ワン・ワン・ワン!

五月庵

ワン・ワン・ワン!


「俺は外に行かねばならないような気がする」



 真面目な顔をして、唐突に、兄さんはそう言った。


 暑い、夏の日のことだった。


 当然続く言葉があるのだろうと僕もつられて居住まいを正したが、耳に届いたのはずるずると兄さんが冷や麦を啜る音だけだった。呆気にとられた僕が「え?」と間の抜けた声を出すと、「俺は外に行かねばならないような気がする」と一言一句違わずに全く同じ言葉を兄さんは繰り返した。いや、それはわかる。ただ僕が気になったのは、なぜ外出する旨をそんなにもかしこまった言い方で宣言したのか、ということだ。第一、行かねばならないってなんだ。まるで神からの天命を受けたかのような言葉に不信感を抱く。


「別に外に出るくらい好きにしなよ。あ、そうだ、どっか出掛けるならついでにアイスを買ってきてよ。兄さん、また勝手に僕のを食べただろ」


「えっ、あれお前のだったのか。それは悪かった。でも、国外でもアイスって売ってるものなのか?」


「は、国外?」


 そこでようやく、兄さんのいう外がこの国の外のことを指しているとわかったのだった。


「それは、本気で言ってるのか?」


「俺はいつだって本気だよ」


「っ、国外に出てどうするつもりなんだよ。 外の世界は国の中のように明るくはないんだぞ」


「とりあえず何年か住んでみようかと思う。何をするかは行ってみてから考える。暗くなっても、火をつければなんとかなるさ」


 それでなんとかなるようなら、どうして僕らは未だ暗闇への恐怖を克服できていないんだ。


 そう叫びそうになって、寸でのところで食い止める。兄さんが突拍子もないこと言い出すのは、何もその時が初めてではなかったからだ。


 ある時、ろくに料理をしたことがないくせに「俺は料理を極める。楽しみにして待ってろよ」と言ってきたことがある。どんなものが出来上がるのかとひやひやしながら待っていたが、キッチンに立ったはいいものの、何が何処にあるのかわからなかったのだろう。暫くガタゴトさせていたかと思うと、


「俺にはまだ料理は早かったようだ」


 にこりともせずに、そう言ったのだった。


 だからいつものようにどうせ準備の段階で面倒くさくなって諦めるだろうと信じていた。その時はまだ、まさかそれを実行に移すなどとは思ってもいなかったのだ。


 真面目に取り合うのに疲れた僕が何故急にそんなことを思い立ったのかを尋ねると、兄さんはこう答えた。


「それは……なんとなくだ!」


 勿体ぶって溜めた割にはしょうもない理由に眩暈がした。だけど、兄さんらしいといえば兄さんらしかった。


 その日の晩、近々国外に行こうと思っていることを兄さんが告げると、当然のごとく両親は狼狽した。だが意外にも、心配そうな顔をしながらも、強く反対することはなかった。


「いつかこの日が来るんじゃないかと、ずっと思ってはいたの。この狭い世界にずっといられるほど、一郎は小さくはなかった。そういうことなのよ」


 後から母さんが僕に言ったことだ。もう止められないことなのだという諦めが、母さんの声に滲んでいた。


 それから兄さんは、出発の日に向け準備を進めていった。今までの振る舞いが嘘だったかのような手際のよさだった。その段に至ってようやく僕は、兄さんが本気で外の世界に行くつもりなのだと理解した。


「たまに手紙を送るよ」


 そう言い残し、兄さんは家を出て行った。何があるかもわからない外の世界に、たった一人きりで。


 やっぱり引き留めるべきだったのかもしれない、そう後悔する僕を、父は慰めた。


「そうしょんぼりするな。一郎ももういい大人なんだしきっと上手いことやってくさ。それに、おれ達が何を言ってもあいつは外に出て行っただろうな。昔からよくわからない子供だったし」


 そう言って父は笑ったが、明らかに元気をなくしていた。よく一緒に釣りに行くほど仲が良かったのだから、余計に悲しいのだろう。今思っても、父さんと母さんの二人ともが、兄さんの出発を仕方のないこととして受け入れられていたのは不思議なことだ。


 


 正直に言って、僕は、兄さんのことをそこまで心配してはいなかった。父さんが言っていたように、兄さんならどんな所でだって生きていられるだろう。ただ、僕は寂しかったのだ。一回り近く年が離れた、どこかピントのずれた変わり者の兄。兄さんの言動に振り回され、うんざりしたことも一度や二度ではない。だけど、そんな兄さんのことをとても頼りにしていた。そのことを、僕はその時初めて気付いたのだった。


 


 兄さんに会いに行こう。


 そう決心したのは、兄さんに最後に会ってから五年が経とうかとしていた頃のことだ。


「兄さんに会おうかと思うんだ」


 僕がそういうと、両親は揃ってついにこの時が来たか、というような反応をした。兄さんの時といい、なぜそうもすんなりと受け入れられるのだろうか。前もって覚悟を決められるほど、僕ら兄弟の言動がわかりやすい、ということなのかもしれないが謎である。


 


  父さんの運転で、国の外れの町に行く。そこからは、兄さんと同じように自分の足で行くことにした。兄さんからの手紙によれば、ここから兄さんの家まで急いで行けば夜になる前に着くはずだった。


「やっぱりおれも行こうか?」


 心配そうに尋ねる父さんに、平気だと伝える。最後まで僕を気にかけながらも、父さんは元来た道を戻っていった。


 母さんが料理やら服やらを詰め込んでずっしりと重たいリュックを背に、辺りを見渡す。薄汚れた民家が目に入るばかりで、人っ子一人いない。いわゆる、ゴーストタウンというやつだった。今はまだ日も高いからそこまでの恐怖は感じない。怖いのは怪しいごろつきが廃墟に潜んでいる可能性だけだが、大昔ならいざ知らず、現代においてそのようなことをする者は皆無に等しい。人類のほとんどが暗闇を恐れているからだ。町の人が減るとその分電気の供給量が減らされ、町も暗くなっていくので、国の外側から中央に向かって人々はその居を移動させる。おそらく、ここもその結果できたものだろう。


 


 兄さんが送ってくれた地図を片手に待ち合わせ場所を探す。近々会いに行くつもりだと手紙に書いたところ、「それなら道案内を友人に頼むことにしよう。お前に紹介したいと思っていたところだ、二郎もきっとすぐに仲良くなれると思うよ」と返事が来て、そういうことになったのだ。


「道案内くらい、兄さんがしてくれればいいのに……」


 見知らぬ土地を歩くだけでも緊張するというのに、それに加え、兄さんの友人とはいえ全くの初対面の相手と二人きりにならねばならないのかと思うと、ついため息が出てしまった。それでも、このまま一人きりでいるよりかはずっとましだが。


 兄さんに外の友人が出来たらしい、ということは送ってきた手紙の中から読み取れてはいたが、それがどんな人なのかはさっぱりわからなかった。ともかく親切な人なのは間違いない。話しやすい人だといいな、とぼんやりしていた時だった。


「二郎さん、ですか?」


 背後から聞こえてきた声にはっとして振り向くと、そこには、ピンと上を向いた耳にふさふさの尻尾を持つ四足の生物――犬がいた。


「こんなところまでよく来ましたね。お兄さんからお話は伺っております。ここから先は私にお任せください」


「あっ、はい。よ、よろしくお願いします」


 まさか、兄さんの友人が犬だとは思いもよらず、どもりながら頭を下げる。友人というより、この場合は友犬と言った方が正しいのだろうか? 喋っている最中も口からはハッハッと息を吐き、人間のようにパクパクと動かしてはいない。腹の中にでもスピーカーがあり、そこから出た音が喉を通って聞こえてきているかのようだった。オス、なのだろうか。その声は低く、落ち着いた響きを持っている。実物の犬を見るのは初めてだった。また、犬が喋るのだということも初めて知った。


「そのう、何とお呼びすればいいんでしょうか」


「ああそうか、人間は名前で呼び合うのでしたね。我々にはそうした習慣がないので名前もないんですよ。どうぞ好きな風に呼んでください」


 名前がない? そのことに僅かなひっかかりを感じながらも、どう呼んだものかと思案する。


「ええっと……じゃあ、黒さんで」


「ほほう黒さん! 中々いい響きですね!」


 黒い体毛だから黒さん。ずいぶん安直な名付け方だっただろうかと後から思ったが、彼はわふわふと嬉しそうに尻尾を振った。気に入っていただけたようで何よりだ。


「じゃあ、そろそろ行きましょうか。こっちですよ」


 ふりふり揺れる尻尾を追ってしばらく歩いた。そうすると、開けた場所に出た。今日日教科書の中でしかお目にかかれないような日本家屋が点在している。かつて人が住んでいた証がそこかしこに残されていた。村、だったのだろうか。そんな廃村に見えるのは黒さんそっくりのフォルムをした生き物――犬だった。たくさんの犬が、そこら中にいた。


「ここを通るのが一番近道なんですよ」


 そう云って先を歩く黒さんの後ろを恐る恐る歩くと、ワウワウワウワウ!と盛大に吠えられてしまい、身が竦んだ。だが黒さんがワン!と一吠えすると、ぴたっと静まり返った。それでも僕のことをまだ警戒しているようで、すれ違いざま、何匹もの犬にふんふんと匂いを嗅がれた。


 やっとの思いで犬の村を抜けると、安堵からほーっと吐息が漏れた。何年分か、寿命が縮んだ気がする。


「あまり気を悪くなさらないでくださいね。ここいらだと人間を目にすることなんて滅多にないですから、彼らも驚いたんでしょう」


「あ、はい。僕もびっくりしただけなので大丈夫です。……あの、気になったんですが、どうして皆さん黙っていたんでしょうか」


「あれ、ご存じないんですか。普通、犬は喋りませんよ」


「えっ」


 それなら喋れる黒さんは何なのだろう。どうしても気になって尋ねると、「私もわかりません」と言われた。


 ……もやもやする。


 ところで、僕らの国には犬が一匹もいない。僕が生まれるよりもずっと前に、当時の為政者が国中全ての犬を国外に追い出したからだ。なぜそんなことをしたのかといえば、それは、彼が極度の犬嫌いだったからだ。嫌い、というのは正確ではないかもしれない。その為政者は、それこそ心臓麻痺で死にそうになるくらい、犬が怖かったのである。勿論犬を追い出す尤もらしい理由は別に作ったようだが、それでも当然のことながら、国民の反対は大きいものとなった。そんなに犬が怖いのならば自分の側に近寄らせなければいいだけじゃないかと、至極もっともな意見も噴出した。だがしかし、それも恐怖症の流行によりそれどころではなくなり、為政者は望み通り犬を国から排除することに成功した。犬にとっては大きな迷惑、とんだ災難であった。また、かの為政者も恐怖症を発症していたのだと噂されていたことがあったが、今となってはもはや確かめるすべもない。とにもかくにも、そうした経緯の末に犬は人間社会からその姿を消したのである。


 


 恐怖症。


 誰にでも、恐いもののひとつやふたつあるものだが、それを極端に増幅させる作用を持つのが、その恐怖症だ。その存在が明らかになった時、某国が人々を恐怖で無力化させて世界を支配しようとして薬物を撒いたのではないかなどといった根も葉もない噂が飛び交ったが、現在に至るまでその原因は明らかになっていない。だが、はっきりしていることは二つある。一つは、まるで感染症のように広まる性質を持っているということ、そしてもう一つは、それが次の世代にも受け継がれて発症するものだということだ。当然のことながら、このことが明らかになると国内はパニックに陥った。だがそれも、長くは続かなかった。皆が皆、何某かへの恐怖を抱えながら生きていくことに精一杯になったからだ。


 恐怖症は感染するものではなく、心因性のもの、ある種の集団ヒステリーなのだという説もある。


「先行きの見えない将来への不安、また昔と比べて人と人との繋がりが薄れたことなどが大きな要因となっていることは間違いありません。あるいは、恐怖することそのものを恐れだしたことがこの現象を加速させているとも言えます」


 テレビの中で自説について語ったその専門家は、恐怖症の広まりを現象、と言っていた。感染するとはいってもその原因も定かではないのだから、確かに現象といったほうが正しいだろう。また、こう繰り返した。


「この恐るべき症状を緩和するためには、この国に生きる皆が輪となり、かつての調和を取り戻すことが何より重要なのです。我々は一丸となって理想の社会を作り上げ、生きる希望を持たねばならない。そうすれば、恐怖に打ち勝つことも決して不可能ではないのです」


 


 しばらく何もない野原を歩いた後、森に入った。ここを抜けると、そこに兄さんの家があるのだという。一体どうしてよりにもよってこんな薄暗い森を通らねばならない所に兄さんは住んでるんだ。しかも天気予報では一日中晴れ、とあったのに、これから一降りしそうな怪しい雲行きになりつつある。それに加えて、夜も近い。じくじくと暗闇への恐怖が身体を苛んでいく。とてもじゃないが、あの専門家が言っていたようには恐怖に打ち勝てそうになかった。まだ完全に日没したわけじゃないから大丈夫、そう自分に言い聞かせても、刻々と深まってゆく夜の闇を気にせずにはいられなかった。


 


 国中どの町でもそうなのだが、僕の町では、暗闇は徹底的なまでに消し去られている。ほとんどの人が共通して、暗闇を恐怖の対象としているからだ。現在のような町になる前、昼夜絶え間なく明るい場にいることに慣れてしまっては、余計に暗い場所が怖くなるのでは、という懸念は少なからずあったらしい。だが当時の町長は町中を明るくすることを選んだ。恐怖を克服するより、恐怖の対象それ自体を無くす方が安上がりだったのだ、と言われているが、実際のところどうだったのかはよくわからない。真実はもっと単純で、無くしてしまいたいと思うほど彼自身が暗闇を恐れていただけなんじゃないだろうか、僕はそう思っている。


 どこもかしこも電気で明るく照らされた僕らの町は、闇に怯えずにすむ代わりに、ひどく落ち着かない場所になっている。そもそも、夜が近づくと一目散に家を目指す人がほとんどなので、人通り自体少ない。せっかく明るくしてあっても、夜の街で目にできるのは野良猫くらいなものなのだった。



 なるべく暗がりに目を向けないよう、必死になって用意しておいた懐中電灯が照らす地面だけを見て歩みを進めていると、「ちょっと待っててくださいね」と言い置いて黒さんがどこかに行ってしまった。ほどなくして戻ってきた黒さんは、一体どこから持ってきただろうか、ぼろぼろになったロープを咥えていた。


「これを私の首に括りつけてください。そうすれば、暗い中でもはぐれずに済むでしょう」


 言われたまま、間違っても黒さんの首を絞めてしまわないよう気を付けて、端を輪っかにしたロープを括りつける。もう一方の端を手に持つようにと言われ、その通りにする。


「あの、本当にこれでいいんですか」


「これくらいどうってことありませんよ。こうして歩くのはとても久し振りなので、わくわくします!」


 久し振り、ということは、以前にも黒さんはこうして人間を引き連れたことがあるのだろうか。てっきりまだ若いのかと思っていたが、改めてその体を見ると村にいた犬達に比べて毛並みがぼさぼさで、高齢らしいことに気が付く。黒さんは一体いくつなのだろう。

 そんなことを考えながら歩いていると、先ほどよりも懐中電灯の明かりが弱まっていることに気が付いた。まさか。電池は新品を入れたはずなのに、いや本体が故障したのか? 背中を嫌な汗が伝う。どうして、あと少しじゃないか、消えないでくれ! だが無情にも光の筋はみるみる細くなり、カチッカチッ、と瞬いて、消えそうになった、その瞬間だった。


 「うわっ!」


 ぐいん、とロープを引っ張られた衝撃に、大きく体が揺らいだ。急に何を、と問う前に、続けてぐいぐいと力強く引かれて、黒さんが駆け出すのに合わせて僕もまた走り出していた。懐中電灯の明かりはすっかり消えていた。生まれて初めて目にする本当の夜の暗さに、ヒュッと細い息が喉から漏れる。首の後ろにざわざわとした感覚が走る。今まで感じたことがないほどの恐怖ながら、僕は走った。黒さんが引っ張るのをやめた途端に、きっと僕はしゃがみこんでしまう。だから僕は、走り続けなければならない。兄さんに、会うために。黒さんの、真っ黒な背中は夜闇に紛れて見えない。でも、時折僕を気遣うように振り向くその目はらんらんと輝いていて、すぐそこに黒さんがいるのだとはっきり感じられた。


 あは、わはは。あはははは。


 突然耳に届いた笑い声に、一体誰がと驚くと、それは僕の口から出ているのだった。僕は恐怖で頭がおかしくなってしまったのだろうか。傍から見たら狂人だ、そんなことを考えると可笑しくなって、引き攣れたような笑い声を止めることができなくなった。


 外から響く異様な笑い声に気付いたのだろう、目の前に見えてきた明かりの漏れる日本家屋、その玄関から顔を覗かせて、目を丸くしている男の人がいる。兄さんだった。バビューンと弾丸のように玄関に飛び込んだ黒さんに引っ張られ、倒れこむようにして僕も兄さんの家に上がりこんだ。僕らに衝突される間一髪のところで、兄さんは家の中に引っ込んでいた。その際、上がりかまちで向こう脛をしたたかに打って悶絶する。滅茶苦茶痛い。


「おいおい、大丈夫か?」


 呆れたように兄さんが笑う。大丈夫だよ、そう答えようとしても、口からはぜえはあと荒い息が漏れるばかりだった。それから息を整え、倒れたまま、口を開いた。


「久しぶり、兄さん」


「ああ、久しぶりだな。二郎」


 そう言って笑う兄さんは、五年前とちっとも変っていないように感じられて、なぜかひどく安心した。


 家に上がる前に黒さんの足を渡されたタオルで拭う。家の中は、意外にも片付いていた。黒さんにはボウルに入れた水を、僕と自分にはお茶を淹れて、居間に腰を落ち着かせ、兄さんは僕に言った。


「ここに来るまでに何があったか教えてくれないか」


 兄さんに聞きたいことは山ほどあった。これまでどう暮らしてきたのか、黒さんとはどう出会ったのか。だけどそれは、後から聞けばいい。時間はたっぷりとあるのだから。


 犬は普通喋らないということを初めて知った。真っ暗な夜が、死ぬほど恐ろしいことも。何もかも、初めてなことばかりだった。


「楽しかったんだな」


 ああそうだ、とても楽しかったんだ。夜の森は恐ろしかったけれど、黒さんがいたから平気だった。黒さんに引っ張られてここまで風のように走ってきたんだよ。


 興奮冷めやらず夢中になって喋る僕を見る兄さんの目はとても穏やかで、落ち着いていた。変わっていないように見えるだけで、実際には兄さんは変わったのかもしれないと、心の中で思う。


「ちょっと気になったんだが、その、黒さんってのはそいつのことか?」


「え、ああ、そうだけど」


 そういえば、これまで名前はなかったと黒さんが言っていたことを思い出す。いつもどう呼んでいたのか訊くと、おい、とかお前、などと言うだけで特に呼び名は決めていなかったとのこと。


「そっか、名前を付ければよかったんだなあ」


  感心したように呟く兄さんに、改めて僕は思った。


「……やっぱり変わってる」


  その独り言を耳にしたのだろうか。黒さんが僕の方を向き、同意するように、わふん、と鳴いた。

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