第28話 素直じゃなくても、可愛い⑪

 ランディアが来てから二日目の夜――二人は再び、寝室にいた。

「なぁ――ほ、本気か…!?」

「あーもう、剣を持った時はあんなに強気なのに、変なところで逃げ腰だなぁ、リッツァは。いいからほら、脱ぐ脱ぐ!」

 しっかりとカーテンを閉め切った部屋の中で、ランディアはやや強引にイリッツァのシャツを脱がしていく。

「わー、やっぱり。滅茶苦茶色気ないー!」

「っ…わ、悪かったな…!っていうか、色気なんか、いらないって言ってるだろ…!誰に見せるわけでもないのに…!」

「ダメダメ。あの文具屋のオネーサン見たら、そんなこと言ってられないよ?カルヴァンの浮気の原因はリッツァにもあるって反省して!」

「ぅぅぅ…いやでも、もう――」

「はい、つべこべ言わず脱ぐ!そして、買ってきた下着を着ける!」

 言いながらも、最初からイリッツァに任せる気などなかったようだ。ランディアはお世話係のころの手際を思わせる素早さでイリッツァの色気の"い"の字もないベージュのシンプルなお子様下着をはぎ取り、昼間に一緒に行った下着屋の紙袋をガサゴソと漁って赤いレースの下着を取り出した。

「やっ…やややややっぱおかしいってそれ、絶対おかしいって!!!!聖職者が付けるような下着じゃない!!!」

「えー?リッツァ、他の女の子の聖職者の下着姿見たことあるの?エッチ」

「み、みみみみみ見たことはないけどっ!!!!でででででもっっ!!!」

「じゃぁもう一枚買った黒のやつにする?こっちもすごく似合うと思うよ。赤のよりも繊細なレースだし、リッツァの白い肌に映えそう。僕は黒の方がおススメだなぁ」

「どどどどどどっちもおかしい!!!!!せ、せめて、し、しししし白のやつ!!!!」

「えー。ダメダメ。これは、夏場とか、薄着するときに外に色と素材を響かせないためのやつだよって言ったじゃん。普段使いするやつじゃないの」

「い、いいいいい意味が分かんない!!!!」

 イリッツァは泣きたくなりながら胸を隠して必死に抵抗するも、ランディアは聞く耳を持たずにさっと下着を見事な手際で着け始める。

 神殿の奥に引っ込んでいた数日間から、捕虜だった時まで、当たり前のように着替えも風呂も手伝ってもらっていたため、今更彼に下着姿を見られようが裸を見られようが恥ずかしいなどという気持ちは一切ないが、彼が今手に持っている下着を身に着けることは死ぬほど恥ずかしい。勘弁してくれ、と思わず聖印を切ったくらいだ。

「いい?リッツァ。そもそも、女の子の下着って、ただなんとなく着けるんじゃないんだよ?着け方一つで、胸のサイズも見え方も全然違うんだから」

「ぅぅぅぅ…」

「男の僕でも女っぽく見えるくらいなんだから、下着っていうのは、女らしい線を作るためにすごく大事なの。ちゃんと教えてあげるからしっかり覚えて」

「ほ、ほんと…勘弁してくれ…!」

 何故か急にランディアがここまでやる気になったのは、今日の昼間、下着屋に行く途中で王都の小さな公園の前を通りかかった時だった。見覚えのある栗色の髪が、ぱっとはじけてイリッツァを呼び止めた。顔を上げてみれば、甥っ子たちを遊びに連れて来ていたらしい、リリカだった。

 一言二言会話をしただけだったが、その内容から、彼女が昨晩話題になっていた女だと察しただろうランディアは、リリカと別れて姿が見えなくなってから、呆れた顔でイリッツァを見たのだった。

『――え。まさか、アレに負けたの?』

『は、はぁ…??』

『っていうか、リッツァが深刻な顔するし、『忘れられない女』とか『特別』とか言うからもっとガチの感じかと思ったら――何あれ。完全に体だけじゃん。浮気も浮気、本当に体だけ、全然気持ちもない相手でしょ』

『え――あ、いや、えっと…』

『あれにリッツァが負けるところがあるなんて信じられない。もしそうなら、カルヴァンの趣味が悪すぎる。――顔も、性格も、ちょっとした仕草も表情も、全部リッツァの方が全然いい。全然かわいい』

『いやでも、すごい色っぽくて――』

『下品、の間違いでしょ。色気の出し方なんて、乳出すだけじゃないんだし。リッツァだって、ちょっと練習すればいくらでも出せる。――男の僕ですら<女の色気>はいくらでも出せるんだから』

(お前のはちょっと特殊なやつじゃん…)

 間者として潜入する任務でハニートラップでも仕掛けることがあるのか、当たり前のように言ってのけるランディアに心の中でツッコミを入れる。

『あんなのに誘惑されてほいほい引っかかるなんて、どんな節操無し?ありえない』

『いやだから、あいつはそんな節操無しなんだって――』

『違う。絶対違う。僕は仕事柄たくさんの人間を見てきたからわかるけど、カルヴァンみたいな男は、ああいうタイプの女にわかりやすく誘惑されても絶対乗ってこない。あいつ絶対、女のハニトラ効かないタイプだもん。この仕事のプロとして断言してあげる』

『いやいやいや、本当、あいつは昔から下半身で物事考えるような男で――』

『ゲームとして女を抱くタイプでしょ?抱きたいと思った女はいつでも好きに落とせると思ってるから、相手からどんなに誘われたって、気が向かない限り抱かないよ、ああいう男は。誘惑に乗ってあげるときは、相手が一生懸命落とそうとしているその様子すら楽しんでニヤニヤ眺めてるようなタイプだよね。誘惑に引っかかったふりをしてあげて、いい気になってる女を見て楽しむの。基本的に人を掌の上で転がしたい、主導権を常に自分で持っていたい、そういう男だよ。しかも、情事の最中もずっとどこか冷静で、絶対に余裕崩さないタイプ。前後不覚にさせて情報抜き取りたいこっちからすれば本当にやり辛くて、仕掛けるだけ無駄、むしろリスク、っていうタイプだ』

『な…なんだそれ……』

 いきなり始まった間者としてのプロファイリングに、イリッツァは舌を巻いて呻くが、心当たりがないわけでもない。剣の手合せの時だって、いつもカルヴァンは受け身から始まる。――相手の出方を見極め、自分のテリトリーに引き込み、策に引っ掛け、その途中でいつの間にか優位に立つ。そもそもが何物にも縛られたくない、と豪語しているような男だ。女に主導権を握られていいように扱われるなど、彼のプライドが許さないだろう。

『実際、カルヴァンはキスしなかったんでしょ?じゃあ、まだ現時点では、リッツァ一人を愛しているわけじゃん?なら、これからリッツァがカルヴァンを虜にして、浮気なんかさせる間もないくらい夢中にさせれば、結婚式で神様の前で誓っても何も問題なくない?』

『そ、そんなの無理だ!』

『なんで』

 ランディアは半眼で問い返す。イリッツァは周囲を見回して人目がないことを確認してから、小さな声で反論する。

『む、無理だよ…今回は、たまたま、大丈夫だったけど…そもそも俺は、"女"としてあいつを満足させられない。第一、結婚式まで、まだあと一年もある。それまでの間に、あいつが間違いを犯さないなんて――』

『いやちょっと待って。なんで君、努力しない前提なのさ』

『へ…?』

『努力したらいいじゃん。"女"として満足させたらいいじゃん』

『な――!』

『っていうか、してないの?努力。カルヴァンに任せっきり?それで、心変わりとか、ついうっかり魔が差した浮気とかを責めるのは酷くない?――わかる?努力って言うのは"愛される努力"だよ?』

『ぅ――』

 友人だからこその歯に衣着せぬ物言いに、イリッツァは一瞬押し黙る。ランディアは呆れた顔でつづけた。

『そもそも、現時点ではどこまで満足させられてるの。――最後にエッチしたのはいつ?』

『ばっ――!す、すすすすするわけねぇだろ!!!!!』

 思わず裏返った声で叫ぶと、ランディアは驚きに目を瞬いた。かぁああっとこれ以上なく真っ赤に顔を染め上げてから、慌てて周囲を見渡し――これ以上あけすけな話題をされないようにランディアの耳元に唇を寄せてそっと経緯を離した。

『――え。うそ。二年!!!?二年、お預けしてるの!!!?』

『あ、あああああ当たり前だ!!!聖職者だぞ、俺!!!!』

『え…毎晩、同じ屋根の下にいて??同じ布団で眠ってて???嘘、なんか、急にカルヴァンが可哀想になって来た……』

 眩暈を堪えるように瞳を覆って大袈裟にランディアが呻く。今ここにカルヴァンが居たら、よくぞわかってくれたとがっちり男同士の固い握手を交わしていただろう。

『あーもう、わかった。わかった、なんか、だいたいわかった!!!』

『え…?ディ、ディー…?』

『今日の買い物は、僕主導で進めるからね!異論は聞かないから!僕が選んだものを、絶対文句を言わずに全部買い取ること!いいね!!?』

『え、あ、は、はい――…』

 その剣幕に押されて、思わずうなずいてしまって――

 ――結果、イリッツァ基準ではとんでもなく大胆な下着ばかりを選ばれてしまったのだ。

「ほら、こうして着けるだけで、かなり胸が上がって見えるでしょ?張りも出るし、服を着た時の線も綺麗だ。――はい、じゃあ、次は自分でやってみて。僕が帰ってからも、独りで着けられるようにならないといけないんだから」

「ぅ……」

 パチン、と下着をもう一度外されてしまい、泣き言めいた声が漏れる。本当に勘弁してほしい。

 しぶしぶ言われたことを思い出しながら、慣れない手つきで下着を着けていると、ランディアはため息を吐いてそれを眺めた。

「何不服そうな顔してるのさ。――言ったでしょ?ちょっと練習すれば、リッツァだって<女の色気>なんか簡単に出せるの。その第一歩だよ。こういうのが、"愛される努力"の一つなの」

「でも、い、色気なんて出したところで――お、俺は、もう――」

「あー、はいはい。わかったわかった。しっかりカルヴァンと話し合えばいいよ。――絶対リッツァが思ってるような方向には転がらないだろうから」

 呆れた声でランディアは適当にあしらう。イリッツァは軽く唇をとがらせて不満そうな顔をした。

 くす、と吐息で笑うと、ランディアはボスっとベッドに腰掛ける。

「安心しなよ、リッツァ。確かに、状況だけ聞けば、そりゃぁ二年もお預けされたら、許してくれないお前が悪い、気持ちはなくて体だけの関係なんだからいいだろって言って浮気に走るのも仕方ないかなと思うけど――」

「ぅ゛っ…」

「――でも、今回、あの女に誘われたのにキスしなかったんでしょ?」

 ごろり、と我が物顔でベッドに転がりながら、苦笑を刻んで下着に四苦八苦するイリッツァを眺める。

「じゃあ、大丈夫だよ。――カルヴァンの中で、キスは『浮気』の範疇に入ってるはずだ」

「え…?」

「ああいうタイプが、気持ちなんかなくても女を抱けるのは確かだろうけど。――でも、性欲満たすためだけに他の女で代替したいって思うなら、ああいう男は、二年お預け、ってわかった瞬間に最初からサクッと女の子抱いてるよ」

「――――は――…?」

「そもそも、キスごときで終わるわけない。やるならさっさと最後までやるはずだ。――性欲満たすためなんだもん、キスだのデートだの、意味ないじゃん。昔の女に声かけるにしても、夜に訪れてやることだけやって帰るとかするはずだ。商売女とか抱く方が、トラブルにもならなくて話が早そうだけど」

「――――――あ」

「ん?心当たり、あった?」

 ランディアが眉をはね上げて聞いてくる。イリッツァは、同居を始めたばかりのころの夕焼けを思い出していた。

「そういえば、声かけてきた花売りに相手してもらおうとしてた。婚約したばかりのころ」

「ほらやっぱり。一年近くも引っ張ったりしないよ。サクッと済ませるでしょ」

「いやでも――結局、それから、花売りの女の子とは何もないみたいだぞ。リアムに確認したけど、娼館に行ってるような暇はなさそうだったし」

「現時点でしてないなら、やっぱり、彼、リッツァ以外の女の子とは体の関係どころかキス一つしてないよ。きっと、これからもずっと。――女の子を弄んでるわけじゃないから、涙を流す哀れな王国民はいない。一年後の神様への誓いでも、嘘はない。――これ以上、何か問題がある?」

「えぇぇぇ…俺の中のカルヴァンのイメージと違いすぎて、どうしても信じられない……」

 息をするように王都中の女を口説いては泣かせまくっていたあの悪童のイメージが、どうしても邪魔をするのだ。

「あ、無事に着られた?見せて。――うん、いい感じ。もうちょっとここをこうしてあげると、もっと色気が出るよ」

「ぅ…」

 胸の周辺の肉を寄せて上げられる羞恥は言葉にならない。必死に頬の熱を逃がしながらイリッツァは視線をさまよわせた。

 くすり、とランディアが吐息だけで嗤う。

「もう…僕に言わせれば、この上にシャツだけ羽織って上目遣いで涙浮かべて『俺以外の女の子見ないで…!』とか言えば、一瞬で解決する気がするんだけど」

(まぁ、その場で無理矢理パクっと食われる可能性も高いけど)

 心の中で付け足しながら、ランディアは提案する。カルヴァンの浮気を疑い、防ぎたいなら、イリッツァが女らしさを出して他へ目移りさせなければいいだけなのだ。そしてそれは、仮にイリッツァがたどたどしい振る舞いでしかできなかったとしても、そのたどたどしさすらカルヴァンを煽る要素となり、どんな場合でも高確率で成功するだろうことも、ランディアはなんとなく予想がついていた。

「それは出来ない――俺は、どこまで行っても、『聖女』だから」

 ふ、とイリッツァが漏らす笑みは、苦笑に近い。

 融通の利かない友人に、カルヴァンのことを不憫に思いながら、ランディアはふわりとシャツを羽織らせながらイリッツァに尋ねる。

「カルヴァンが帰ってくるのはいつだっけ?」

「えっと――帰ってくるまでに一週間はかかるって言ってたから、あと四日くらいじゃないか?」

「そっか。さすがにそんなに長期滞在するわけにもいかないからなぁ…」

「え?」

「いや、少しでもリッツァに"愛される努力"っていうやつを叩き込んでやろうかと――ぅん??」

 何やら不穏なことを言ったランディアは、途中で言葉を切って窓の外に視線をやる。

「ディ…ディー…?」

「ん――…お客さん、みたいだね」

「へっ!?こんな時間に!?」

 窓の外をじっと見て何かを考えるようなそぶりを見せたランディアの言葉に、イリッツァは驚いて聞き返す。外は既に真っ暗で、もうすぐ日付が変わろうとしている時間帯のはずだ。

「ごめん、リッツァ。僕、一応お忍びで来てる身だし、"仕事"が終わるまで、この国の中で素性や行動が知られると困る人間もいる。今から変装するわけにもいかないから、訪問者が誰だったとしても、僕が来ていることを言わないでほしい」

「えっ、あ、う、うん、わかった」

 すっと仕事の顔になったランディアに返事を返しながら、慌てて羽織ったシャツの釦を留めていく。ランディアの能力に疑いはない。こんな時間に誰が、と訝る気持ちはあるが、訪問者が来ることそのものを疑うことはなかった。

「ほら、もうすぐ玄関に来るよ。――もしものことがあったら困るから、出来れば玄関先で追い返してくれないかな?」

「お、おう!寝室から出てくるなよ!」

「勿論」

 ランディアは笑顔で玄関に向かっていくイリッツァを見送る。

 パタン――と寝室の扉が閉まった後、ランディアはニヤリ、と口の端を吊り上げた。

「さて――ちょっと、荒治療だけど、リッツァには頑張ってもらおうかな」

 

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