むしろそれでいいような気がしてしまった。ごく普通の出会いをしていたら大歓迎だったかもしれないけれど、この状況でそんな気分になれるほど夏樹は達観していない。


「とっ、とにかく落ち着いてください! とりあえず僕にその気はないですから、まずはここを脱出する方法を考えましょう!」

「少年」


 不意にまじめな声色で叶が言う…………もしかして自分の気持ちが通じたのかと夏樹は期待した。


「お姉さん、無理矢理のほうが燃えるタイプかもしれない」


 ぽっ、とその頬を赤く染める…………はい、全然通じてませんでした。


「そういうわけだから少年…………覚悟を決めろ」

「ちょ、待っ……!?」


 馬乗りに両腕を抑えられた状態で叶の顔が夏樹へ近づく。そのつやのある赤い唇がゆっくりと彼の唇に近づいて…………


 ガチャ


 ドアが開く音がした。


「おや?」


 触れる寸前だった叶さんの唇が驚いたように動き、すっと離れていく。夏樹は扉に頭を向ける形で倒されていたので、真上を見上げるようにして叶の視線を追った。


 残念ながら扉はすでに閉まってしまい、その前に少女が一人立っていた。


「…………」


 じっと彼女は観察するように二人を見ている。年の頃は夏樹と同じくらいだろうか。短くまとめた髪に飾り気のない眼鏡をしていて知的な印象を与える。

 そして彼女は見覚えのある制服を着ていた…………あれは確か夏樹の高校の近くにある私立の女子高の物だったはずだ。


「…………」


 夏樹が損な思考をする間もじっと彼女は二人を見ていた。無機質な目だ。何の感情もなくただ目の前の光景を情報と認識する目…………こんな状況を見られて恥ずかしいと言う感情は彼には浮かばなかった。


 代わりにどうにも己が情けなく感じられる。


「少年」


 叶が彼女から夏樹へと視線を向ける。頬は赤いままだ。


「お姉さん、見られていたほうが燃えるタイプかもしれない」

「…………とっととどいてください」


 不思議と強い力が出て夏樹は叶を押しのけた。

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