第35話 素直じゃなくても、可愛い⑱

「ん…?」

 抱き寄せられた胸の中でぽつりとつぶやかれた言葉に、視線を下ろす。イリッツァは、顔をうずめたまま、か細く消え入りそうな声で、口を開いた。

「お前が、浮気しないことは知ってるって言っただろ…それくらい、信じてる。そうじゃない…俺の、問題なんだ…」

「――――?」

 ぎゅ、と白い手が縋るようにカルヴァンの装束を握りしめるのを、疑問符を上げながら眺める。

 たっぷりと時間をかけた後――イリッツァは、そっと、桜色の唇を開く。

「お前が俺の髪を撫でるとき――キスするとき――お前に"女"扱いされると、他の女の影がちらつく」

「……は…?」

「何を言われても、何をされても――誰にでも同じことしてたんだろ、って思う…」

「――――」

 ぱちぱち、と灰褐色の瞳が驚きに瞬かれる。

「お前の女関係の面倒事に、昔から巻き込まれてきたから――お前と違って、俺は、それなりにどんな女と関係持ってたのか、覚えてる…手が綺麗って言ってたのはあの子かな、髪が好きだったのはあの子かな、とか、考える」

「――――…」

「そうすると、自分でもわからない、何か、黒い感情が、胸の奥に渦巻いて――絶望、するんだ」

 ぎゅぅっ…と強く、強く、紅の装束を握りしめる。

「っ…聖女、なのにっ……民の幸せを、心から、願えない――!」

「――――――」

 ふるっと揺れた拳から力を緩めず、イリッツァは言い募る。

「だから、もう――お前に、女扱いされるような関係は解消したいんだ――!」

「――――――」

「ごめん…ごめん…ヴィーは、何も、悪くない……ちゃんと、愛されてる実感はあるんだ…お前は、一度した約束は守ってくれるやつだから、浮気しない、って言ったなら、絶対しないって信じてる。お前の中の"浮気"の定義がよくわからなかったけど――ここから先は嫌だ、って俺が伝えれば、それを守ってくれるとも思う」

「――…」

「でも、嫌なんだ――黒い感情が出てくるたび、死にたくなる。リリカは特別だったのかなとか、どうせ俺のことも「一晩中撫でていたい髪だ」とか言いながら抱くんだろうなとか、手とか脚とかキスとか、俺より印象に残ってた女もいっぱいいるんだろうなとか」

「――おい」

「最初は、全然平気だった。婚約したばっかりのころは、お前が花売りにちょっかい掛けてるとこ見ても、心から『ヴィーだからなぁ』で終わってた。でも――お前が、リリカの名前で俺のこと呼んだときから、変なんだ。もう――もう嫌だ…!聖女失格だ――!」

「おい、ツィー。待て。いったん落ち着け」

 震える声で懺悔するように次々と打ち明けられる言葉を遮り、カルヴァンは待ったをかける。

 念のためもう一度、イリッツァの言葉を頭の中で反芻し――

(――――俺は今、酷く都合のいい夢か何かを見ているのか…?)

 遠征の強行軍による疲労が一気に押し寄せてこん睡した疑惑が頭によぎり、そっとイリッツァの髪を撫でる。びくっと反応したあとぎゅっと拳に力を籠めるその姿も、手から伝わる感触も、全て、現実のものとしか思えなかった。

 とても信じがたいが――どうやらこれは、夢ではないらしい。

(確かに一瞬、ツィーの言葉から、淡い期待とともにその可能性を考えはしたが――)

 ありえない、と思って、最後まで確証は持てなかった。それくらい――天地がひっくり返ってもあり得ないと思っていた。

「つまり――俺の女関係に、嫉妬している、と――?」

「っ――!」

 ひゅっ…と息を詰めた後、イリッツァはぎゅっと顔を隠すようにカルヴァンの胸に面を押し付けた。

 つまりその無言こそが――肯定の返答だろう。

(――――嘘だろ…)

 じわり、と胸のあたりが熱くなる。遠征終わりの疲労感たっぷりの、草木も眠る深夜帯――

「やばい、ツィー。今すぐ抱きたい。抱いていいか」

「な!!!???」

「無理。我慢できない。――可愛い。可愛すぎる」

「はぁ!?ちょ――んぅ!?」

 胸にうずめられていた顔を無理矢理両手で上げさせ、桜色の唇を貪る。

「おまっ…ばっ――馬鹿っ!人の話、聞いて――」

「聞いてた。嫉妬したんだろう?――最高に興奮する。今すぐ身体ごと全部俺のものにしたい」

「はっ、はぁあ!!?」

「他の女なんか関係ない。お前だけ、全部特別だ」

「い、意味わかんな――」

「安心しろ、一晩かけて、嫌って言うほど身体に教えてやる」

「はぁああああ!!!!??ちょっ…待て待て待て伸し掛かってくるな!!!!鎮静の魔法かけるぞ!!!?」

 唇を寄せながらシャツのあたりに手を伸ばされそうになり、慌てて胸元の釦を抑えて防ぎながら叫ぶ。さすがにそれは困ると思ったのか、カルヴァンは憮然とした顔で手を止めた。

「なんでだ。もうここまできたら、結婚だの成人だのはいいだろう。あと一年なんか待てるわけない。今の俺は、待ててあと数十秒だ」

「もうちょい待てこの下半身暴れ馬野郎!!!」

 唾を飛ばす勢いで叫び、イリッツァは恐怖で涙目になりながら必死に言葉を紡ぐ。

「な、なんでそんな話になるんだ――!ほ、ほんと、お前、本当に意味わかんない――!俺は聖女として、もう王国民に嫉妬なんかしたくないから、お前とは友達に――」

「じゃあ聖女の方を辞めればいい」

「――――は――?」

「お前は既に市井に下った身だ。そもそも、最初は全部の公務も関係ない、正真正銘の市井の民にすべきだと俺は主張してた」

「は…?いや、えっと――」

「それを、何のかんのとうるさい連中がいるせいで、落としどころとして、聖女の公務だけはこなし、日常の生活は市井で暮らすとなっただけだ。――お前が、聖女である以上嫉妬できない、というなら、俺は全力でお前を聖女の座から引きずり下ろすぞ」

「は、はぁ!!!?」

「ここは王都だ。聖職者以外にも、女の働き口なんかいくらでもあるし――なくても、俺の嫁として生きればいい。安心しろ、絶対に不自由はさせない。永久就職だ」

「!!?」

「あぁ…いいな。俺の嫁。――最高に独占欲が満たされる」

 熱に浮かされたように自分の言葉を噛み締め一人悦に入るカルヴァンに、再びドン引きしながら身を引く。

「な…なんで、お前…きゅ、急に、そんな――」

「だって、ツィーだぞ。あの、ツィーが。嫉妬。――最高だ」

「い、意味わかんな――お、俺は――」

「正直、ずっと、お前は俺のことを男として見ていないと思っていた。…だが、嫉妬するってことは、男として意識してくれているってことだろう?」

「っ――!」

「頑張って隠したくて、嘘の理由で別れようとかする素直じゃない所も、いっそ可愛い。許せる。そのくせ、別れた後も変わらず同居はしたいとか呼び名は変えてほしくないとか、遊びの女と関係持つのは許すが本気の結婚はしてほしくないとか――あぁ、最高に可愛い」

「ち、ちが――」

「嫉妬は、愛の言葉をくれないお前にとって、今までにない最大級の愛情表現だろう。聖女であることがその愛情表現を妨げるというなら、俺は全力でその障害を取り除くまでだ」

「あ、愛情表げ――な、なんでそうなる!?」

「そうなるだろう。好きだから嫉妬する。違うか?」

 ぐっとイリッツァが言葉に詰まる。その様子を見て、ふ、と目を眇めてカルヴァンは上機嫌に表情を緩めた。

「あぁ――だが、困ったな。さすがに過去は変えられない」

「っ……だ、だからっ…!」

「これから先の人生、全部お前にやるって言ってもダメなのか?ツィー」

「だ、ダメッ…!そ、そういうことじゃないっ…!」

 当たり前のように再びイリッツァを引き寄せ、額と頬にキスの雨を降らせ始めたカルヴァンに、せめて唇だけは守ろうとイリッツァは体を押し戻しながら一生懸命顔をそむける。

「過去の女にも同じことをしたんだろうとか言ってたが――言っておくが、こんなに熱烈な愛情表現をしたことはないぞ。お前だけだ」

「っ…」

「そもそも、髪以外は興味ない、みたいな言われ方自体、心外にもほどがある。全部の部位を比較しても、お前以上に印象に残ってる女なんていない」

「な――!う、嘘つけ――!お前、女は一つしか褒めないって――」

「別に意識してたわけじゃないって言っただろう。――第一、お前には毎日、他にもちゃんと褒めているだろう?」

 少し呆れながら、隠しきれない上機嫌で、さらりと銀髪を一房取って、そこに口づけを落とす。

「――可愛い。最高に可愛い。キスしたい。抱きたい」

「っ……おま――そ、そんな、適当な――」

「適当ってなんだ、失礼な奴だな。女を口説くときに嘘は言わない主義だって言っただろう」

「キスしたいとか、抱きたいとか――そ、そんなん、褒め言葉じゃないだろ」

「いや、女に対する最高の褒め言葉だろう。『抱きたい』だぞ?――男が女に贈る、最上位の表現だ」

 イリッツァの顔が再びドン引きの様相を呈す。――そうだった。こいつは、そういうやつだった。

「い…いやっ、な、流されないぞっ…!だ、第一、『可愛い』とか、そんな――そんな、誰にでも言えるような、漠然とした褒め方――」

「人生で、お前以外には一度もしたことがないが」

「――――――――――へ――?」

 言い募ろうとした言葉を遮られて、間抜けな声が出る。ぽかん、と見上げると、カルヴァンは少し呆れた顔でイリッツァを見下ろした。

「俺の好みは、どっちかっていうと美人系だ。お前の母親みたいな。だから――そもそも、可愛いっていう感覚を落としたいと思った女に抱くことは殆どない。美人だとか綺麗だと思うことは昔からあったが。そのせいか、女の気に入ったところを褒めるときも、外見については綺麗だ、って言うことが多い気がする」

 その言葉に、イリッツァは数日前にリリカから聞いた言葉を思い返す。昔、カルヴァンが褒めた女たちは――

 手が綺麗だ、足が美しい、キスの相性が最高だ、一晩中触っていたい髪だ――

(た…確かに…)

 触り心地や相性と言ったものを別として、恐らくその外見的特徴が気に入っていたと思しき手と足に関しては、綺麗、美しいという表現を使っていた。

「じゃ、じゃぁ、なんで俺には――お、俺が、ガキだから――?」

「…いや?お前の外見は普通に綺麗だと思うぞ。世界一の美人だと思ってる。まぁ確かに多少幼さはあるが、この一年でも初めて会った頃からだいぶ垢ぬけたし、もう一、二年すれば、さらに美しさは加速するだろうな。今から楽しみだ」

「じゃ、じゃぁなんで――」

「外見について言ってるわけじゃないからな」

 あっさりと言い切って、カルヴァンはひょいっとイリッツァを抱き起し、体勢を入れ替えて寝台に腰かけた己の膝の上に乗せる。

「っ!!!!???」

「ほら。――可愛い」

 太ももをまたぐようにして上に乗せられて、はしたなさの極みのような格好にイリッツァが目を白黒させると、くっと喉の奥で笑う声が聞こえた。

「なんだったか――足?手?褒めてほしいのか?」

「は、はぁ!?」

 すす…と怪しく手で辿りながら揶揄するように甘く囁かれ、真っ赤になったまま声が裏返る。

「いくらでも――っていうか、脚は、いつだったか、褒めただろう。帝国領で」

「…へ…?」

「珍しく露出してたからな。今思い返しても、あれはなかなかの目の保養だった」

 記憶をたどるように目を細めて言われ、イリッツァもまた約一年前の記憶を掘り起こす。

『黒い服も似合ってるぞ。色白の肌に映えて妙に色っぽい。あと、意外とそそる脚してる。普段からもっと出せ』

(…いや。まさかとは思うが――)

「え…お前、まさか、あれ、褒め言葉のつもりだったのか…?」

「?…逆に、褒め言葉じゃなかったら何なんだ?」

 聞き返されて、困惑する。正直、いつもの適当な軽口か、せいぜい冗談としか捉えていなかった。

(まぁでも、『抱きたい』が最上級の褒め言葉だ、とか言うやつだしな…)

 『そそる』というのが褒め言葉になると本気で思っていてもおかしくはない。

 ひく、と頬が引きつるのを感じながら、イリッツァは呆れる。どうやら、互いの『褒め言葉』の認識にはいくらかの乖離があるようだ。

「ご所望とあれば、好きな箇所を褒めてやるぞ。――まずは、手だったか?指の細さ、爪の形、大きさ、触れ心地に握り心地――いくらでも口説ける」

「い…いいいいいいらない!」

 想像していた何倍も変態的な着眼点に、イリッツァは慌てて首を振る。いつの間にかするりと指を絡めて握られていた手をぶんぶん、と振るって拘束から逃れると、カルヴァンは少し面白くなさそうな顔をした。

「お前が言い出したんだろう」

「べ、別に、褒めてほしいってわけじゃ――」

「髪についても、心外だ。一晩中触っていたいってなんだ。――お前の場合、一晩だけで終わるわけないだろう。日中も全部だ。朝も昼も夜も、毎日、いくらでも、時間の許す限り永遠に触っていたい」

「~~~~っ…」

「瞳も、睫も、頬も、額も、鼻筋も、声も、唇も――首から上を褒めるだけで、一晩かけても口説ききれない。…だから、全部ひっくるめて『可愛い』って言ってるんだろう。外見も内面も、ふとした仕草も、全部ひっくるめて最高に可愛い。もし、いちいち一つずつ挙げていったら、それだけで日が暮れる。――当たり前だが、そんな褒め方した女は過去に一人もいないぞ」

 甘やかすように頭を撫でられ、羞恥で真っ赤に頬が染まる。女を口説くときは一つしか褒めない、と思い込んでいたようなイリッツァだ。カルヴァンのその言葉に嘘がないことは十分わかっていた。

「基本的に、俺がお前を具体的に褒めるとしたら、全部過去の女にした口説き文句の上位互換だ。お前を口説こうと思って、過去の女と同じ口説き文句になんか、なるわけない。女を口説くときに世辞は言わないって言っただろう」

「っ――…」

「それじゃダメか?」

 甘やかすように言ってからさらりと頭を撫でて、額に一つキスを落とすと、イリッツァは眉を下げて困った顔をした。

「でも――俺は…民の幸せを――」

「そもそも、お前が言うところの、民の幸せってなんだ。昔の女たちの幸せってことだろう?」

「え…?う、うん…」

「まさか、憎くて殺したいとか思うわけか?…お前が??」

「なっ――!?あ、ああああああるわけないだろ、そんなこと!」

 慌てて全否定されて、複雑な気持ちになる。イリッツァに限ってそんなことはないとはわかっていたが――もし、逆の立場で、イリッツァに過去関係を持った男がいたと知ったら、今がどうであろうとも、カルヴァンは間違いなく相手の男を殺したいと思うだろう。未だに、対外アピールのためとはいえ、イリッツァにキスをしたことがあるヴィクターを本気で殺したいと思っているくらいなのだから。

「そんなんじゃない…もし、十五年、一途にヴィーを思ってるような女の子がいたとして――俺は、今のままじゃ、その子の幸せを、祈れない…」

「祈るな、そんなもの」

「そうじゃなくても――例えば、懺悔室に、聖女の夫と知っていながら、堪え切れずにヴィーと体の関係を持ちました、っていう女の子が来たとして――俺は、許しを、与えられる自信が、ない…」

「与えるな。そもそも殴れ、俺を」

「や、やっぱり、だめだ――…友達に、戻る…」

「…はぁ。相変わらず、強情にもほどがあるな、お前は」

 うつむいて恐怖に震えるように呟いた婚約者に、呆れかえった嘆息が漏れた。

 左耳を掻いて、さてどこから納得させようか――と考えていると、ふと、カルヴァンは思いつく。

「――っていうか、そもそも、そいつらにとって、俺とどうにかなることは、幸せなのか?」

「――――――――――――へ――?」

「仮に、お前と友人関係に戻ったとしたら、お前は俺がそうやって昔の女と関係を持ったとしても――そしてそれを信徒から打ち明けられても、その女の幸せを祈れるし、許しを与えられるって言うんだろう?」

「う…うん……」

「そこからしてまず小一時間問い詰めたいところだが、まぁいい。――仮にそうだとして、だ。そうやって俺と再び関係を持った女は、本当にお前らエルム教が定義するところの『幸せ』か?」

「???」

 想い人と結ばれるのならば、それは幸せだろう。

 イリッツァは疑問符を上げるが、カルヴァンは半眼で左耳を掻いた。

「言っておくが、俺は、お前以外の女に対しては、さっきお前がドン引きしたような『女の敵』だぞ」

「――――――――」

 ハッ……とイリッツァの薄青の瞳が大きく見開かれる。

「第一、昔の女、って言っても、あれから十五年経ってるんだぞ。どんな女もたいてい結婚して子供がいる年齢だ。そんな女が他の男によこしまな感情を抱くこと自体、エルム教的には禁忌じゃないのか。それはお前、許しを与えるんじゃなくて、本来の神に永遠の愛を誓った男との生活を貫き通せと諭す場面じゃないか?――こないだ、文具屋でお前があの女にやってたみたいに」

「ぁ――」

「仮に、本気で夫と離縁してでも俺と関係を持ちたい――なんていう奇特な奴がいたとして、だ。結果はどうかと言えば、俺はその女を他の女と同時進行の中の一人として扱って、名前の一つも覚えず、性欲処理の相手として適当に都合よくあしらうわけだ。――お前は、それを、女たちの『幸せ』だというのか?」

 ぷるぷるぷる、と青ざめた顔でイリッツァは必死に顔を横に振る。

(――全く反論されない、っていうのもなかなか複雑なんだが)

 そんな事態になったならば、カルヴァンであれば女を酷く扱うだろうと信じて疑っていないらしい。先ほどのドン引きの印象はすさまじかったようだ。

 やや複雑な気持ちを持て余しながらも、目的のためにカルヴァンはあえて不名誉を背負うことにする。

「じゃあ問題ないだろう。お前は、聖女として生きるにしても、その女たちの幸せを祈るなら、俺との関係を持つことを推奨するわけにはいかない。――嫉妬なんかなくても、推奨しないんだ。お前はなんの罪悪感も持たなくていい」

「――――…」

「むしろ、王国民を不幸にしたくないなら、友人に戻るより婚約者として繋ぎ止めておくほうが被害は少ないぞ。お前がいるなら浮気しないからな」

 我ながら、いい歳して情けない主張だと思いながら、左耳を掻く。

「――まぁ。『愛してる』の言葉の代わりに、これからも時々は嫉妬を顕わにしてほしいという気持ちはあるが。だが、その嫉妬を拗らせたせいで、婚約破棄だの友人に戻るだの、訳の分からん事態になるのは困る」

 言って、さらりと銀髪を愛し気に撫でた後、ふっと片頬を歪めて笑う。なんだかうまく丸め込まれたような気がしなくもないが、イリッツァは特に反論の糸口を見つけられず、面白くなさそうな顔で押し黙った。

「…お前も、言わないじゃん…」

「?…何をだ」

「『愛してる』とか…お前も、言わないじゃん…」

「はぁ?お前まさか、通算三回もした求婚を忘れたのか?それはさすがに呆れるぞ」

「ち、ちが――婚約した後だ!さ、さすがに求婚されたときのことは覚えてる…」

 もごもごと赤い顔でうつむきながら呻くイリッツァを前に、カルヴァンは記憶をたどる。

「そうだったか?――別に、意識してたわけじゃないが」

「ぅ…」

「もしかして、言ってほしいのか?日常的に?――なんだ。いつになく今日は甘ったれだな。最高に可愛い」

「っ…べ、別に、言ってほしいって話じゃない!いっ…言っても言わなくてもわかってることは、い、いちいち、言わなくても…いい…」

 すんなりと承諾するのが嫌で、憎まれ口をたたいてみたかっただけだ。――だが、長い付き合いだ。そんなイリッツァの気持ちなどお見通しだろう。くく、とカルヴァンは喉の奥で笑うと、指先で髪を弄び、至近距離からイリッツァを覗き込む。

「――ツィー」

「ぅ…な、なんだよ…」

「こっち見ろ」

「………」

 赤く染まった頬をごまかすように、ちらり、と視線だけを上げると、これ以上なく性格の悪い笑みを湛えたカルヴァンがいた。

「ツィー。――愛してる」

「っ――…あ……っ、そ…」

 どうせこういう展開になるとわかっていたのに、何故かドキドキと走り出す心臓をなだめられない。勝手に駆け出して暴れる心臓を悟られまいと再び目をそらしたイリッツァの頬に、許さないと言うように片手を伸ばし、くい、と無理矢理カルヴァンは己の方へとその面を向けた。

「もう、キスしていいか?」

「っ…勝手に、しろ…っ…」

 喉の奥で笑いをかみ殺しながら余裕たっぷりに言われて、イリッツァはいつものように素直になれない返事をしながらも、そっと静かに瞳を閉じたのだった。

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