第八十二夜(ありがとうの日)

「お嬢様。いつもわたくしのような若輩者をお傍においてくださり、ありがとうございます」

「なに急に。気味悪いわね」

「いえ。お嬢様にお仕えする身として、もっと感謝の気持ちをお伝えせねばと愚考しただけですよ」

「まあ、悪い気はしないけど」

「わたくしは幸運でございます。お嬢様のような美しく聡明でお優しい方に執事としてお仕えできるとは」

「あ、あら。たまにはいいこと言うじゃない」

「お嬢様とともにいることがわたくしの最大の喜び。これからもどうぞお傍においてくださいませ」

「そこまで言うなら仕方ないわね」

「お嬢様のためなら、火のなかでも水のなかでも喜んでこの身を投げ入れましょう。あなたの望みを叶えるためにわたくしはいるのです」

「いや、そんなことは頼まないけど……」

「さすがは慈悲深いお嬢様。お嬢様のような主人を持って、わたくしがどんなに幸福か……」

「……ねえ」

「はいお嬢様。なんなりと申しつけください」

「なに隠してんのよ」

「なんの話でございましょう。ああ、そろそろ紅茶がなくなりますね。新しいものを淹れましょう。スイーツのおかわりはいかがですか?」

「だからやめなさいってば。口元引きつってんの見えてるし」

「いえ、わたくしは……」

「さっきから聞いてれば、しらじらしい言葉ばっかり並べちゃって。わざとらしいったらないわ。で? わたしに知られたらまずいことでもあるの?」

「…………」

「そもそもあんたが素直にわたしを褒めたり感謝するわけないし。バレバレだっつーの」

「その、わたくしはただ……」

「言い訳はいいから白状しなさいよ。怒んないから」

「本当ですか?」

「当たり前でしょ。わたしが理不尽にあんたを叱りつけたことあった?」

「……実は、午前中にお嬢様のお部屋を掃除した際、桃井がうっかりお嬢様のお気に入りのティーカップを割ってしまい……」

「なぁんだ。そんなことで怯えてたのね」

「本当に怒らないのですか?」

「だからそう言ったでしょ。ももちゃんがドジっ娘なのは知ってるし、それくらいでいちいち怒ったりしないわよ」

「では、そのあとあわてた桃井が、お嬢様がおととい買ったブランドもののブラウスを裂いてしまったことも、笑って許してくださいますか?」

「ごめん。それは別」

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