第29話 素直じゃなくても、可愛い⑫

 シャツの釦が止まっていることを指先でも確認しながら、急いで玄関に向かう。こんな時間の来訪者に心当たりなどないが、聖女の家にそんな無礼を働きに来るとなれば、よほど火急の用事のはずだ。――暗殺者の類なら玄関から正面切ってやってくるはずもなく、荒事の気配があるなら、ランディアが野良猫より敏感に察知して対処している。

 もうすぐで玄関にたどり着く――というタイミングで、ガチャガチャッと扉が音を立てた。

「へ――?」

(な、なんで――!?)

 明らかに鍵穴から響く聞きなれた音に、心臓が飛び出るほど驚く。

(ど、どっかで合鍵作られた!?えっ!?だ、誰!!!?)

 この家の鍵は、当然だがイリッツァとカルヴァンしか持っていない。まさか、こんなバカでかい、英雄と聖女が住んでいると有名な屋敷を、自分の家と間違えた、などという愚か者はいないだろう。

 咄嗟に腰に手をやるが、そこに愛剣はなく、心もとなさにごくり、とつばをのむ。

 ガチャガチャッ ガチャンっ…

(開いた――!?)

 驚愕に目を見開き、咄嗟にこぶしを握って腰を落とす。何かあれば、素手でも魔法でも対処できるよう、一瞬で神経をとがらせ――

「ツィー!」

「へ――――――ぅわ!!!!?」

 バンッと勢いよく開けられた扉から、真紅の装束を着た長身が飛び込んできた。

 その勢いを殺さぬまま、タックルでもされたのかと思う勢いで、全身を抱きすくめられる。

「えっ!!??えっっ!!!?ヴィ、ヴィー!!!?なんで!!!!????」

「っ…ツィー…っ!会いたかった――!」

「え、いや、ちょ、待っ――あと四日は帰ってこないんじゃ――」

「阿呆か…!んなもん、死ぬ気で終わらせて即行で帰って来た!!!」

(い……いやいやいや、それにしても四日もスケジュール巻くってどういうことだよ…!!!)

 カルヴァンの口からきいた予定も、リアムに見せてもらった手帳の予定も、しっかり遠征は一週間を予定されていた。当然、それは彼らの経験に基づく正確な予測で立てられた予定だったはずだ。努力や運で一日二日予定が変わることはあるかもしれないが――四日、というのは尋常ではない。

(り…リアムがまた涙目で嘆いている幻聴が聞こえる…)

 こんな離れ業を可能にする陰には、絶対にあの金髪童顔の補佐官の尊い犠牲があるはずだ。イリッツァは心の中で神に彼の心を労ってもらえるように祈りをささげる。

「ツィー…!」

(ぇ、あ、わ――)

 ぎゅぅっと一際強く抱きしめたかと思うと、堪え切れない、といった様子でカルヴァンは囁くようにいつもの愛称を呼んで、イリッツァの顔を無理矢理上げた。

 さすがに、この一年何度も同じようなことがあった今は、その次の展開が予想出来ない程ではない。イリッツァはハッと息をのみ――

「ちょっ、ま、待て!」

「―――」

 慌てて近づいてくる顔を手で押さえてストップをかけると、明らかに気分を害した様子の不機嫌な灰褐色がジロリ、とイリッツァを眺めた。

「ぁ、いや、そ、その――と、扉、開いた、ままだし…」

「知るかそんなこと――!!!」

「だだだダメだって!これは屋外カウント!!!」

「こんな時間に出歩いてる奴なんかいないだろ…!」

「だ、ダメだって、ダメ!!!こら!!!!」

 抱きしめるを通り越して、抱き上げると言った方が近しいくらいに渾身の力でイリッツァを抱いたまま問答無用で口づけを落とそうとするカルヴァンを必死にとどめる。

(ま、まだ、心の準備が――!)

 文具屋で、リリカとのやり取りを見た後からだ。

 あの時、二人は結局キスしていなかったということはわかったはずなのに――こうしてキスを迫られると、あの時の光景がフラッシュバックして、どうにもカルヴァンと口付ける覚悟が持てない。

「お前っ…強情なのもいい加減に――!」

 必至で抵抗するイリッツァに、カルヴァンが青筋を浮かべた瞬間――

 カタン…

「―――――」

(えっ…!?)

 屋敷の中から響いた物音に、サッとカルヴァンの視線が険しくなる。

「――誰かいるのか」

「えっ、あ、いや、え、えっと――」

(あ、あれっ…ヴぃ、ヴィーには正直に言っていいのか…!!??)

 ランディアに『訪問者が誰であっても』と念を押された言葉が蘇り、咄嗟の判断に迷う。その様子を見て、カルヴァンがぎゅっと訝し気に眉根を寄せた。

「待ってろ。――見て来る」

「ぁっ、いや、ちょ、待っ…ヴィー…!」

 イリッツァに心当たりがないなら、それは招かれざる侵入者に違いない。カルヴァンは鋭い視線のまま帯剣した剣に手を当てて、迷うことなく物音が響いた寝室の方へと足を向けた。イリッツァも、慌ててカルヴァンの後を追う。

(あ、わ、ど、どうしよ――俺じゃ判断がつかない――!)

 ランディアの仕事の詳細を聞いているわけではないイリッツァには、カルヴァンとのこのタイミングでの接触が良い物なのかどうかの判断がつかない。ランディアが逃げおおせるだけの時間を稼ぐべきかどうか迷っているうちに、カルヴァンはイリッツァを無視して寝室の扉を開け――

「――――…」

 カルヴァンが踏み込んだ寝室は、開け放たれた窓から吹き込む風でカーテンがハタハタとはためき、既にもぬけの殻となっていた。カルヴァンはそのまま窓へと近寄り、外に向かって鋭い視線を投げているが、ランディアのことだ。痕跡など残してはいないだろう。

(…よかった……逃げられたんだ)

 ほっとイリッツァは安堵のため息を吐く。そして同時に、やはり今日彼と顔を合わせるのはまずかったのだと悟り、焦ってカルヴァンに事情を説明しないで良かった、と心からほっとした。

「ツィー…?」

「えっ?あ、ご、ごめん、何でもない」

 怪訝そうな声をかけられて、ハッと顔を上げる。カルヴァンはじっともの言いたげにイリッツァを見つめていたが――ふっと軽く頭を振って、開け放たれた窓を閉めると、疲れたように寝台へと腰を下ろした。

「あ…つ、疲れてる…?」

「当たり前だ。こんな強行軍、疲れないわけがない」

「そ、そっか。そりゃそうだな。…っていうか、なんでそんなに――」

「書置き、しておいただろう」

 カルヴァンは溜まった疲労を散らすように、眉間のあたりを抑えるようにしながらため息に音を乗せるようにして呻く。

「――帰ったら、ちゃんと、話がしたい。そう伝えたはずだ」

「あ――…」

 ドキン…と胸が鳴る音が聞こえた。

 イリッツァも、同じくきちんと話がしたいとは思っていたが――あと四日後だと思っていたので、心の準備が不十分だ。

「とりあえず、こっちにこい。ここに座れ」

「う…うん……」

 ぽんぽん、と隣を叩くようにして誘われ、固い声でうなずいてからそっとカルヴァンの隣に腰掛ける。ギシッ…とイリッツァの軽い体重を受け止めるように、小さな音を立ててスプリングが軋んだ。

「何から話すか――まず、文具屋で遭遇した件だが――」

 恐らく相当疲れているのだろう。カルヴァンの声に張りがない。

 肩のあたりに手を当てて、ストレッチするように首を倒しながら口を開いたカルヴァンに、魔法で疲労を取ってやった方が良いだろうか、とイリッツァが迷っていると――

「――――――――」

 ピタリ

 不自然にカルヴァンが動きを止めた。

 じっ…と寝台に視線を落としたまま硬直し、言葉も紡がないその様子に、イリッツァは疑問符を上げる。

「か…カルヴァン…?」

「――――」

 イリッツァの問いかけにも応えることはなく、耳に痛い沈黙が部屋に落ちる。

 カルヴァンは無言のまま、肩に当てていた手をゆっくりと寝台に下ろし、シーツの上から何かを探るように何度か軽くポンポン、とその手を上下させる。

「ヴィー…?」

「――――どうやら、先に話をするのは、お前の方らしい」

 押し殺した様な低く轟く声に、ビクッと肩が揺れる。

「え――?な、何言っ――」

 イリッツァの言葉もまた、途中で途切れる。

 カルヴァンは、ポンポンと何かを確かめていたシーツの下に無造作に手を突っ込み――ゆっくりと、その下に隠れていた物を引き出した。

 パキン…と、部屋の空気が凍り付く。

「さて――――説明、してくれるな?ツィー」

 隠し事はなし。本音で話せ。

 その決まりを思い出させるように、地の底から響く程低い声が唸る。

 シーツの下から引き出されたカルヴァンの手には、どこかで見覚えのある、漆黒の下着が握られていた――

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