第24話 素直じゃなくても、可愛い⑦
それは、まだイリッツァがカルヴァンの屋敷に来たばかりのころだった。
どうしても治安が悪くなりがちな王都の路地裏の傍で炊き出しを行い、住居を持たない人々のための奉仕活動をした日――聖女であれば絶対にそんな活動はしないが、普通の聖職者として参加したいとイリッツァがごねたため、まだ聖女が市井に下るという感覚がピンと来ていない周囲を納得させるために、仰々しく騎士団が護衛に付く羽目になった。
「なんでお前が来るんだよ…」
「職権って言うのはこういう時に乱用するもんだ」
現れた真紅の装束を着たカルヴァンに呆れて呻くも、ニヤリと悪童のように笑って言われてしまっては何も言えない。きっと、兵舎に残されたであろうリアムは今頃涙目で上官への恨みごとを叫んでいるだろう。聖女が炊き出しを行うこともありえないが、その程度の護衛に騎士団長が自ら来ることもおかしい。
「まぁ、こっちも人手が足りないからな。複数人割く余裕がないなら、腕利きの一人で賄うしかない」
「…だから、お前が来たと?」
「そういう論理でリアムを黙らせた」
「――――…お前、いつかほんと、リアムに後ろから刺されるぞ…」
哀れな補佐官を思って聖印を切り、神に金髪の童顔青年の幸せを祈る。今度、胃痛に効く薬をランディアに調合してもらおうか。
そんなこんなで、英雄と聖女が広場にいるということで周囲が騒がしくなるハプニングがあったものの、ひとまずなんとか仕事を終えたのが夕暮れ。最後の片付けを手伝っている間、少し離れたところでイリッツァを視界に入れながら邪魔にならない場所で佇んで待っていたカルヴァンに、近寄る影があった。
(――…?)
近付いてきたのは見知らぬ女だった。年若い遠目に見ても美しい女が、胸に白い花を挿して、親しげにカルヴァンに話しかけている。
「せ、聖女様…あ、あれはよろしいのですか…?」
同じく様子に気づいた修道女が、蒼い顔でイリッツァを伺った。
「……?何がですか?」
「は、花売り、でしょう…あの女…」
(花売り――)
普通の花屋にしては、周辺に売り物の花は見当たらない。彼女が持っているのは、その胸に挿した白い花だけだ。
(ってことはつまり――って、あ…)
余り耳馴染みのない単語の意味をぼんやりと知識の縁から思い出そうと試みるうちに、女は怪しげな色香を含んだ流し目で、そっとカルヴァンに寄り添うように距離を詰め、囁き声で何かを会話し始めた。ひっ、と何故か隣の修道女の方が悲鳴のような声を上げている。
花売り――端的に言えば、娼婦だ。
白い花は、今夜のお相手募集中。赤い花は、声掛け禁止。
カルヴァンに声をかけている女は白い花を挿しているので、つまりは客引きなのだろう。
前世では聖女の息子として有名だったリツィードは、当たり前だが花売りからの客引きになど遭ったことはない。そもそも、未成年を誘惑して金を得る行為はクルサールでは違法だ。ナイードは田舎過ぎてそんな店は無かったし、個人でそんなことをしている女がいたとしても、聖職者であり女でもあったイリッツァの目や耳に入るようなことはなかった。
故に、花売りというのは、頭の片隅に知識として聞いたことがある…という程度でしかなく、イリッツァにしてみれば未知との遭遇に他ならなかった。
「なるほど。ああして声をかけるのですね」
「せ、聖女様!?どうしてそんなに冷静なのですか!?」
婚約者が誘惑されているのに――とでも言いたげな若い修道女に苦笑めいたものを返す。カルヴァンが女にモテることなど、十五年前からわかりきっているので、今更なんとも思わない。
どちらかと言うと初めて目にする花売りの存在に好奇心を掻き立てられて、二人の様子を見守る。しなだれ掛かるようにして女は身体を擦り寄せ、長身のカルヴァンの耳元に背伸びするようにして口元を寄せた。爪先立つ女の不安定な身体を支えるように、すっと当たり前のように軽く腕を回す辺り、カルヴァンは生粋の女たらしだろう。
「なっ……な、ななななっ…!!!?」
イリッツァと言うものがありながら――そしてあろうことか本人がいる目の前で――女と密着し濃密な雰囲気で睦み合う様子に、隣の修道女が言葉を失う。
(やれやれ…)
修道女の反応は、どこまでも聖職者として正しい。イリッツァは心の中で嘆息して、観察をやめてカルヴァンの方へと歩き出した。
「こんばんは」
「―――!!?」
背後から声をかけられる形になった女は、驚いて振り返る。
「えっ!?せ、せせせ聖女様!?」
どうやら今日ここにイリッツァがいることを知らなかったらしい。酷く混乱した様子で目を白黒させる花売りに、哀れに思いながらも聖女の慈愛の笑みを浮かべる。
「はじめまして。…あなたは、そのお仕事を望んでされていますか?」
「えっ!?えっ!?」
「望んでされているのであれば、違法行為を行わない限り何も問題ないのですが――もしも、望まぬ事情でやむなくされている場合は、一度、教会へお越しください。微力ではありますが、お力になれることでしょう。エルム様も、あなたのような年若く美しい女性には、心からの笑顔でいて欲しいと思っていらっしゃるはずです」
「っ――――!」
優しく完璧な聖女の笑みで信徒を導く言葉を口に乗せると、花売りはサッと顔色を変えて、カルヴァンから離れる。まだ公になってから日が浅いとはいえ、さすがに国中を賑わせた王国騎士団長と聖女の婚約発表の報は知っているらしかった。
「っ…最低っ……断るならさっさと断りなさいよ…!」
花売りは憎々しげにカルヴァンに吐き捨てると、ペコリ、とイリッツァに頭を下げて走り去っていった。一人の人間との永遠の愛を貫くことが素晴らしく、性欲に溺れることは愚かなことと説くエルム教の教義を考えれば、あの花売りが敬虔な信徒とは思えないが、王国民であるからにはエルム教徒であることは確かなのだろう。聖女に対して最低限の礼節をわきまえる程度の常識はあるらしい。
女が去った方を見送ってから、イリッツァはチラリと長身を見やる。
「あー…いや、ツィー。別に、今夜の誘いに乗ろうと思ってた訳ではなくてな…あれは昔馴染の――」
何やら苦い顔でモゴモゴと言い訳を始めた婚約者に、呆れたため息を吐く。
「いや、言い訳とかいいから。周囲の目を気にしてくれ。お前、もう、『聖女の夫』なんだぞ。昔みたいに、簡単にそこら辺の美女に鼻の下伸ばしてたら信徒に袋叩きに遭う。過激な奴らだっているんだから」
「それは面倒だな…」
鼻の頭に皺を寄せて呻いたあと、カルヴァンはイリッツァの頭を見下ろした。
「ちなみに、参考までに聞きたいんだが」
「?」
「この前、浮気したらぶっ殺すって言ってただろう」
「――あぁ…」
少し前に、求婚された時に口走った内容を思い出して返事をすると、カルヴァンは灰褐色の瞳を少しだけ気まずげに眇めて口を開いた。
「…浮気って、どこからだ?」
「……………は…?」
問いかけの意味が理解出来ずに、ぽかん、と長身を間抜けな顔で見上げる。カルヴァンは目を眇めたまま左耳を軽く掻いた。
「だから、定義の話だ。人によって違うだろう」
「は………???」
「勿論、お前以外に惚れるとかそんなことはありえないが――身体の関係を持ったらアウトか?その場合、相手が商売女でもアウトか?身体の関係ってどこまでだ?挿れなかったらセーフか?」
「――――――」
「それとも、キスでもアウトか?添い寝するだけ、デートだけ…色々あるだろう。極端な奴は、他の女で抜いたり会話したりするのも嫌だとか言う」
ぱちぱち、とイリッツァの薄青の瞳が何度か瞬かれる。
人生で、リツィードの頃から、性的なコンテンツとは全力で距離を取ってきた彼女にとって、カルヴァンの言葉はもはや外国語に近い。一生懸命意味を理解しようと頭を回転させ――
「――いや。『どこから』って何だよ。なんでギリギリを攻めようとしてんだよ。お前が『これ浮気かな』と一瞬でも頭に過ることは全部浮気だ」
「あー………なるほど……そういうタイプか…」
何故か絶望的な声を上げて空を仰ぐカルヴァンに、イリッツァはやや軽蔑の眼差しを送る。
「婚約したっていうのに、浮気願望あるのか?さすが王都一の女たらし」
「阿呆か。お前が抱かせてくれるならそんな気微塵も起きない。――二年間の性欲との付き合い方を考えてただけだ」
「………へぇ。つまり、さっきの女の子に相手をしてもらおうと」
冷ややかな視線を投げると渋面と嘆息だけが返ってきた。素直なことは必ずしも美徳とは言えない、というお手本のようだ。
「あいつは馴染みの相手で、やりやすいんだ。信仰心も薄いから、イケるんじゃないかと思ったんだが――無理っぽいな。あの様子だと」
「当たり前だろ。お前、聖女の存在を軽く考えすぎだ」
女の敵の称号を恣にするカルヴァンに、凡そ婚約者に向ける視線とは思えぬ冷たい視線を送る。
「…っていうか、お前、趣味変わったのか?」
「?…何がだ」
「昔は、商売女なんか抱く気にならないって言ってたじゃん」
「あぁ――…」
灰褐色の瞳が一瞬宙をさまよったのは、気まずさではなく単純に記憶をたどったからだろう。リツィードと交わした過去の記憶から、そんな会話をしたことをひっぱり出す。
「当時まだ未成年だったってのはあるけど――金を出して女を抱くなんて信じられない、って言ってたじゃん。女の敵」
冷ややかに言われて、左耳を軽く掻いて押し黙る。――確かに昔、そんなことを言ったかもしれない。
当時、王都一の女たらしという不名誉な称号を恣にしていたカルヴァンは、女から金をもらうことはあっても、自分から払ってお願いして相手をしてもらうなどということはありえなかった。商売女など相手にしなくても、その辺を歩けばタダで美しい女を簡単にひっかけられる。花売りを買うなんて金の無駄だ、と親友相手に最低な発言をした記憶が蘇った。
「まぁ…当時そう考えていたのは嘘じゃない」
「…何だよ。大人になって趣味が変わったのか?」
「まぁ……そういうことにしておく」
鼻の頭に皺を寄せて、珍しく歯切れ悪く呻かれて、イリッツァは疑問符を上げる。
「そんなことより、もう片付けはいいのか」
「あっ、そうだった!もう少し待ってて」
はっと我に返ったイリッツァは、言い置いてパタパタと聖職者の集団へと戻っていく。一連の流れを見ていたのだろう、汚物を見るかのような視線を投げて来る聖職者の視線をさらりと受け流して、カルヴァンは再びイリッツァを視界の隅に入れながら、彼女の仕事が終わるのを待った。
(こうして考えると、本当にあいつは異色なやつだな…)
軽蔑しきった視線を投げて来る他の聖職者たちの反応は、どこまでも正しい。女の敵、というイリッツァの言葉通りの評価が聖職者の頭には浮かんでいるはずだ。
だが、イリッツァの発言を聞く限り、彼女自身はどうやらそんなことを気にしてはいないらしい。
『聖女の夫』という称号を得てしまうのだから、周囲からの見られ方が変わる――今後はそのことを念頭に置いた振る舞いをしろよ、と釘を刺しに来たに過ぎない。実際、かなりきわどい距離感で婚約者にしなだれかかっていた露出の多い女を前にしても、聖女らしく王国民を救うためのありがたい教えを説いて、手を差し伸べたくらいだ。
(わかっていたが――嫉妬、なんて感情とは無縁なんだろうな…あいつは)
もともと、カルヴァンが生粋の女たらしであることを熟知しているイリッツァは、今更彼が女と親しくしているところを見たところで「…まぁ、カルヴァンだしな」の一言で納得してしまうのだろう。トラブルの種になり得るから、人目を気にして振舞え、と思うだけだ。
以前から薄々感じていたが、どうにも、彼女は自分を男として見ているかどうかが怪しい。求婚を受けてくれたとはいえ、体の関係は必死に拒絶する上に、友人らしい気安い付き合いを好む傾向がある。
(…まぁ、いい。わかってて口説いたしな)
どうせ、惚れた弱みがこちらにあることは明らかなのだ。婚約という形で、外堀はしっかり埋めた。もはや彼女は逃げられないのだから、これから時間をかけて、ゆっくりと男として意識してもらえるように口説いていけばいい。
ちらり、と顔を上げると、イリッツァは年若い修道士と笑顔で会話を交わしている。
「――…近くないか…?」
ボソリ、と口から出た声音は、予想以上に低かった。チリッ…と不快な靄が胸中に広がり、憮然とした表情になるのを止められない。自分ばかりが惚れているような感覚に捕らわれ、面白くないものを抱えながら、嘆息と共に無理矢理その感情を締め出す。まさか、自由をこよなく愛する自分が、誰かを束縛したいと思うときが来るとは思わなかった。――嫉妬、などという感情は、自分にこそ無縁だと思っていたのに。
(二年――――二年、か――…長すぎる…)
呆然とした気持ちで瞳を閉じて、胸中で呻く。
話しかけてきた花売りは、イリッツァと再会する前の一、二年ほどで馴染みとなった女だった。今日は、客引きをしようと外を歩いていたらカルヴァンの姿を見つけたのだろう。金払いも良く、割り切った付き合いをしてくれるカルヴァンは理想的な顧客だ。これ幸いと、気合を入れて全力で誘って来たのだろう。王都の路地裏近くには、今を時めく花売りがよく出没する。
(商売女なんか相手にするようになったのは、お前のせいだろ、馬鹿野郎…)
言っても仕方ない八つ当たりを心で婚約者にぶつけて、ゆっくりと灰褐色の瞳を開く。
リツィードが処刑されてから――カルヴァンの心は一気に凍てつき、誰も寄せ付けることが無くなった。表情も『鬼神』と恐れられるほどに強張り、常に不機嫌が張り付いているように厳しい空気を纏って、近づくものを皆斬り付けるような鋭さを身に纏っていた。事件の後、早く死にたい、としか思わなくなった絶望の淵で、以前のように戯れに女を抱く気になど到底なれなかった。昔は現実逃避の手段としていたはずだったが、そんなもので忘れられるようなトラウマではない。そもそも、王都に居る以上、誰もかれもが、リツィードに石を投げた可能性がある。そんな相手を殺したいと思いこそすれ、抱きたいなどと思うはずがなかった。
騎士団長などという地位を手に入れた後はもっと厄介だった。外見上女に好かれやすいことは自覚していたが、そこに権力という面倒なものを付与されたせいで、女の媚が昔以上に鬱陶しくなった。結婚を迫ってくる女は本当に面倒以外の何物でもなく、権力に目がくらんでカルヴァンに寄生しようと寄ってくる女という生き物自体が嫌いになるほどだった。
誰もかれも、カルヴァンの本質を見ようとなどせず、『英雄』などと崇めて、外面でしか判断をしない。――そんな周囲の視線を感じるたびに、唯一心の交流をしたはずの、かつての親友が恋しくてたまらなくなった。
「お前、性格悪い」「最低」「女の敵じゃん」などと言って、呆れかえった半眼を寄越されたことすら、懐かしい。自分の欠点すら、呆れながらも受け入れてくれた親友は、もう、世界のどこにもいなかった。
とはいえ、生命活動を続けている以上、事件から十五年も経てば、性欲が皆無のまま過ごすことなど出来なくなるのも、人体構造上仕方のないことだった。
しかし、昔のように気軽に王都に居る女をひっかけるような気分にはなれない。
完全に、割り切った関係で、性欲処理だけをする相手――金でつながる、希薄な関係こそが、ちょうどよかった。
幸い、昔と違って腐る程に金はある。騎士団長としての収入に加えて、早く死にたいとワーカホリックというにしても酷すぎるほど毎日仕事しかしていなかったため、金の使い道などほとんどなかった。
面倒事にならないよう、きちんとしたプロを相手にしようと商館の中ではそれなりの上級な店に行き、金に糸目は付けず上等な花売りを買った。昔は遊戯とすら思っていたその行為は、もはや淡々とただ性欲処理を行うだけのものとしか思えず、非常に淡白極まりない。面倒くさそうにすることだけをして、終わればたっぷりの金を置いて、余韻も何もないままに長居などせずあっさりと帰っていくカルヴァンは、一般の女からすれば冷たいと言われるかもしれないが、商売女としてはこれ以上ないほどの上客だった。誰もかれもがカルヴァンに抱かれたいと花売りの間で騒動が起きるほどだったと聞くが、そんなものに興味はなかった。面倒事を避けるため、店に行くこと自体、なるべく控えていた。珍しく訪れたところで、閨の中でも常に不機嫌そうな表情を緩めることすらなく、睦言の一つも戯れにすら交わしてくれない様から、カルヴァンの『女嫌い』という噂は公然の秘密として王都中を駆け巡っていった。
十五年前のカルヴァンしか知らないイリッツァからすれば、全く信じられない彼の一面だろう。きっと、今も、そんな時代があったことを想像すらしていないのではないだろうか。
(とはいえ、まさか、浮気の基準を俺にゆだねられるとは思わなかった…)
眉間のあたりを抑えるようにしてげんなりと胸中で呻く。
常に死を意識するほど生存本能がなかった時代は、精神構造が影響するのか、そもそも生殖行為をしたいとすら思うことが殆どなかった。身体の反応として処理はするが、昔に比べれば欲そのものもかなり衰退していたのは事実だ。
それが、今は、愛する婚約者が毎日傍にいて、世界は希望に満ちており、出来るだけ長く彼女の傍で生きていたいと思うようになり――当然、そうした欲が昔のように復活するのも道理だった。
「はぁ…」
それが、二年。二年だ。――耐えられる気がしない。
商売女なら許す、などと言ってはくれないか――という淡い期待を持ち、声をかけてきた花売り相手に珍しく戯れるように会話をしながら、トラブルにならないような根回しをどうやって交渉するか…と考えていたら、まさかの花売り側からの拒否が出るとは思わなかった。聖女と結婚することは、思っていた以上に厄介らしい。
しかも、イリッツァ自身に確認すれば、浮気の基準は全てカルヴァンにゆだねる、という面倒極まりない返答だ。
「――…干からびるぞ、さすがに…」
毎日同じ寝台で、キスはし放題という条件のもと、しっかりと相手を抱きしめて眠っているのに、まだ手を出していないことを本気でほめてほしい。十五年前の自分が聞いたら腹を抱えて笑うことだろう。
しかも、浮気の基準をカルヴァンに委ねられるということは――イリッツァにされたら不愉快だと思うことは出来ないということだ。
こうなると、自分の独占欲が厄介なものとなって牙を剥く。
「殆ど全部アウトだろ――くそ…」
身体の関係などもっての外だ。気持ちの有無も金銭のやり取りの有無も関係ない。どこまで、などと言われれば、須らく何もかも全てがアウトだ。イリッツァの体に直接触れることはもちろん、その白い肌を見られただけでブチ切れて相手を燃やす自信がある。キスもハグも添い寝も論外だ。燃やす。
そもそもが独占欲を拗らせているのだ。イリッツァを女として意識している男が不必要に近寄ってくるだけで不愉快になることだろう。人のものに許可なく触るなと吐き捨て、少女を安全な場所に隠してしまいたい気持ちになる。
つまり――これを浮気の定義に当てはめていくならば、カルヴァンはイリッツァ以外の異性相手に性欲を少なからず解消するための手伝いをしてもらうことは不可能だということだ。デートだの会話だのは、性欲解消に直結しないのでそもそも興味がない。――イリッツァが他の男とデートをするとなれば激怒することは請け合いだが。
「…どこかで忍耐の限界が来て無理矢理襲いそうだな…」
そうすればきっと、あの胸糞悪い光魔法が待っているのだろう。
カルヴァンは灰色の未来を思って憂鬱なため息を漏らしたのだった――
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