第4話 男らしい趣味でも、可愛い③

「気に入ったのはこのあたりだな。こっちのは、重すぎたり軽すぎたりして、あまり好かなかった」

「ふぅむ…なるほど」

 イリッツァが選んだ一本の会計を済ませた後、カルヴァンは自分用の剣のためにと渡された柄のサンプルについて所感を伝えていた。店主は、手にしていた帳簿の中にそれを細かくメモしていく。粗野な風貌に見合わず、意外と几帳面なところがあるのかもしれない。

 イリッツァは、二人のやり取りを、少し離れたところに用意されたふかふかのこの店にある一番いい椅子に座りながら眺めていた。素振りから戻ってきたら、なぜか先ほどまでは見当たらなかったこの椅子と、簡易テーブルが用意されていて、お茶まで入れられていたのだ。常連顧客であるはずのカルヴァンは、椅子ですらなくその辺にあったと思しき木箱に座らされているあたりに、店主の信仰心の篤さとカルヴァンへの扱いの適当さが透けて見えるようだった。

 付き合わせるのも悪いだろう、と思い、帰ってもいいぞと伝えてみたが、イリッツァはぶんぶん、と首を振って二人の話が終わるまで待っている意思を示した。

(――…背後に尻尾が見えそうだな…)

 二人を眺めているキラキラ輝く薄青の瞳は、『いいな、いいな』と羨ましそうな光を隠しもしていない。自分専用の剣を仕立ててもらえる羨ましさに、カルヴァン本人よりもよほどわくわくした顔をしていた。

「気に入った、って言ってもそれぞれ違いがあっただろう。どれがどんな風だった?」

「あー…そうだな。比較的振りやすかったのはこいつかもしれん」

「ほう。どういう観点で?」

「どう…と言われてもな…」

 そもそも、道具にこだわりのないカルヴァンだ。多少違和感があっても、既製品だから仕方がない、と割り切って利用するのが当たり前だという感覚で生きてきた彼にとって、自分の使いやすいようにイチから仕立て上げるために道具の使用感を言語化するのは初めてのことで、面倒くさそうに眉間にしわを寄せる。

「なんとなく…右に振るときに、振りやすかった」

「右に…?左は?」

「別に…いや、言われてみれば若干――」

「手の握りが違うからでしょう」

 さらり、とイリッツァが自然に口をはさむ。ぱちり、と店主の瞳が瞬いた。

(あ――これはもしや) 

 カルヴァンが頭を巡らせ口を開くより先に、イリッツァがジェスチャー付きで言葉をつづける。

「カルヴァンは、右に振るとき、こう…剣を最初に少し捻ってから、ぐっと角度を変えて振り抜く癖があります。その時、一瞬左手が緩んで、指先の方に力がかかるので、その柄の銀装飾の部分にちょうど引っかかって、いい具合に力が入りやすいんだと思います。左に振るときは、教科書通りに振るので、力の入りは逆に悪くなったように感じるのでは?」

(――――…遅かった…)

 店主が呆然とした顔でイリッツァを見つめるのを見て、カルヴァンは額を覆う。

「…どうだオヤジ。素振りを見ただけで、俺の嫁は天才だろう…」

「ぁ…あ、あぁ…」

 何とか、苦しすぎる言い訳を低い声でひねり出すと、やっと気づいたのか、イリッツァがはっと口を抑えた。

 あわあわとしている様子のイリッツァに、ふー…とため息を吐いて、顔を上げる。

「それで?他に、気づいたことは?」

「ぇ…?」

「俺なんかより、よっぽど俺の剣をよく見てる。お前の所見をもとに作る方が、いい物が作れそうだ」

 ここまで来たなら、いっそ巻き込んでしまった方がいいだろう。イリッツァを手招きすると、ぱぁっと顔を輝かせて、カルヴァンの隣に座った。木箱に座らせることになるので、店主は一度焦った素振りをしたものの、その顔がこれ以上なく嬉しそうに輝いていたため、ぐっと言葉を飲み込む。

「えっと、えっとですね、カルヴァンは、重心移動も少し特徴的なので、柄は、柄頭の方を少し重くした方が――」

 キラキラと目を輝かせて、これ以上なく楽しげに語るイリッツァを、カルヴァンは苦笑しながら見下ろし、狭い木箱から落ちないように軽く腰に手を回して支えてやる。いつもなら、人前でこんな密着するなんてと怒られそうな距離感だったが、今はそんな些末なことは気にならないのだろう。一生懸命、熱くカルヴァンの癖とそれに合う剣について語っているようだ。

(――あのカル坊が、こんな顔するようになるなんてな)

 店主は、イリッツァの言葉を真剣にメモしながら、胸中でつぶやく。

 悪童と呼ばれていた顔とも、女たらしと呼ばれていた顔とも――鬼神と呼ばれていた顔とも、違う。

 ひどく穏やかな、愛しい者を見守るようなそのまなざしに、店主はほっと安堵のため息を吐いたのだった。



 作り上げる剣の特徴がまとまり、いくらかの前金を払い終わった後、カルヴァンはふと思い出したように口を開いた。

「オヤジ」

「ぁん?」

「今度、もうひと振り、剣を特注で頼んでもいいか」

 店主は驚いたように目を瞬く。

「あ、あぁ…それは、もちろんいいが――サブで使うやつか?スペアか?」

「いや…」

 カルヴァンは答えながら、ぽん、と隣にいるイリッツァの頭に手を乗せる。

「こいつの剣だ」

「へっ!!?」

 驚愕した声と共に、イリッツァがすごい勢いでカルヴァンを振り仰ぐ。薄青の瞳が、いつも以上に開かれているのを見て苦笑しながら、店主へと言葉をつづけた。

「オヤジもこないだの戦争の発端は知ってるだろう。あってはならないことだが――もしまた、こいつが、どっかの誰かに攫われたりしたときのために、護身術も兼ねて剣術を教えようと思ってる。素振りを見ただけで人の癖を見抜くような天才だ。もしかしたら化けるかもな」

「ヴィ――か、カルヴァン――…」

「護身用に持ち歩く、訓練用じゃない本物の、こいつ専用の剣がほしい。聖女様をお守りするための剣だ。敬虔なエルム信徒にとっては、名誉なことだろう?」

 ニヤリ、と笑いながら告げられた言葉に、店主はぐっとつばを飲み込む。

「さっきも言ったが、こいつは好奇心旺盛だ。ナイードでは、神童なんて呼ばれてたらしいから、すぐに剣の知識くらいつくだろう。――アンタが、こいつをリツィードに似ているって思ったのも、何かの縁だ。あいつみたいに、また、こいつを可愛がってやってくれないか」

 ぽんぽん、とイリッツァの頭を軽く叩くようにして告げる。

 店主は、何事か口を開こうとした後――ぐっと唇を引き結んだあと、ざっとその場に膝をついた。

「オヤ――て、店主さん!?」

 イリッツァが慌てて制すが、店主はそのまま胸の前で聖印を切ると額の前まで両手を持っていく。エルム教徒にはなじみ深い祈りの姿勢。

「俺は――私には、聖女様の剣を御作りする資格など、ございません――」

「ぇ――」

「私は、私は、十五年前のあの日――いつもいつも、店に何度も足を運んでは、キラキラした顔で剣について語っていた無垢な少年を――息子のように可愛がっていたはずの少年を――聖人様を――!」

「顔を上げなさい」

 一瞬で、がらりと雰囲気が変わったイリッツァの声が響き渡る。

 ガタガタと震えていた店主は、ゆっくりと顔を上げた。

 蒼白なその顔を見て、イリッツァは聖女の慈愛の表情を湛える。

「――許しましょう」

「っ…で、ですが――」

「許しを与えるのが、聖女であり、聖人です。貴方は罪を認め、十五年もの間、ずっと悔いて生きてきた。神は、その姿をちゃんと見ていてくださいます。今、こうして、懺悔をしたあなたを――きっと、その少年も、笑って許してくれるでしょう」

 微笑みを湛える姿は、まさに聖女にふさわしい。店主は、ぐっと言葉を詰まらせてうつむいた。

 店に大きく聖印を飾るほどの敬虔な信者。聖女への盲目的な信仰。それほどまでに依存心の高い彼が――あの日、闇の魔法使いの影響を受けていないとは思えない。

「どうしても気になるというのなら――今度こそ。聖女を守る剣を、作ってください。聖人リツィードも、それを望んでいるでしょう。貴方の剣が大好きな少年だったようですし」

 ふっと笑って付け加える。

「私は自分の剣についてはわからないので――そうですね、リツィードの帳簿はまだありますか?もし残っているなら、彼の記録をもとにして、私に作ってください。それで、貴方が十五年抱えた罪は、贖われるでしょう」

「っ……謹んで…お受けいたします…」

 しっかりと頭を垂れて答えた店主の声は、少しだけ震えていた。


 ◆◆◆


 鍛冶屋からの帰り道――大通りを歩きながら、時々すれ違う人間がイリッツァに驚いて平伏したりするハプニングはいつも通りだ。一瞬も気が抜けない聖女の顔のままで、イリッツァは隣のカルヴァンを見上げる。

「うまく話がまとまってよかったですね」

「そうだな。――まさか、お前の分の剣を、タダで作ってもらえるとは思わなかったが」

「ははっ…奉納品か何かと勘違いしているのかもしれません」

 実用品として作ることは間違いないだろうが、店主の心持としては恐らくイリッツァの予測は正しいだろう。神に捧げる――リツィードに捧げる剣となりそうだ。

「幸い、うまくリツィードの癖を加味した剣を作ってもらえそうですし。よかったよかった」

 往来のため、余所行きの口調で話すイリッツァだが、その声は弾んでいる。背後に尻尾が見えそうなほど羨ましそうに見ていたあの様子を考えれば、自分のための剣を作ってもらえることが本当に嬉しいのだろう。

「それにしても、お前、本当に一瞬で切り替わるんだな。『聖女』に」

「え?――あぁ、そりゃまぁ…仕事、なので」

 夢も希望もないことを言い出す婚約者に、カルヴァンは思わず笑う。イリッツァはむっとした表情をした。

「カルヴァンこそ…知ってて振ったでしょう。あの話」

「いや。オヤジが敬虔な信者だっていうのは、今日初めて知った。リツィードの死に関して、この十五年、やたらと思うところがありそうな素振りをずっと見せていたのは知っていたが、こんなに敬虔な信者だったのかと知って初めて、その可能性に思い至った感じだな。膝をついて懺悔を始めたのはさすがに予想外だったが」

 リツィードへの悔恨の気持ちがあるのであれば、リツィードに似ているイリッツァをリツィードのように可愛がってやることも、聖女を護るための剣を作ることも、「聖女様にそんなことを」といって拒否されることなく受け入れてもらえるのでは、と思って水を向けただけだったのだが、まさか懺悔を始めるとは思わなかった。結果的には、今後彼女が一人で店に赴いたとしても、今までのように店にも入れてもらえないということはなくなったのだから、良かったのだが。

(――ほんと、わかり辛い奴)

 イリッツァが、カルヴァン無しでも一人で店に来られるように、という配慮だったのだろう。彼らしい酷くわかりにくい優しさを、くすぐったく思いながら、イリッツァは心に灯る微かな温もりとともに、それを静かに受け止めた。

「俺には気味が悪いとしか思えない『聖女』の顔だが、国民にとっては必要なんだろうなと初めて気づいた」

「今更かよ…」

 つい一瞬、素に戻って呻いてしまう。コホン、と一つ咳払いをして切り替えてから、むっとした顔でイリッツァはカルヴァンを振り仰ぐ。

「っていうか、気味が悪い、って、失礼ですね」

「昔も言っただろう。その喋り方は、とにかく気持ちが悪い。お前と出掛けるのは初めてだが、その気味の悪さを貫かれるなら、屋敷にいたほうがましだな」

「じゃあ、今度は、馬で遠乗りにでも出かけましょうか」

 渋面を作るカルヴァンに、さらりとイリッツァが提案する。

 一、二度灰褐色の瞳を瞬いた後、カルヴァンはイリッツァを振り返った。

 イリッツァは、楽しそうに笑っている。

「私も、カルヴァンと一緒にいるときは、誰にも見せない――貴方にしか見せられない、"素の自分"でいたいので。でも、こうして二人で外に出るのも楽しいです。だから――今度は、人目のない、どこか遠くまで、遠乗りにでも行きましょう。馬に乗って、お弁当とか持って。――うん。きっと、すごく楽しい」

 薄青の瞳が、柔らかく緩んで、ふわりと優しい笑顔を作った。

 まだ見ぬ未来を思って作られたそれは、聖女の笑みではなく――カルヴァンの前でだけ見せる、"素"のイリッツァの表情。

「――…ツィー」

「はい?」

「今日だけ屋外でもイイということにはならないか?」

「?」

「――今すぐキスしたい」

「っ――――!!!?」

 ぼっとイリッツァの顔に火が灯り、焦ってカルヴァンを見上げれば、そこにはいつもの"スイッチ"が入った時の灰褐色の瞳があった。

「い、いやいやいやいや!!!ならない!!!なるわけない!!!!」

「何故だ」

「なるわけねーだろ阿呆か!!!!」

「お前から、今度こそ正真正銘のデートに誘ってもらえたんだぞ。独占欲を満たす口説き文句付きで。――ここで今すぐキスできないとか、意味が分からない」

「デっ――デートってなんだ!!!?そそそそそんなつもりじゃ――」

「さっきの提案は完全にデートだろう。異論は認めない」

「~~~~~っ」

 じりじりと距離を詰められて、必死に抵抗するイリッツァは、既に口調を取り繕う余裕すらない。

 目を白黒させるイリッツァに、雄の色気たっぷりの瞳で笑んだ後、カルヴァンはそっとその手を取った。

「じゃあさっさと屋敷に帰ろう。すぐにキスしたい」

「っ……」

 ぐいぐいと引っ張られるようにして連れられて行く様は、外から見たら手をつないで歩いているように見えるのだろう。大通りでこれ以上なく注目を集めていることを感じながら、イリッツァは羞恥で顔を俯け、小さく呻いた。

「か…勝手にしろ…っ…」

「ああ。言われなくても」

 にやり、と頬を歪めて笑う表情は、いつも人を食ったような笑み。

 イリッツァは、真っ赤な顔を隠すように、つながれているのとは反対の手で、熱くなった頬を覆ったのだった――

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