第3話 男らしい趣味でも、可愛い②

「よぉ。カル坊じゃねぇか。まーたあの剣のメンテか?」

 入店した途端、来客者の顔を認めて、店主が揶揄い交じりの声をかけてくる。恰幅が良いひげ面の中年男性は、浅黒く日焼けした肌とのコントラストがまぶしい白い歯を見せてニヤリと笑っていた。

 店主とは兵団に入団した十歳の時からの付き合いだ。「カル坊はやめろ」と何度言っても、彼の中ではずっと生意気だった悪童カルヴァンのイメージが抜けないのか、三十路を間近にしたこの歳になっても未だに呼び名を改めてくれないので、数年前くらいにその不毛なやり取りをするのは諦めた。

「いや、あれはもう手放した。今日は、普通に剣を新調しに来た」

「ぉお!?本気か!?明日は槍でも降るんじゃねぇか!?」

 ガタッと座っていた椅子から興奮した様子で店主が立ち上がる。その反応に苦笑しながら、カルヴァンは左耳を軽く掻いた。

「長剣か!?短剣か!?メインで使うやつなら、俺がイチから鍛えてやるぞ!国家を担う王国騎士団長だ、それなりの剣を――」

「あー、いや、そうだな。それも頼みたいんだが、今日は――」

 興奮した店主をなだめるように言いながら、ちらり、と背後に目をやる。そこで初めて、店主はカルヴァンの後ろにいる人影に気づいたようだった。

「あ、あの――…お邪魔します」

「せっ――聖女様!!!!????」

 ガタガタンッ

 驚いた拍子に、先ほど立ち上がった椅子を思い切り蹴とばしたのだろう。店主の足元でやかましい音が鳴り響いた。

「あ、すみません、驚かせてしまって――」

「い――いやいやいやカル坊!!!おまっ――お前、なんつーお人をこんな小汚い店に連れて来てんだ!!!!?」

 目を白黒させて言い募る店主に、カルヴァンは苦い顔を返す。もう二十年近い付き合いになるが、彼がここまで取り乱すのは初めて見た。

「せ、聖女様がいらっしゃるような店ではありません!あぁ、こんな汚くて狭くて臭くて物騒な場所に、神の化身たる貴女が――おいカル坊!お前、今すぐ聖女様を最上位の敬意をもってエスコートして帰れ!」

(なるほど…これじゃ、一人で来ても店の中にも入れなかったわけだ)

 いつもの粗野な素振りからは想像できなかったが、意外と彼は敬虔なエルム信者だったらしい。そう思ってみてみれば、確かに店の壁にデカデカと聖印が掲げられていた。興味がなさ過ぎて、二十年近く気にも留めていなかった。

 店の前で憂鬱なため息を吐いていたイリッツァの横顔を思い出して、心の中で嘆息する。

「あー、いや、こいつが連れてってくれ、って言ったんだ」

「な!!!?コイツ!!!?おまっ――聖女様に、聖女様になんつー口の利き方を!!!!!」

「あー。懐かしい反応だな、そういうの。――まぁ、気にしないでくれ。一応、未来の嫁なんだ。好きに呼ばせろ」

 最近は職場との往復ばかりだったので、カルヴァンの決闘前のごたごたから戦争後のすったもんだまで、よく見知っている人物としか会話をしていない。二人の様子に慣れ切ってしまったのか、聖女に対する口の利き方を不敬だと咎めるような人物が殆どいなかったので、いっそ懐かしさすら覚えながら、店主に面倒くさそうに説明すると、彼はやっと一か月前に王都を賑わせたセンセーショナルなニュースを思い出したのだろう。ハッとした顔になってまじまじとカルヴァンを見上げた。

「…ロリコンってのは本当だったのか…」

「喧嘩売ってんのか、オヤジ」

 ビキッと額に青筋を浮かべて思わず低い声が出る。不名誉極まりない噂話は、いつの間にか王国中に流布しているようだ。

「もうすぐ婚約発表して一か月だろう。いじらしい俺の嫁は、記念に何かを贈りたいと言ってくれてな。そういえば鍛錬用の剣を新調したいと思っていたところだったから、それを頼んだんだ」

「なるほど。まったくの門外漢の物品でも、きちんと自ら選びたいとは、さすが聖女様はお優しい…」

「は…はは…」

 すらすらと出てきたカルヴァンの嘘に、なんとか引きつった笑みでごまかすイリッツァ。

「ほら、ツィー。あっちにあるのが、丁度いいだろう。好きに見て来い」

「う、うんっ!」

 嬉しそうな顔で小走りで指さした方に駆けていくイリッツァに、こっそり苦笑する。聖女の口調をうっかり忘れるほど浮かれているらしい。

「一緒についてかなくていいのか?」

「あぁ…まぁ、鍛錬用の剣だしな。俺じゃ絶対選ばない、と思うようなものでも、気持ちが嬉しいだろう。好きに選ばせるさ」

 飄々と嘯く。本当は、きっとついていったところで、カルヴァンのことなど完全に放置して自分の世界に浸って真剣に独りで剣を吟味するだけだろうから、ついていくという発想がそもそもなかっただけなのだが。

「とんでもなく高価なやつ持ってくるかもしれないぞ」

「はは、それはそれで男の甲斐性の見せどころだろう」

「太っ腹なことで。――溺愛してるってのは本当か」

「あぁ。最高に可愛いだろう?」

「やれやれ」

 息をするように惚気た三十路男を前に、軽く肩をすくめながら呆れたように店主はつぶやいた後、カウンターの奥に引っ込み、何やら分厚い帳簿を持ってくる。

「それより、お前さんだ。鍛錬用の剣は素人任せでも、いつも使うやつはそうはいくまい。いい機会だ、ちゃんとイチから作り直せ」

「あぁ――…」

 持ってきた帳簿には、今までカルヴァンがこの店で行った取引の詳細が書かれているらしい。金額などだけではなく、メンテナンスでどこをどう直したか、それがカルヴァンのどんな癖や好みによるものなのか、詳細に書き記されている。

「別に俺は、その辺の適当な既製品の剣でもいいんだけどな。剣なんて所詮消耗品だろう」

「お前…周囲にどんなに止められても、十五年も同じ剣を頑なに使い続けた奴のセリフじゃねぇな」

 店主の半眼の呻きに、左耳を掻いて回答をごまかす。

 カルヴァンの元来の性質はこちらが正しい。剣も、防具も、馬ですら、その時縁があったものを適当に使う。愛着を持つことはなく、ガタが来たらさっさと次へと乗り換えればいい。何物にも執着せず、縛られないカルヴァンの生き方だ。

「お前さん、所帯持つんだろう。待ってる家族がいる人間が、そんなことじゃいけねぇ。道具は命を預けるもんだ。きちんと信頼できるものを使え。間に合わせの道具とイチから仕立てた道具とでは、いざというときの生存確率が格段に変わる」

「…それを言われると耳が痛いな」

 店主の言葉に、イリッツァと交わした誓いが耳の奥で蘇り、鼻の頭にしわを寄せる。

「剣身部分は、十五年間の記録があるからだいぶお前さんの癖も好みもわかるが――いかんせん、柄の部分がな。どんなに言っても頑なに変えなかっただろう。あそこまで使い込まれたものと同じものを用意するのは、さすがに難しい。お前さんの好みもよくわからん。いくつか近い重さや握り具合の柄がついた剣を出してやるから、振って確かめて来い」

「そうだな…まぁ、せっかくの機会だし、ここらで腹括るか」

 小さく嘆息して、店主の申し出を大人しく受け入れる。これからは、少しでも生にしがみつく必要があるのだろう。イリッツァが待っている家に、ちゃんと帰るためにも。

(…俺が死んだ後に、他の男と結婚するとかになったら、死んでも死にきれないしな…)

 手の付けられない独占欲は、日に日に肥大する一方だ。きっと、もう、何があっても彼女を手放すことはできない。

 ふと、店の奥に目をやると、再会してから一番イイ顔をして、あれこれ剣を手にとっては重さを確かめたり剣身に目を光らせたりしている少女が目に入った。

(――…俺と再会した時よりも、帝国から助け出した時よりも、最高にイイ顔してるな…)

 複雑な想いを抱きながら、苦笑してその後姿を眺めていると、柄のサンプルとして数本の剣を出してきた店主が、いつのまにか隣に並んでいた。

「なんか、聖女様、変わってるな。剣のことなんか、よくわからんだろうに…」

「…まぁ…好奇心旺盛なんだ、俺の嫁は」

 適当に嘯く。

「そりゃ、ああして嬉しそうに選んでもらえて、悪い気分じゃねぇけどよ。でも、あれだな。こうして見てると、まるで――」

 店主はそこで一度言葉を切り、ちらりとカルヴァンを見上げる。その視線に気づいて疑問符を返すと、嘆息してからもう一度イリッツァを見て、店主はそっと言葉を繋げた。

「――"坊主"が、帰って来たみてぇだ」

「――――――あぁ――…まぁ、確かに」

 彼の言うところの"坊主"が誰かわかったうえで、言葉少なく認める。皺だらけの店主の瞳は、懐かしそうに、どこか哀愁を漂わせて、イリッツァの背中を見つめていた。

 イリッツァの顔は、初見では先代聖女フィリアに似ていると思う人間がほとんどだろう。しかし、リツィードを知っている者が、しばらく彼女を観察すれば――きっと、全員が同じ感想を抱く。ナイードで衝撃を受けた、あの日のカルヴァンのように。

「最初は、あのカル坊がロリコンだったとは人は見かけによらない――と思ってたんだが」

「オイ」

「もしかして、お前、聖女様を選んだのは、そういう理由じゃなく――」

 言葉を切り、もの言いたげに店主がカルヴァンを見上げる。

 ずっと、十五年も、何度手放せと言われても頑なに手放さなかった剣をメンテナンスし続けた店主は、その剣がどんなものか、知っていたはずだ。――それは、この店で、別の剣士のために、イチから鍛え上げた彼の作品でもあったのだから。

 この店に来る顧客たちの中でも、一際剣が好きで、こだわりが強くて、いつだって嬉しそうに「オヤジ!」と店にやってくる少年を、「坊主」と呼んで酷くかわいがっていたことを、カルヴァンは良く知っている。「出世払いで返せ」と言って、十五の少年兵には高価すぎる業物を――のちにカルアと名付けられた剣を、アルク平原での功績を聞いた店主が、祝いだといって特別価格で作ってやっていたのも、知っている。

 そうして、店主の方も当然――それまで、既製品しか買ったことがない、剣になど興味を示しもしなかった悪童が、ある日を境に一つの剣だけを相棒に据え、心を凍てつかせて鬼神のようになっていくその過程も、良く知っていたはずだ。何度、道具の寿命を超えて使い続けることの危険性を説いても、タダで作ってやるから頼むから交換してくれと懇願しても、決してその剣を手放さなかったのも知っていたはずだ。

 何より、兵団に最年少で入団した幼い二人が、頻繁に揃って一緒にこの店を訪れていたことを、一番良く知っていたはずだ。

「さぁ?単純に、タイプだったからかもしれないぞ」

 にやり、と片頬を歪めて笑って飄々と返したカルヴァンに、店主は一度目を瞬き――ふ、と苦笑を漏らした。

 他国に攫われ、無理矢理皇族の第四妃にさせられ、口づけをされた事件は王国にも広まっていた。戦後、それが問題となり、聖女としての資質を問う派閥がいたことも知っている。逆に、そうして聖女を貶めることこそが帝国の陰謀だったのだと、帝国への進軍をさらに進めるべきだと主張する派閥がいたことも。

 神の化身たる聖女が、高度に汚い大人たちの思想や主義主張に巻き込まれ、利用されかねない場面で、カルヴァンが、結婚という大義名分を使って、聖女を『一般人』にする――還俗させる、というとんでもない方法を取ったのが、一か月前。ただ純粋に聖女の神聖性を大事にし、彼女の幸せを祈る敬虔なる信徒たちは、それが汚い人間たちの魔の手から逃れるための方法だったと理解している者も多い。

 当然――敬虔な信徒である、店主自身も。

「まぁ、坊主が剣に目を輝かせてる間中、さっさと自分の買い物済ませて店の前を通りかかる女を片っ端から誑し込んで今夜のお相手探してたような悪ガキが、今は大人しくしてるみたいだから、人ってのは成長するもんだな」

「悪かったな」

「聖女様泣かせたら承知しねぇぞ」

「はいはい」

 おそらく本気の脅しなのだろう。低い声で言われた言葉に、適当に返事をしていると――

「ヴィー、ヴィー!この辺!この辺が気になる!」

 パッと青みがかった銀髪をはじけさせて振り返ったイリッツァが、嬉しそうにカルヴァンを呼んだ。手元には、一生懸命厳選したらしき剣が数本抱えられている。

 くっと喉の奥で笑いを漏らしてからイリッツァに近づき、剣を覗き込むふりをしながら、耳元にささやく。

「――聖女の仮面が取り繕えてないぞ?」

「っ…!!!」

「まぁ、俺は、外でお前に愛称で呼ばれるのも、嫌いじゃないんだが」

 カルヴァンの指摘に、我に返ったのだろう。かぁっと頬を染めて、イリッツァが押し黙る。

「ぅ…か、カルヴァン…」

「あぁ」

「この数本が、気になるので…試しに、振ってみて、欲しいです…」

 小さな声で律儀に言い直した婚約者に、くく、と笑いを漏らして、イリッツァが手にしていた剣を取る。さすがの目利きだ。訓練用とはいえいい品ばかりを選別したようだ。

「わかった。――オヤジ、奥の部屋貸してくれ。アンタが持ってるサンプルと合わせて、振って試してみたい」

「あぁ、わかった。ちょっと待ってろ」

 店主が奥に引っ込んで、素振り用として用意された別室のカギを持ってくる。

「新婚なんだ。しばらく二人きりにしてくれ」

 店主から鍵を受け取るときにニヤリと笑んでひと言添えると、これ以上なく呆れた表情が返って来た。げんなりした表情だったから、これで邪魔が入ることはないだろう。

 訳知り顔で奥の部屋へと向かい、扉を閉めると――

「ほら。――好きなだけ振って確かめろ。オヤジの邪魔は入らない」

 イリッツァが選んだ剣を渡しながら告げると、ぱぁっとイリッツァの顔がこれ以上なく輝いた。

「お前――…本当に、見たことないくらいイイ顔するな…」

「ありがとう!!!!」

 最高の笑顔で礼を言って、イリッツァは一本ずつ、人目を気にすることなく素振りをして具合を確かめていった。

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