第36話 とにかく全部が、可愛い①

 最近のカルヴァン・タイターはとにかく機嫌がいい。

(この時期に、こんなにも穏やかな気持ちで過ごすの何年ぶりだ――?)

 間違いない。――十五年ぶりだ。

 王都を歩けば、あと一週間後に迫った一年に一度の祭り『聖人祭』にむけて、街中が準備に追われて慌ただしくなりながらも、来る祭り当日に向けて浮かれている雰囲気がひしひしと感じられる。

 去年までは、この時期に王都を歩くなど、よほど火急の用事でもない限り避け続けた。万が一、どうにもならない事情で日中外に出ねばならない事態に陥ったとしても、絶対に王都中央広場にだけは断固として足を向けなかった。基本的には、兵舎に引き籠るか、遠征任務を詰め込んで無理矢理王都を離れるかのどちらかだ。余計なことを考えないように、過労死するのではというくらい仕事を詰め込んで――いっそ、そのまま過労死出来たらどんなに楽なのにと思っていた。

 王都中央広場には、今年も祭りのための仰々しい祭壇が組まれているのだろう。

 リツィードを惨たらしい死に追いやったその場所で、人々はその死を礼賛し、王国始まって以来の悲劇を美談として語り合う。祈り、語らい、笑い、泣き、愛を囁く。――リツィードが、もう二度とすることが出来ないその行いを、リツィードが死んだ場所で、当たり前のように繰り返す人々。かつて、彼に石を投げた者ですら、いつしかその罪を忘れ去て日常を享受する。そんな彼らも、年に一度の祭りで己の罪を思い出し――祭壇に向かって祈りを捧げて、許された気持ちになる。誰一人、彼の孤独も、悲しみも、痛みも、何一つ理解しないままに、形だけの贖罪を済ませて、夜にはリツィードが決して生きることのない『未来』を語る。

 カルヴァンにとって『聖人祭』とは、あの事件の後に残された人々が耐えきれない罪から逃れたくて、自己憐憫の果てに生み出した酷く自分勝手な儀式にしか思えなかった。

 ともすれば、リツィードに石を投げた人間を一人一人虐殺して回りたくなるほどに心が荒れるその時期は、ただでさえ浅い眠りが一段と浅くなり、現実との波間で見る夢は、いつだって現実に戻った瞬間死にたくなるようなリツィードとの想い出ばかりだった。

 もう十五年もそんなことを繰り返してきたカルヴァンだったが――今年はどうだ。

(毎日最高の抱き枕があるおかげで、快眠だからな)

 国を挙げての祭事に向けて、イリッツァも通常の聖職者としての仕事ではなく、神殿での仕事に駆り出されることがほとんどだった。毎日忙しそうにしているが、王城に用意されている神殿で寝泊まりしてもいいと言われているにもかかわらず、律儀にカルヴァンと暮らす屋敷に戻ってきてくれる。――最初、神殿を使えるという話をイリッツァから聞かされた時に、カルヴァンが我が儘を言って帰ってこいと駄々をこねたせいかもしれないが。

(この時期に、ツィーを抱えて寝られないのは、いつも以上に精神衛生上よろしくないから、仕方ないな)

 めっきり寒くなってきたこの季節――どうにも冬は十五年前からずっと、一番嫌いな季節だった。

 十五年前も――去年も、その年の初雪の日に、世界で一番大切な存在を、一方的に奪われた。

 今年は暖冬らしいから、しばらく初雪は先だと思うが、何があるかわからない。

 きっと、今年の初雪が降った時――手を伸ばせる距離にイリッツァがいなかったとしたら、酷く不安で仕方ないだろう。日中でも少なからず動揺する自信がある。夜も会えないとなれば、なおさらだ。――どっかでまた、攫われたりしていないかと、気を揉んで仕方がない。堪え切れなくなって、頑丈な警備を掻い潜ってでも神殿に忍び込んで安全を確認したくなってしまう。

 そんな、過保護極まりない情けない主張を声高にしてみたところ、ものすごく呆れた半眼を返されたが――それでも、カルヴァンの心に埋め込んでしまったトラウマに負い目があるのだろうか。イリッツァは、忙しいだろうに、律儀に必ず、毎晩屋敷に帰ってきてくれた。

 おかげで、去年まで苛まれた深刻な睡眠不足と悪夢の連続には苛まれず、むしろ彼女が変わらず腕の中にいてくれる安心感で、これ以上ない快眠生活を送っている。王都で沸き立つ人々を見ると、多少眉をしかめたい気持ちにはなるものの、家に帰れば十五年前と変わらない親友がいると思えば、昔のような怒りの感情は沸いてこなかった。

「あ、そろそろつきますよ、団長」

「あぁ」

 声を掛けられ、ふと顔を上げると同時に、ギッ…と小さく車輪が耳障りな音を立てて馬車が止まる。外からガチャリと扉を開けられれば、そこには、いつもと変わらないそびえ立つ真っ白な荘厳な建物――クルサール王国の、王城だ。

「き、緊張しますね…」

「そうか?」

 馬車から降りた途端、固い声を出したリアムに、いつも通り飄々とした声を返す。

「てっ…ててて帝国の、皇帝ですよ…!?」

「お前、戦争後の停戦講和締結の時に見てるだろう」

「えぇ、誰かさんが押し付けてくださったおかげで、それはもう」

 ジト目で言われるが、軽く肩をすくめるだけで聞き流す。

「団長はご存じかどうか知らないですが――滅茶苦茶威圧感あるんですよ、あの人」

「そうか?そうでもないだろう」

「なんというか…風格がある、というか。腐っても皇族、というか。ヴィクター氏が出ていらっしゃったときは、講和締結の終盤だったんですが――それまで締結の責任者として、総大将代理と名乗って出てきていた蛇みたいな男も、話し合いの最中ずーーっとこっちを睨み殺しかねないくらいの表情だったんで、それはそれで怖かったですけど、ヴィクター氏が出てきた瞬間、場が急に彼に支配されたようになって」

「…ほう」

「帝国にとっては不平等極まりない屈辱的な内容の講和でまとまりかけていたところを、あの男が終盤に出て来て交代してから、一気にやり込められまして。もちろんこっちが有利なのは変わりないんですけど、当初は帝国を属国にするレベルの条件だったのに、いつの間にか自治を認める感じになっちゃってて」

「なるほど。あれはお前の責任か」

「いやいやいや、あんな頭の切れる敵総大将との講和を、凡人の俺に丸投げした団長の責任です。アンタのせいです、人のせいにしてないで反省してください」

「仕方ないだろう。――俺は、ツィーさえ助けられればそれでよかった。王国の未来も、帝国の未来も、どうでも」

「わぁああ!天下の王城で、なんてこと言い出すんですか、アンタは!!!」

 誰かに聞きとがめられれば、最悪投獄されかねない。リアムは慌ててカルヴァンの言葉を遮って叫んだ。バクバク言う心臓をなだめながら周囲を見回すが、どうやら不穏な発言を聞いたものはいなかったらしい。

 ほっと一息をついて、リアムは言葉をつづけた。

「まぁでも――なんか、ちょっとだけ、わかる気がします」

「?…何がだ」

「ヴィクター氏ですよ。帝国でクーデターを企ててるっていう時点で、ひやひやしてましたが、あの人なら成功させるだろうな、っていう…」

「そうなのか?」

「ええ。なんか、傑物特有のオーラというか、王者のカリスマ性というか…とにかくすごくて。話してみて、あぁ、権力じゃなくて、この"人"に皆従ってるんだなぁってすごくよくわかりました。きっと、クーデターにしたって、付き従いたいっていう部下はすごく多かったんじゃないですかね?」

「ふぅん…俺はあいつを殺してやりたいとしか思ったことがないから、そういうことには興味がない」

「またまた…もう戦争は終わったんですよ。終始有利に進めた戦で、最後は直々に敵陣に踏み込んだにもかかわらず討ち漏らした悔しさはわかりますが…今日は、今後の国交樹立に向けての会合のために、初めて直接訪れていらっしゃるんです。国の中枢の人員が一斉に詰める近年まれにみる重大会合なんですから、過去のことは水に流して穏やかに――」

「穏やかになんぞ、なれるわけないだろう。――あいつ、ツィーにキスしやがったんだぞ。いつか絶対ぶち殺す」

「そっちですか!!!!?」

 リアムの渾身のツッコミが、真っ白な王城の中にこだました。


 そして、会合が始まり――

 その優秀過ぎる頭脳と圧倒的カリスマで終始有利に話を進めていくヴィクターに、皆が雰囲気に飲まれて何も言えないのを呆れた顔で見ていたカルヴァンが見かねて一言口を挟んだことをきっかけに、そこから王族も特別外交官も宰相もそっちのけで、カルヴァン対ヴィクターの互いの高度な頭脳を駆使したとんでもない舌戦が繰り広げられたりもしたが――

 ――そして、ヴィクターの側近としてついてきた漆黒に身を包むランディアの中性的な美貌に哀れな補佐官が新たな恋に落ちるという茶番もあったが――

 最後は、いつものごとくデッドヒートして表に出て決闘を始めかねない二人をイリッツァとランディアがうまくあしらう形で、何とかうまく会合は着地点を見つけられたのだった。



 カサ…と墓標に手向けた花束がかすかに風に揺れる。膝をつき、黙祷を捧げるその姿は、エルム教の祈りの姿とは全く異なるが、彼らの国では最上位の敬意を表す礼なのだろうと感じさせた。

 国を見下ろすような立地の、厳重な警備が施された一等地。

 黙祷を捧げ終わったヴィクターとランディアが立ち上がると、ふと褐色の肌が思い出したようにこちらを向いた。

「…お前の旦那は、来なくてよかったのか?」

「まだ旦那じゃない……――ここにだけは生涯絶対に来ない、って誓ってるらしいから」

「――そうか」

 褐色の頬が苦笑にゆがむ。哀れみのような、複雑な笑み。

 ヴィクターとランディアを連れて、対外的に両国の友好を印象付ける意味でも、国を案内するという役目を負ったイリッツァは、非公式に交わされた約束を律儀に守りたいと言ったヴィクターの要望に応え、彼の望む通りに墓巡りをした。護衛役として騎士団長のカルヴァンが選ばれたが――最初の二か所までは墓標の前までついてきたというのに、最後の一か所だけは、外で待っていると言って頑として敷地に足を踏み入れようとすらしなかった。――いざとなれば、服の下に無数の暗器を仕込んでいるランディアをはじめ、誰もかれも腕に覚えのある人間ばかりだ。ほんの少しの墓参りの間くらい、護衛など必要ないだろう。

 ちらり、とヴィクターは花が手向けられた墓標へと視線をやる。

「聞いてはいたが――本当に、ガエルの名は掘られてないんだな」

「あぁ――うん。聖女も、聖人も、基本的には俗世と切り離された存在だからな。さっき連れて行った母さんの墓にも、なかっただろ」

 つい先ほどまでヴィクターとランディアが黙祷を捧げていた墓標には、『稀代の聖人 リツィード ここに眠る』と書かれている。

「なるほど。――家族三人、揃って埋めてやりゃいいのに」

「ははっ…そりゃ無理だ。そもそも、聖女も聖人も、家族っていう枠組みに当てはまらない存在だし――母さんは、『愚かな聖女』だ。『稀代の聖人』とは並べない。一応、聖女としての葬儀はされたけど、自分で命を絶ったものは俺らの教義の中では、天に昇れない。――俺や親父と同じ所には行けないとされてるんだ。そんな、禁忌の行いをした者を、英雄やら稀代の聖人と並べて埋葬なんてしてもらえないさ。墓があるだけ、温情措置ってくらいだしな」

「…エルムの教えは、相変わらずよくわからんな」

 どうという風もなく言ってのけるイリッツァに少しだけ痛まし気に眉をひそめ、ヴィクターは小さく嘆息した。

 ふわり――と冬を感じさせる風が一陣吹いて、イリッツァは風に遊ぶ銀髪を抑える。

「そういや、お前の側近こそ、来なくてよかったのか?あの、蛇みたいな顔した奴」

「あぁ――ドナートは、しばらくお留守番だ。純粋培養の帝国軍人の思想で凝り固まってたやつだからな。自分たちの行いが誇れたものではなかったという事実を、頭では理解したようだが、まだ感情が追い付かないらしい。まして――今回は、お前の墓に来る予定だった。さすがに、まだ、世界一敬愛する兄貴を殺された敵の墓に花を手向けるほどの余裕はないさ。…まぁ、じっくり、な」

「なるほど。…じゃあ、俺もいつか、帝国に行って、昔のアルクで首を刎ねた将校の墓参りとかした方がいいか?エルム教の祈りを捧げる形になるけど。……憎き死神、それもエルム教の祈りなんて、相手の神経逆なでしちゃう気もするけど…」

「ハハッ…そうだな。まだ、すぐには、あいつらも受け入れがたいだろう。――もう少し帝国が落ち着いて、両国の関係が真の意味で安定してきたころに、頼もう。…焦るな。まだ、新しい歴史は、始まったばかりだ」

「うん、わかった」

 ふ、と微笑を刻んで頷いた後、ぐるりと周囲を見渡す。

「しっかし――自分の墓に来る、っていうのは、なんとも複雑な気持ちだな」

「まぁ――普通は経験できないだろうな」

「ははっ…確かに。こんな豪勢な墓立てる予算があるなら、恵まれない子供たちにでも惜しみなく与えてほしかったんだけどな、俺としては」

 エルムの説く清貧の心とは真逆の豪勢な墓地に、軽く嘆息して呆れる。飄々とした様子に、ヴィクターは小さく笑いを漏らした。

「イリッツァ・オーム。ここへ連れてきてくれたこと、感謝する。――世の中の誰が忘れても、俺はいつまでも覚えていよう。その昔、泣く子も黙る軍国主義国家イラグエナムを恐怖のどん底に突き落とした、大陸最強の剣士『リツィード・ガエル』は――一人の、心優しき少年であったことを」

「ははっ…そりゃどーも」

(やっぱりお前ら似てるよ――って言ったら、二人とも、全力でぶち切れるんだろうな)

 似たようなことを言いそうな外で待っている親友の顔を思い浮かべ、イリッツァは苦笑に近い笑みを返したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る