平面に帰す

五月庵

平面に帰す



「一組のトランプから何段のタワーが作れるか、知ってるかい?」


 夕方、西日射し込む文芸部の部室。いつも通りすることもなく、他の部員がしているように暇つぶしに文庫本を捲っていると、それまで黙々とトランプタワーを作っていた先輩がそう尋ねてきた。


 一組のトランプは54枚。柱となる部分は必ず2の倍数。天井部分は上段から1枚、2枚、3枚……。数式を組み上げればすぐにわかりそうな気もしたが、考えるのが面倒だったので「わかりません」と答える。


「早っ。せめてもう少し考えてから答えてほしかったな」


「次からはそうします。それで、答えは何なんですか?」


「5段だよ。最大で5段。思ったよりも低く感じないか?」


「へぇ。まあ大体そのくらいだろうな、という気がしますけど」


「そうかなぁ。僕は低く感じるよ。5段作れると言っても、完成した後10枚くらい余るんだ。それなら6段になってもいいだろうに」


「よくわかりませんが、先輩が無茶を言ってるってことだけはわかります」


 無茶じゃないと思うんだけどなぁ、と先輩はぶつくさ言いながら、再度タワーを組み立て始める。その様子をちらりと見ながら、今日も先輩はいつも通りだなぁ、とぼんやり思う。


 先輩は私の一つ上の学年、三年生だ。他の先輩が皆大学受験で忙しく勉強をしている中、この先輩だけはいつも部室に入り浸り、暇つぶしをしていた。それも、大抵は一人で遊べるものばかりだ。トランプにオセロやあやとりエトセトラ。それでいて成績優秀、というのならいいのだが、そういう訳でもないのが先輩の凄いところだと思う。自分の将来よりも今この時を楽しむことに全力をかけられるというのはある種の才能だ。決して見習おうとは思えないけれど。


 両手に1枚ずつトランプを持って、その上端をぴたりと合わせて二等辺三角形を作り上げる。机がつるつるしているせいかかなり難航していたが、何とか2段目まで作り上げる。しかしその苦労も敢え無く、窓から吹き込んだそよ風によってタワーは崩れ去ってしまった。先輩はああー、と力なく呻いて、机上に散らばるトランプをかき混ぜた。


「どれだけ苦労して築き上げても、それが崩れ去るのはほんの一瞬のことでしかない。こうして考えると、トランプタワーはなんだか人生そのもののような気がしてこないか?」


「大袈裟ですね。そういう小難しい話は遠慮しておきます」


「つれないなぁ。せっかくこの僕が人生の先輩としてありがたい話をしてやろうと思っていたのに」


 オーバーに首を振りながら、やれやれと溜め息を吐く先輩にイラっとする。しかし一瞬の後にその容姿の美しさに思わず見惚れて、言い返すチャンスを失ってしまった。


 夕陽の赤が反射する、艶やかな黒髪。羨ましいと思うのもおこがましく感じられるほど、きめ細やかで白い肌。ビスクドールのように整った顔立ちは、どこか人外じみた恐ろしさを見る者に抱かせる。先輩は、私の知る世界の中で一番綺麗な人だった。


 新入部員への自己紹介で、先輩が自分は小学校のころ美少年として有名だったのだと言っていたことがある。それを自分で言うかと皆呆れていたが、その整った顔立ちを見ると、なるほど確かに幼いころもさぞ人目を惹く美少年だったのだろうと納得させられるのだった。


 黙っていればもっとモテるだろうに、勿体ないなぁ。いや、綺麗だからこそこんな性格になってしまったのかもしれない。なんちゃらと天才は紙一重と言うし……。いや、これは意味が違うかな?


 そんなことを考えていると、私の視線に気が付いたのだろう、先輩がグンッとこちらに振り向いて身を乗り出してきた。


「ん?さては僕に見惚れていたな?いいだろういいだろう、この美貌を思う存分見るがいいさ」


「もう十分過ぎるほど見たので結構です」


「見惚れていたことは否定しないんだね」


「まあ、事実ですから」


「正直でよろしい!さて、もう5時だ。僕はもう帰るから、皆は部活動に勤しみなさい。それでは、さようなら」


 いつの間にか散らばっていたトランプを片付けて、先輩はさっさと部室を後にした。残された私たちは「今日も先輩は元気だったね」「そうだね」なんてことを呆れ半分親しみ半分に話し合った。それからほどなくして帰宅した。


 誰よりも綺麗で、変人だった先輩。私たちは皆、きっと先輩は大人になったら今以上の美男子になることだろうと予想していた。しかし、先輩がその美貌を我々に見せることはなかった。


 卒業式の二か月前に、先輩が行方不明になったからだ。


 


 あれから七年後。先輩は、この世の人ではなくなった。


 正確に言えば、先輩が行方不明になったまま七年後の今に至るまで見つからなかったため、失踪宣告が出されたのだった。これにより、法律上先輩は死亡したものとみなされ、先輩にかけられていた保険金などを家族が受け取れるようになる。実際に死亡届を出すまでには半年ほどの期間が必要だそうだが、失踪者本人がひょっこり現れでもしない限り、それが覆ることはないのだという。高校卒業後ほとんど動いていなかった学年全体のグループラインで、以上のことを知った。


 ……そうか、あれからもう七年経つんだ。


 何だか全ては遠い昔のことのように思える。だが、まだ鮮明に思い起こされる文芸部での日々が、まだ忘れるには早いと私を責め立てる。正直、今の今まで先輩のことは忘れていた。でも、これだけはっきりと先輩のことを思い出せるということは、忘れようにも忘れられない出来事として記憶に刻まれていたということなのだろう。


 先輩が行方不明になって間もない頃、皆、これは何か質の悪い冗談なのではないか、またすぐにいつも通りの先輩が見られるんじゃないかと期待し、胸の内にぐるぐると渦巻く不安を払拭しようと無理に笑いあっていた。しかし、先輩が見つからないまま一週間、二週間と経つにつれ、学内全体に暗い雰囲気が漂い始めた。そして、先輩の行方についての噂話は、段々と生存を絶望視するものへと転じていった。


 親と喧嘩して、遠い町に家出したんじゃないか。身代金目当てに誘拐されたのかも。あれだけの美貌だったんだ、変態に連れ去られてしまった可能性もあるよ。将来を憂えてどこかの崖から身を投じたのかもしれない。事故に遭った可能性もあるのではないか。


 どれも何一つとして根拠のない、ただの空想だ。それでも、そのどれもがあり得そうだと思えてしまうのは、美人薄命という言葉を私が信じていたからかもしれない。


 美しい人は若くして神様に連れ去られてしまう。


 どこで聞いたのかもあやふやな言葉に囚われて、私は完全に先輩は死んだものとして扱うようになっていった。多分、他の人も同じだったのだと思う。いつしか学内で先輩の話はタブー化され、先輩は『いない人』になった。それはとても残酷なことなのかもしれない。それでも、私たちは先輩を忘れたふりをして生きるよりほかなかったのだ。


 高校時代の友人とラインでやり取りした後、ごろんと床に寝転がる。明日も仕事だ。明日に備えて準備をした方がいい。そう思うのに、体に力が入らない。このまま寝てしまおうか、とぼんやりしていたその時、ふと、本棚の上に置かれたトランプが目に入った。週刊誌のプレゼント企画になんとなく申し込んだら当たった、人気漫画のトランプだった。その漫画は好きでも嫌いでもなかったけれど、絵が可愛いので取っておいてあったのだ。


 思えば、あの先輩と一番長く会話したのはあのときだけだ。先輩の砕けた話し方になんとなくよく話す仲だったような気がしていたけれども、大抵、先輩は一人遊びに夢中だったし、交流があったのは一年半ほどの短い期間だけだった。ふと思い立って、トランプを手に取る。


「……作ってみようかな。トランプタワー」


 こんなことが先輩の追悼になるとは思わないけれど、その時の私には、トランプタワーを作ることに何か意味があるように思えたのだった。そうして何度か失敗しながらようやく5段のトランプタワーを完成させた、そのときだった。


 目の前に先輩がいた。あのときと全く同じ学ラン姿で。


「やあ。久しぶり」


「……ご無沙汰してます」


「なんだよその反応は。この僕がせっかく化けて出てきてやったっていうのに、つれないなぁ」


「いや、驚いてはいますよ、勿論。ただびっくりしすぎて反応し難いといいますか」


「そうかい。それも無理らしからぬことではあるな。僕だって信じられない」


 浮遊したままうんうん、と頷いて見せる先輩に、思い切って拳を突き出す。すると予想していた通り、腕は何ら抵抗を受けることなく先輩の胴体を貫いた。


「ぎゃっ!乱暴なやつだな!久し振りに再会して早々に人を殴るのはどうかと思うよ!」


「すみません、どうしても気になって。……化けて出たってことは、やっぱり亡くなってたんですね」


「うん。僕は7年前に死んでるよ」


 私の問いかけに、先輩はなんてこともないように言って見せる。


「そう、ですか。あの、先輩はどんな風に死んだんですか。答えたくなかったら答えなくても構いません」


「やっぱり気になるよね。僕がどんな風に死んだのか。君は、眠るように安らかな死と苦しみながらの悲惨な死、どちらであったらよかったと思う?」


「それ、は……。なるべく痛くなく死んでいったのならいいなとは思いますけど」


「そうか。僕もそうだといいなと思うよ」


 ぼそっと呟くように先輩が言う。それは、どういう意味なのだろうか。


「……そうじゃ、なかったんですか?」


 恐る恐る尋ねると、先輩は破顔して、くふくふと妙な笑い声を出した。


「そんな顔をするなよ。そうだなぁ。それは君次第かな。僕がどう死んだのか、言ってみてごらん。その通りの話を作ってあげるから」


「作るって……何でもいいんですか、それ」


「ああ。好きにして構わない。何であれ僕は感涙必須のストーリーを語ってあげるよ。出来るだけ後味の悪くない、ね」


 つまりは真実を語る気がないってことだ。


「……私は、真実がどうであれ、先輩に対して何らかの後ろめたさを感じる気がします。なので、先輩に話す気がないならそれでいいです。幽霊の先輩がお元気そうなのでどうでもいいってのもありますが」


「どうでもいいって何だい。酷いなぁ、あれだけ面倒を見てやったというのに薄情なやつだね君は。これだから最近の若者というやつは信用ならないんだ」


「いやな言い方をしますね。第一、私と先輩は一個違いでしょうに。それにお世話になった覚えもありません」


「うん、自分でも嫌な言い方をしたという自覚はあるよ。世代の違いという雑な括りで他者を批判するのはどうかとも思っている。だからこれは単なる嫌がらせさ」


 そのくらいのことはわかっている。だが、そうしてわざわざ解説してくるうざったらしさもまた、先輩の嫌がらせなのだろう。昔と変わっていない。そういうところが、嫌いではなかった。


「トランプタワーを作ってたんだね。懐かしい。そういえば、僕はついぞ完成させることが出来なかったな。案外手先が器用なんだね、君」


「案外ってなんですか。根気があれば、誰にでも出来ると思いますよ」


「幽霊にも?」


 その問いかけに、私は答えることが出来ない。先輩は、タワーになれずに余った10枚ばかりのトランプから目を離して、すまなそうに笑いかけてきた。


「ごめん。今のは意地悪だったな。別に作りたいと思ってるわけじゃないから安心してほしい。未練もさほど残ってない。僕は自分の死を仕方がないものとして受け入れている。だから、安心していいよ」


 その言い方があまりにも優しくて、寂しそうで、何か言ってあげなければと思うのに、私はただ「はい」と頷くことしかできなかった。先輩は、そのことを全て了解しているというように、にっこり笑って見せる。私はこれほど美しい笑顔を見たことがなかった。きっとこの先も、これ以上綺麗なものを目にすることはない。そんな予感がした。


「人は皆、平面に帰す。僕を見てごらんよ、死体は見つかってないけど失踪届という薄っぺらな紙一枚で、僕という存在は亡き者にされている。僕は実体を持たない亡霊だ。いや、それよりもなお質が悪いかもしれない。死体が見つからない限り、僕が生きているという可能性も否めないのだからね」


「さっき自分で死んでるって言ってたじゃないですか」


「うん、言ったね。でもそれが何だっていうんだ。死人に口なし、もはや僕の人生は僕のものではなくなってしまった。現に母親は今もどこかで僕が生きているんじゃないかと期待しているしね。僕みたいな親不孝な息子を持って可哀そうだと思う。でも僕にはどうにも出来ない。そもそも、今こうして君と会話している僕が、本当に『僕』という保証もないからね。全ては仕事のストレスが君に見せた幻なのかもしれないじゃないか」


こんなによく喋る幻があってたまるか。


「こんなによく喋る幻があってたまるか」


「君、心の声をそのまま口に出してないか?まあいいや、そろそろ時間みたいだし、僕は帰ることにするよ。久し振りに誰かと話せて楽しかったよ。ありがとう。それでは、さようなら」


「えっ。帰るってどこに、先輩!」


 呼び止める声も虚しく、現れた時と同様の唐突さで先輩は消えてしまった。後には崩れたトランプタワーだけが残されていた。


 


 あれから、先輩の亡霊を見ることは一度もなかった。先輩が言っていたように、あれは夢か幻だったのかもしれない。今となっては、それでもいいと思っている。


 人は皆平面に帰す。私の人生が薄っぺらな紙一枚で表される、なるほどそれは虚しいことなのかもしれない。でもそれがどうしたというのだ。先輩は言っていた、死人に口なしだと。ならば死人らしく人に人生観を説くんじゃない。我ながらあまりに遅すぎる突っ込みだ。だけど、まだ私が生きている以上、私の人生は私のものだ。だから最後の時までみっともなく生き抜こうと思う。先輩も、きっとそうしていたと思うから。5段のトランプタワーを6段にするのは無茶だけど、生きるのはそれほど無茶ではないと、思うから。


 だから私は、全力で生きる。平面に帰す、その時まで。


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