第9話 俺より強くても、可愛い②

「――――というわけで、外部講師だ」

「よ、よろしくお願いします…」

 ざわざわざわざわっ!!!!!

 練兵場にいる全員に、とんでもないざわめきが広がっていく。規律正しくあるように普段から訓練されている軍属の人間とは思えないほどのざわめき。

 蒼い顔をしている新兵たちを前に、リアムはゆっくりと顔を覆って、真夏の日差しきらめく紺碧の天を仰いだ。――神は、なぜこんなに胃が痛くなる試練ばかりを自分に与えるのか。

 ファムに断られた後、外部講師を選ぶ仕事はカルヴァンの管轄になった。リアムの仕事量を鑑みて、ゼロから市井の記録を洗い出すことは不可能だと判断して巻き取ってくれたのだろう。それはありがたかった。最終的に、カルヴァン自身が行うのか、別の外部講師を見つけ出してくるのかはわからなかったが、自分も忙しくて任せきりにしていたのが良くなかった。今まで、何度も振り回されてきた上官だったが、仕事の腕だけは超一流だ。彼の決断は、とんでもないものも多くあったが、いつだって間違っていたことはなかった。凡人には思い至らない一見無茶苦茶に見える一手でも、それはいつだって、事態を好転させる最良の一手だった。

 だから安心して任せていたのだが――

(いやでも――まさか、まさか、こんなこと予想するわけないでしょう神様…!!!)

 ファムに断られた翌朝、何やら上機嫌のカルヴァンは、『適任の外部講師が見つかった』と報告してきた。たった一日でよくも、と感心し、さすが鬼神と呼ばれる男だと感動した。誰を選んだのか聞いたが、『当日まで楽しみにしていろ』と悪童のようなイイ笑顔で言われてしまったので、その時は深く考えずに追及を避けたのだが――

 今朝、当然のような顔で、己の婚約者を帯同してきたときには、反射的に頭を叩いてツッコミを入れるかと思った。『何考えてるんですかアンタ!!!!?』と兵舎中に響き渡りそうな大声で叫ぶだけにとどめたことを、誰か本気で褒めてほしい。

『お前は知ってるだろう。こいつの腕』

『いや、知ってますよ、知ってますけど!!!!!せっ、聖女様ですよ!!!?』

 ナイードで、魔物相手に芸術と呼ぶにふさわしい剣技を披露したことを、リアムは確かにその目で見ていた。だが、それとこれとは別の話だ。いくら剣が芸術的でも、彼女が国の宝であることに変わりはない。

『大丈夫だ。――もし手合せで、こいつの髪の毛一筋でも剣をかすめることが出来る奴がいたら、そいつの今期のボーナスを倍増してやる』

『えぇぇぇ…』

 にやり、と自信たっぷりに言われて、リアムはもはや限界を突破し始めた胃痛に、苦渋の呻きを漏らすしかできなかった。

 結局、こんな男に任せてはおけぬと、本来練兵に同席する予定などなかったはずなのに、無理矢理仕事に都合をつけて、こうして一緒に練兵場に赴いたのだ。

(あぁ――わかる。わかるぞ、新兵たち…目の前の事実が信じられないよな、うん。俺も未だに、やっぱりよくわからない)

 ざわめきが止まらない新兵を前に、いっそ神に助けを乞いたくなる気持ちで瞳を閉じてから、一つ深呼吸をしてちらりとイリッツァを見やる。

 いつも通り絹のように滑らかで美しい銀髪を、今日は剣術の邪魔にならないように、頭の高い位置で一つに束ねている。祭典で見る聖女の装いでも、普段街で見かけるときの聖職者としての装いでもなく、真っ白なシャツと、白っぽい動きやすそうなベージュのスラックスを身に着けた今日の姿は、非常に貴重だ。どう贔屓目に見ても業物、という剣を当たり前のように腰に差しているのは、スラックス姿と相まって女性らしさのかけらもないはずなのに――なぜだろう。美人は何をしても美人なのが困る。

「じゃあ、ツィー。任せた」

「…お前な…」

 完全に丸投げするカルヴァンにしか聞こえない声で低く呻くイリッツァは、しかし一つ嘆息すると、その顔に聖女の仮面を張り付けた。

「では、まずは皆さんの実力を見させてください。二人一組で、手合せをしましょう」

 ふわり、とほほ笑まれて、ぽー…と新兵たちの頬が染まる。――大前提、ここには女に免疫のある人間などほとんどいない。それが、まさか世界最高クラスの美少女の完璧な微笑を前に、熱に浮かされず己を保てという方が無理な相談だ。――自分が新兵でも、間違いなく鼻の下を伸ばす、とリアムは胸中で嘆息する。

 困惑しながらも、上官命令は基本的に絶対だ。カルヴァンが、講師だと言って命名したからには、イリッツァのいうことを聞く以外の選択肢はない。めいめいで二人一組を作り、イリッツァの号令で手合せを始める新兵たちを眺めていると、いつの間にかすぐ隣にカルヴァンがやってきていた。

「何だ。何かもの言いたげだな」

「…言いたいことしかなくて、何から言おうか迷ってるところです」

「小言は聞かないぞ」

「――小言しかないんですが」

 飄々と嘯く上官に頭を抱える。

 練兵場では、手合せをする新兵たちをかいくぐるようにして一人一人の手合せをイリッツァが見るともなしに眺めている。

「あれ、何をしていらっしゃるんですか?」

「剣筋見てるんだろ。――実力を見る、と言ってたの、聞いてなかったのか?」

「え、いや、でも、見るって言っても、あんな一瞬見るだけで――」

「あいつにしてみれば、構えと一振りさえ見られれば十分だろうからな」

「えぇぇぇ…なんですかそれ。化け物ですか」

「化け物だ。知らなかったか?」

「――――――…知ってましたけど…」

 鼻の頭にしわを作って小さく認める。ナイードで一度だけ見た彼女の剣は、忖度なしに言い切ってしまえば――おそらく、今、この隣にいる王国最強の男の剣すら、軽く凌駕していただろう。それは、もはや、化け物と呼ぶにふさわしい域だった。

 見ていると、イリッツァは手合せを止めるように号令をかけていた。次に、二人一組を解消させ、イリッツァの指示のもと新しい二人一組を作っていく。

「あれは何ですか?」

「剣の癖と実力から、一番成長速度が高まりそうな二人一組を作ってるんじゃないか?」

「えぇぇぇ…ば、化け物…」

「まだあいつは剣を一度も振ってないぞ?」

「いや、十分現時点で化け物です」

「まぁ、そのうち振るだろ。お前もよく見ておけ。――背筋が凍るぞ」

 くっ、と楽しそうに喉の奥で嗤う上官は、どこか楽しそうだ。イリッツァと再会してからの彼は、本当に表情が豊かになった、と改めて思う。

 しばらく眺めていると、イリッツァはそれぞれの組に個別に声をかけて、剣の指導を始めた。スラリ、と業物の愛剣を流れるように抜き放ち、手本を見せる。

「ぅわ――――――こ、怖っ!」

「くく、だろう?」

 特別なことは、何もしていない。ただただ――どこまでも、基本に忠実な、教科書通りの剣術の所作。

 だが――極めるとここまで、と言わせるだけの凄みを持ったその一刀は、剣術を一度でもかじったことのある人間であれば、等しく背筋を寒くするはずだ。

 案の定、指導を受けた新兵は、最初にイリッツァに声を掛けられたときは『聖女様に声を掛けられた』と困惑しきって慌てていたのに、今や『なんだこの化け物は――…』と完全にドン引きした表情を見せている。

「生徒の実力を図る妙技は最高レベル。本人の剣に、変な癖も一切ない。一振りするだけで、全員がひれ伏すお手本。――最高の講師だろう」

「いや…いやいやいや……そう言われればそうですけど――」

 一瞬、自分もいつか、一度でいいから指導していただきたいと頭の片隅で思ってしまったことは表情に出さないようにしまっておく。

 誤魔化すように、リアムは聖印を切って神に向かって上官の代わりに許しを乞うた。神の化身たる聖女に、こんな男くさい野蛮な仕事をさせてしまっている現状を。

「家でも、もっと人相手に剣を振りたいっていつも言ってたからな。俺が相手をしてやれるのにも限界があるし――まぁ、格下相手だから、本人の鍛錬になるかどうかはわからんが、そんなことを言い出したら、あいつより格上の存在なんか、大陸に存在しない」

「……まぁ、そうでしょうね…」

「とはいえ、あいつの剣をさび付かせる方がもったいない。あいつは思う存分剣を振ることが出来て、新兵どもの練度は上がる。――誰もが得をする施策だと思わないか?」

「……簡単に認めるのは癪ですが、今回ばかりは認めざるを得ないでしょうね」

 渋面を作って静かに認める。――いつだって、この上官は、とんでもない解決策を提案してきては周囲を振り回すが、それが間違っていたことは一度もないのだ。

「お前も後で指導してもらったらどうだ」

「えぇぇ…そんな、恐れ多い――」

「お前の剣術は、比較的癖がないから、きっとあいつに教われば、一気に伸びるぞ」

 そして、ふっと吐息だけで笑みを漏らす。

「師匠の剣は、お前みたいなやつにこそ相応しい」

「――――――――」

 一瞬、リアムの鼈甲の双眸が瞬き――

「――――――へぇ。イリッツァさんも、団長と同じ流派の剣術を嗜んでいらっしゃったんですか」

 さらり、と何ということもない顔で返してきた童顔の補佐官に、にやりとカルヴァンは頬を歪めた。

「お前らしくもない、下手な切り返しだな。妙な間があったぞ」

「はて。何のことやら」

 とぼけ続けるリアムに、くくっと喉の奥で笑いをかみ殺す。灰褐色の瞳が、挑発的に己の補佐官を眺める。

「お前も律儀な奴だな。――どうせ、あたりは付いてるんだろう。あいつの正体」

「さて…おっしゃる意味が良く――」

「俺の補佐官を三年も務められる奴が、そんなに鈍いはずがない」

「――――――――――…」

 それは――酷くわかり辛いが、おそらく、カルヴァンにしては最高位の褒め言葉。

 しばし口を閉ざしたリアムは――観念したように、大きく息を吐いた。

「…本当に、よくわかってませんよ。何がどうなってるのか、本当にわかりません」

「くく、安心しろ。俺もその辺は本当によくわからん。あいつ曰く、『神の奇跡』らしい」

「なるほど」

 言いながら、ふっと笑みを漏らす。まさか、この無神論者の上官から、そんな単語が出るとは思わなかった。

 浮かべた笑みを苦笑に変えて、リアムはゆっくりと口を開く。

「別に…状況から推察しただけです。――昔の貴方は氷のように心を凍てつかせていて…そんな貴方の感情を唯一揺さぶれるのは――聖人様にまつわることだけでした。まぁ、そのこと自体に気づいている者も、長年傍にいたのは俺くらいなので、俺以外は知らないでしょうが」

「まぁ、そうだろうな」

「その貴方が、去年の聖人祭の日を境に、本当に人が変わったのではと思うくらいの変貌を遂げました。きっかけは、どう考えてもイリッツァさんです。――イリッツァさんが、聖人様に関係しているのは明らかでしょう」

「ふぅん?」

「で、あとは…まぁ、二人が年齢的にどう見てもつじつまが合わないのに、長年の付き合いがあったとしか思えない気安いやり取りをしていることと――イリッツァさんが、貴方を蘇らせるときに、貴方のことを『ヴィー』と珍しい愛称で呼んで、男みたいな口調で話していたこと。あとは、貴方が、明らかにあの少女を特別な呼び名で呼んでいたのが気になったので――王都に戻って来てから、ちょっと実家に寄って、兄貴にカマかけただけです」

 器用なリアムは、怪しまれることなくすんなりと実の兄から情報を引き出したことだろう。

「団長が、『ツィー』と呼ぶ人物に心当たりがないか――って」

「くく…なるほど。そんなところに検証材料があるとは思わなかった」

「酒を飲んでた兄貴は、上機嫌で話してくれましたよ。――貴方のことを、唯一『ヴィー』と呼ぶ、世界最強の剣士でもあった無二の親友の存在を」

 そして、その愛称をファムも呼ぼうとしたら、リツィードだけに許した愛称だからと拒否された、というおまけの情報まで添えて。

 きっと、リアムは混乱しただろう。

 情報をつなぎ合わせれば出てくる回答は一つしかないが――あまりにも突拍子がなさすぎる。

「あとは――帝国へ攻める前の会議で、貴方が、『十五年前の贖罪』と言った時に、やっと確信めいたものを得ました。神を信じないあなたが、贖罪、なんて言葉、あの状況で使うわけがない」

 イリッツァを助けることを、あの時、十五年前の贖罪としてとらえた王国民は多かっただろう。

 多くのエルム教徒は、リツィードへの非道な行いをした罪を贖うため――神に許しを請うために、『贖罪』と表現するだろう。

 だが――神を信じぬ彼は、誰に許しを請うのだろうか。

「貴方が、聖女という肩書だけで、親友と同一視するような情の深い人物にも思えませんでしたしね」

「酷い言われようだな」

「事実でしょう。貴方は、情が深くない――というより、親友以外の人に、興味がない。人は人、自分は自分。貴方にとって、親友だけが特別だった。だからこそ、十五年も心を凍てつかせていたし――そんな特別な相手を、ちょっと似ているとか、面影があるとか、そんな程度のことで、同一視するなんてありえません。貴方は、親友のことを聖人だとも認めていなかったのだから、聖女だからといって同一視するのもおかしい」

「――――…」

「――――――まぁ、それがどうして、今や人目もはばからず全力で惚気るくらい本気で女性として惚れる羽目になったのかは、未だによくわかってないですが」

「言ったことなかったか?――滅茶苦茶タイプだったんだ。あの外見」

 にやり、と笑って言われて、リアムは疲労困憊、といった様子で息を吐く。自分から話題を振って来たくせに、どうにも人を煙に巻くのがうまい上官だ。

「安心してください。誰にも言うつもりなんてありませんよ。――第一、誰も信じちゃくれません」

「そりゃあそうだろう」

「それに、リツィードさんとは面識ないので、俺の中ではイリッツァさんはイリッツァさんです。可愛くて、神々しい聖女の笑みと親しみやすい笑顔のギャップが最高な、めちゃくちゃタイプの、お嫁さんにしたい人暫定第一位の女性です」

「上官相手に略奪宣言か?いつでも受けて立つぞ」

 こちらを向いた灰褐色の瞳が笑っていない。どうやら、かつての親友を女性として愛しているというのは、嘘ではないのだろう。

 リアムは肩をすくめてその鋭い視線をいなし、かつて、『アルク平原の死神』と呼ばれたという大陸最強の剣士へと視線を戻したのだった。

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