第12話 女の自覚が足りなくても、可愛い③

「そういえば――押収された私物って、他に何があるんだ?」

 意図せず甘くなった雰囲気をごまかすように、イリッツァが慌てて顔を上げる。

「さぁ。一通りお前の荷物全部漁ってたぞ。気になるなら博物館に行けばいい」

(俺は頭を下げられても絶対に行かないが)

 胸中で付け足しながらカルヴァンが答える。その展示スペースは、王都を訪れたら一度は訪れるべきスポットとして有名で、いつだって行列が出来ていると聞くが、リツィードを神聖視し、人扱いすることを拒む王国民の身勝手さが凝縮されたその展示はもちろん、その展示がある建物そのものにすら、カルヴァンは近づいたことすらない。

「えぇぇぇ…それはさすがに複雑すぎるから嫌だ…」

 渋面を作って、それはそれは嫌そうにイリッツァが呻く。自分が使っていた私物を、勝手な解釈と共に、何故か神聖なものとして祀られている光景は、さぞや居た堪れない気持ちになるだろう。

「なんか変なもの残してなかったかな…すげぇ不安になって来た…!」

 軽く青ざめた顔でハラハラしているイリッツァに、カルヴァンは喉の奥で笑いをかみ殺す。

「安心しろ。職員が来る前に同室の俺には事前連絡が来たからな。お前の名誉のために、一通り荷物を見て隠した方がよさそうなものがないかは見ておいてやった」

「えええ!!!?」

「まぁ、エロ本の一つもなくて面白みのない奴だ、と思ったのは覚えてる。日記とかもなかったしな。特に隠すものはなかった。剣士としての私物も取られたらかなわないと思って、せめてと思ってお前の剣だけは手元に残しておいたが、杞憂だったな」

「エロ本って…お前、聖職者を何だと思ってるんだ…」

 カルヴァンらしい発想に、額を覆って呻く。そして――当たり前のように告げられる言葉の中に滲む不器用な友情に、怒ることも出来ない。

 日記を探したのは――きっと、彼の名誉を護るためだろう。それは、一般的な十五歳らしく思春期をこじらせた日記を書いているのではという心配ではなく――

 ――聖人としての役割を最後まで全うして死んでいったリツィードの、人としての部分が詰まっているであろう文面が世に出ることを、友は望まぬとわかっていたからだ。

「もし日記とか書いてて、それが寄贈されてるとか知ったら、俺、今晩にでも博物館に夜襲かける…」

「くく、それは面白そうだ。実行するときは声かけろ。手伝うぞ」

 面白そうに頬を歪めるカルヴァンは、どこまで本気かわからない。

(もし日記なんて書いてたら、両親との不仲とか、そんな人間らしい泥臭い悩みとかが露見しただろうし――きっと、最後の半年とかは、情けない文章でいっぱいだった)

 あの半年、毎日考えていたことは一つだけだった。

 早く、早く、名乗り出ねば。惑う国民を、もう一秒だって見ていられない。今日こそ、明日こそ――あぁ、だけど。

 だけど――――カルヴァンに、嫌われることだけが、怖くてたまらない。

(そんな情けない文章、全国民に展示とか、絶対勘弁――)

 そこまで考えて、はた、と思考が止まる。

「な…なぁ…」

「?…なんだ」

「もしかして――――――手紙も、展示されてたり、するのか…?」

 ダラダラと冷や汗を流しながら、ゆっくりとカルヴァンの長身を見上げる。見上げた先の美丈夫は、怪訝そうに片方の眉を器用に軽く上げた。

「手紙?……あぁ。聖職者関係と交わしたものは持っていかれたんじゃないか?お前の母親とか、教会関係者とか。――兵団関係者とのやつは、残ってたと思うが」

「おっ、お前宛てのやつはっ!?」

「――――――――――は?」

 身長差すら忘れたのか、慌てた様子で襟首をつかんで言い募るイリッツァに、カルヴァンの眉がこれ以上なく怪訝に顰められる。ぎゅっと眉間に寄った皺に、慌てて問いを重ねた。

「へ、兵団関係者宛てってことになるのか!?じゃあセーフ!!?あぁでも中身的には、聖人としての手紙って捉えられたりとか――嘘だろ、あれが公開されるのは恥ずかしすぎる…!やばい、本気で夜襲かけるべきか!!!?」

 一瞬で血の気が引いていく感触に、青ざめながら頭を抱える。

「待て、落ち着け。――なんだ、俺宛ての手紙って」

 リツィードとは、出逢った日からずっと、ほぼ毎日顔を合わせていた。過去、どれだけ記憶をたどっても、リツィードから手紙をもらった記憶などない。

「そ、そのまんまだよ!俺が、お前宛てに書いておいた手紙!」

「は…?なんだそれ」

 カルヴァンの眉間にさらに皺が一本増える。心当たりがないのだろう。

 それもそのはずだ。博物館の関係者がやってくる前に一通りのリツィードの私物を確認した。彼が書いた手紙も、もちろん確認した。ないとは思うが、恋文の一つでもあれば、名誉のために隠しておいてやるか、というくらいの気持ちで、中身は一切見ることなく宛名と差出人だけざっと目を通した。当然、それらしきものは一通もなかったが。

 その時――もしも、カルヴァン宛ての手紙などという物があれば、当然そんなものを職員の手になど渡らせるはずがない。さっさと懐にしまって、その日のうちに目を通しただろう。

「ちゃんと宛名書いておいたのか?」

「当たり前だろ!お前が見つけた時に、ちゃんとわかるように――」

「何だそれ。――遺書でも残したって言うのか?」

 呆れと苦みが混在した表情で呻く。それは――見つけられなくて、良かったような、残念だったような。

「ち、違う…!あの時はそんなことする時間も暇もなかったし……そんなんじゃなくて、俺が、聖人として名乗り出た後に――――」

 青ざめた顔のまま涙目になっていたイリッツァは、はたと落ち着きを取り戻した。

「…え…?心当たり――ない、のか?」

「ない。あったらその場で読んでる」

「――――――――…」

 安心して気が抜けたのか、へた、とイリッツァが腰を抜かしたように床に座り込む。

「そ…そっかぁ…よ、よか…よかった…」

 心から安堵した表情を見せられて、カルヴァンは左耳を掻く。

「俺が事前に探しても見当たらなかったんだ。職員も見つけられなかっただろう。どこかに隠してたのか?」

「あぁ…聖人だって名乗り出る勇気が出たら、お前に残していこうと思って書いたやつだったから――万が一、名乗り出る前に誰かに見られたら大変なことになると思って」

 へにょ、と安心したように眉を下げているイリッツァに、カルヴァンはどうということもないような様子を装って尋ねる。

「ふぅん――どこに」

「机の引き出しの、二重底――――――――って、ぁああああああ!!!!!!!?????」

 ほっと緩んだ心に巧みに挟み込まれた尋問に、うっかり口を滑らせた瞬間、カルヴァンはさっと身を翻してリツィードの机へと向かう。イリッツァの悲痛な悲鳴が部屋中に響き渡った。

 しかしカルヴァンはそんな悲鳴など聞こえぬふりで、あっさりと引き出しの二重底見つけて外してしまう。中には確かに、カルヴァン宛ての封筒がちょこん、と鎮座していた。

 抜けた腰ですぐに立ち上がれなかったイリッツァはさらに悲鳴を上げた。

「ちょっ、おまっ、お、おおおおお鬼か!!!!!!??????」

「うるさいな、もともと俺宛ての手紙なんだからいいだろう」

「よくねぇええええええーーー!!!!!!」

 何の躊躇もなくピリ、と封筒を開けるカルヴァンに、必死に足に力を入れて無理矢理立ち上がる。

「ちょ、待っ…俺も、中身しっかり覚えてるわけじゃないからっ…!!!!すげー恥ずかしいこととか書いてたら嫌だから、頼む、一回俺に読ませて!!!!」

「嫌だ」

「後生だからぁああああああ!!!!!」

 イリッツァは必死に手を伸ばしてカルヴァンから手紙を奪い取ろうとするが、カルヴァンはひょい、とその長身を活かして頭の上に手紙を掲げるようにして手紙の文字を追いかける。イリッツァが小柄で良かったと今日ほど思ったことはない。ジャンプしてもその高さには届かないと悟ると、イリッツァはぷるぷると羞恥に震えてうつむいた。ぎゅぅっとカルヴァンのシャツを思い切り握りしめて渾身の抗議を表すが、この悪童のような性格の男が、そんな主張を聞き入れてくれるはずもない。

「えーと、何々…『お前がこれを読んでいるってことは』――」

「頼むから音読だけはやめてくれ―――!!!!!」

 黒歴史を開示される思春期をこじらせた少年のように、居た堪れない思いに呻くように懇願する。くっとカルヴァンは喉の奥で笑ってから、可哀想なので音読だけは止めてやった。ここでさらに意地悪をしたら、これから数日は口をきいてくれなくなりそうだ。

 その手紙には、確かに十五年前のリツィードが、当時のカルヴァンに宛てて書いたらしき文面だった。懐かしい筆跡が紙に踊っている。

 イリッツァの言葉通り、聖人として名乗り出た後のことを想定して書かれたのだろう。母が見極めの儀で周囲を偽り、母が死んだあとは彼女の後を継いでその責務を背負うという約束で、つかの間一般人に擬態して生きるようになったということ。この秘密を知っていたのは父と母だけで、他の誰も知らないということ。聖人と判明した人間は、王城の奥の神殿で死ぬまで暮らすため、二度とカルヴァンには会えないだろうということなどが書かれていた。

 そして――それらの合間に何度も何度も書かれる、謝罪の言葉。

 ――騙していてごめん。

 ――黙っていてごめん。

 ――直接打ち明けられなくてごめん。

(…これをあの時読んでいたら、どうしただろうな、俺は)

 口の端に苦笑を刻む。

 イリッツァと再会する前にこれを読まなくてよかった、と心の隅で思う。――きっと、あの時以上に、死にたくなったと思う。

 十五年間、何度、何故ひとことでいいから相談してくれなかったのか、そんなに自分は頼りなかったのかと自分を責めていた。一人で聖人の責務を背負って死地に赴いた親友に、築いたと思っていた絆は実はどこにもなかったのかと心を痛め、苦しさに夜も眠れぬ日々が続いた。どんな時も傍にあると誓ったのに――その孤独からいつか必ず助け出すと誓ったはずなのに、それを完遂出来なかった後悔で、毎日絶望の淵に沈んでいた。

 この手紙を書いたということは――きっと、リツィードは、聖人と名乗り出るにしても、カルヴァンに真実を告げてから行くつもりはなかったということだろう。おそらく、この二重底を見ろ、という書置きの一つでも残して、カルヴァンの不在時に王立教会にでも名乗り出たはずだ。世の中の騒ぎでカルヴァンは事態を知り――部屋に帰って来て書置きを見てこの手紙に気づいて、真実を知る。そんな未来を、リツィードは生前描いていたのだろう。

 つまり――結局、彼は、最初から最後まで、カルヴァンに真実を告げる気などなかったのだ。

 それを、あの十五年前の事件の後に、うっかり何かのはずみでこの手紙を見つけて、ここに書かれている彼の生前の心の内を、彼の言葉で語られる形で知ってしまったとしたら――きっと、自分の無力さに、彼の孤独を支えられなかった歯がゆさに、もっと死にたくなったに違いない。

(まぁでも、書いてあるのは、色々な言葉はあれど、終始、事態の説明と謝罪の言葉くらいで、特にこいつが恥ずかしがるようなことは何も――)

 カサ、と読み終えた一枚目をめくって二枚目に目を通す。視界の端で、羞恥が極まって声が出ないのか、イリッツァの頭が小刻みにプルプルと震えていた。

「――――――」

 二通目は、一通目に比べて、格段に短かった。それでも、そこには――きっと、十五年前に読んでいたら、あの真っ暗闇の絶望の淵で、ほんの少しだけ、彼の心を救っただろう言葉。

 その手紙を最後まで読んで――ぱちぱち、と灰褐色の瞳が何度か瞬かれる。

「――――――――おい」

「ぅ…な、なんだよ…」

 ぎゅぅっと抗議の主張をするようにシャツを握りしめながらイリッツァがうつむいたまま呻く。

「この二枚目、音読してくれないか」

「はっ、はぁああああ!!!?おまっ――お前、本当に鬼か!!!?」

 ひらり、と目の前に手紙を掲げられて、涙目のまま絶望的な声を出す。

「内容はもう読んだ。ただ、お前の声で、聴きたい」

「は、はぁ!?」

「もうしないと言っていた光魔法を俺に無理矢理かけたんだ。詫びにこれくらいいいだろう」

「ぇえええ…?あれはそもそも、お前が悪いだろ…」

 困惑しながら半眼で呻くイリッツァは、眉を情けなく下げる。目の前の灰褐色の瞳は、にやりと笑んでいたが、どこまでも本気だった。

「ぅぅ…えーと…」

 こういうときのカルヴァンは、自分の要求が聞き入れられるまで、決して引き下がらないことを知っている。なんの羞恥プレイなのかわからないが、イリッツァは掲げられた文面を薄青の瞳で追った。

「…なんで騙してたんだって、お前は怒っていると思うけれど、どうか許してほしい。聖職者、それも聖人だったなんて、って、俺と過ごした十年を後悔しているかもしれない。もう会うことはないかもしれないけれど、それでも、出来れば、お願いだから――」

 そこまで読み上げてから、次の文字が目に入って、カルヴァンが音読を強要した理由を悟る。

「…お前、趣味悪いな」

「いいだろう。読んでくれ」

 これ以上なく苦い顔で呻くも、目の前の色男は、気にした素振りもないようだった。

 イリッツァは、嘆息して腹をくくって次の言葉を読み上げる。

「お願いだから――――――嫌いに、ならないで――」

 にぃ、とカルヴァンの口の端が吊り上がる。いつぞや、泣きながら訴えた日のことを思い出しているのか。

「あぁもう!だから嫌だったんだよ!!!なんなんだよお前!人の恥ずかしい過去をほじくり返すな!」

「おっと」

 バッと手紙を奪おうと伸ばした手は空を切る。再び手の届かぬ高みへと持っていかれた紙切れを恨めし気に睨むが、カルヴァンはにやりと笑っただけだった。

「手紙にはまだ続きがある」

「はぁ!?ふざけんな、もうあとは似たようなことばっかりだろ!肝心なとこ読んだんだから、もういいだろ!」

 先ほど視界の隅に映った、その紙切れに書かれていた文面は、とにかく情けない泣き言ばかりだった。

 何度だって謝るから――お願いだから、嫌いにならないでほしい。それだけは、お願いだから、勘弁してほしい。それだけが、唯一の心残りで――母が死んでからこれまで、それだけが怖くて、名乗り出る勇気が出なかった。

 それは、あの軍事拠点で、泣きながらイリッツァが訴えた泣き言と殆ど相違がない内容だった。

 すでにあれだけの恥を晒していたというのに、今またその恥ずかしい過去を再現させようとするとは、性格が悪いにもほどがある。鬼畜と呼んでもいいだろう。

 批難がましい視線で睨みつけると、くっとカルヴァンは笑った後、もう一度手紙をイリッツァの前に掲げた。

「違う。――俺が一番読んでほしいのは、手紙の最後の一文だ」

「はぁ…?」

「ここだ。――ぜひとも、今のお前のその美声で、読んでほしい」

 指で指し示しながら言われて、怪訝に眉を顰めながら文字を追う。正直、自分がカルヴァンへの手紙の最後の一文に何を書いたかなど、全く記憶がなかった。嫌いにならないで、という情けない泣き言以外に、何を書いたというのか。

「えぇっと――…もう二度と、顔を合わせて言葉を交わせる日はないかもしれないけれど――それでも俺は、死ぬまでずっと、ヴィーのことが、だ――――――」

 目に飛び込んできたとんでもない一言に――イリッツァは薄青の瞳を一つ驚きに瞬いた後、バッと一瞬で耳朶まで顔を真っ赤に染め上げた。

「っ――――――!」

「どうした。最後のひとことが一番大事なんだろう。読め」

「よっ――――よよよよよよ読めるか!!!!!!阿呆!!!!!!」

 バッと再び、今度は本気で手紙をひったくろうと手を伸ばすが、再びひょいっと避けられてしまった。

「ばっ…馬鹿野郎!返せ!燃やす!」

「阿呆。絶対渡さないぞ。お前のこんな貴重な言葉が書かれた手紙」

「ふ、ふふふざけんな!!!っていうか、第一、そ、そそそそれは、り、リツィードの時に書いた奴だから、別に、その単語にも深い意味なんて無――」

「知ってる。だから、お前の声で読んでほしいんだろ」

「はぁああ!!!!!?」

「他意がないって言うなら読めるだろ。――俺の方で、勝手に脳内で他の意味に変換するだけだ」

「変換してるじゃねぇか!!!!ぜってー読まねえぞ!!!!」

 ニヤニヤとした笑みを崩さない親友を前に、真っ赤な顔で叫ぶ。

「あーもう、帰るっっっっ!!!帰るっっっっっっ!!!!!!」

 顔から湯気を出しそうな勢いで憤慨してくるりと背を向けるイリッツァに、ニヤニヤしながら手紙を封筒に収めて懐にしまう。十五年の月日を経て、とんでもない掘り出し物を手に入れた気分だ。

「屋敷に帰ってから、読んでくれるのか?――そのときはぜひベッドで読んでほしい。すぐに押し倒せるように」

「ふざっけんな!!未来永劫、絶対音読なんてしないからな!!!!!」

 やいやいと言い合いながら、過去、手紙を書いたときの自分に後ろから全力で飛び蹴りをかましたい気持ちでイリッツァは懐かしい部屋を後にする。



 ――それでも俺は、死ぬまでずっと――



 ―――――ヴィーのことが、大好きだよ――――

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