第4話 人と吸血鬼

きっかけは唐突だった。


一緒にいるとき、ローラが突然、ふらっと気を失った。

町へ下り、医師にも見せたが、その時は、疲れているのだろう、ということになった。


しかし、医師の診断とは裏腹に、一向にローラの体調は良くならなかった。

初めて出会ったときは、まだほんの数年前。

その時は、あれだけ元気に―私の結界を打ち破り、中に入ってくるほど元気だったローラが

だんだんとベッドから起き上がることすらできなくなった。


「ローラ!ローラ!!」

「…ヴァレンシア…さん…」


生気のない、青白い顔―。

心配する私を、それでも精一杯安心させようと、ほほ笑もうとするローラ。


原因は何だ―

医師にも何度も問い詰めた。

しかし診察をしてもかぶりを振るばかりで、いったいローラに何が起きているのか分からず―


やがて―決して見たくないものが、見えるようになってしまった。


命が燃え尽きる際に見える、黒い気配。


―『死の気配』だった。



必死に治療法をさがした。

真っ黒な―漆黒の、死の気配がローラを覆い尽くす前に、なんとか彼女に再び生気を取り戻す方法はないかと探し回った。

床に臥せるローラの世話をしながら、翼を広げ世界中を飛び回った。


しかし―日増しに濃くなる死の色は、ローラから消え去ることはない。



未来が―やがて、現実になろうとしている。


たった一人だった私を照らしてくれた、一つの光。

それが、ローラだった。


憎々しい太陽に代わった―私だけの太陽だった。


人の群れが持つ負の感情の渦に飲み込まれていた私に、初めて『そうではない私』を―ヴァレンシアとしての私をくれた。


それがローラだった。


かけがえのない人だった。

失いたくない人だった。


いつまでも、私と一緒にいてほしかった。


奪う者としての私に与えられた、初めての時間―


それが、もうすぐ―失われようとしている。




―そうか。そうだった。


なぜ


なぜこんなに簡単なことに気付かなかったのか。


私は―ヒトではない。


命を奪い、それを糧に生きる者だった。


ヴァレンシアとして生きる日々に―それを忘れていた。


私が―私自身が放つ、死の気配が―ローラの生気を奪い取っていたのだと


そんな簡単な事実に気が付いたのは


まさに死の気配が、ローラを覆いつくそうとしている時だった。



「ローラ…ローラ…!」

「ヴァレンシア…さん…はぁ…はぁ…」


私が放つ死の気配が、ローラの生気を奪い―衰弱しきった、人間の、ローラ。


今まで―何万人も―何千万人も―私がこの手にかけてきた。


何の、意識もなかった。

ただの、食事だった。


でも―ローラは違った。

ローラは、私にとって、ただの人間ではない。

私と共に生きていてほしかった存在だった。



―そうか。

私が今までしてきたこと。

それは―こういうことだったのか―


命を奪うこと。

それを、己の命とすること。


だから、私は恨まれていたのか。


幼子の父親に。母親に。

生贄にされた人間に、近しい者たちに。



みな、『私にとってのローラ』を―私に奪われたのか。


ローラの命が燃え尽きようとしているその時に―

私は―初めて『私』を理解した。




ローラが、目の前にいる。


人間の、ローラ。

吸血鬼ノスフェラトゥの、私―。


じっと見つめる、ローラの瞳。

青白く―紫色の唇が、それでも笑みを形成している。


それを見て―目の前が、霞んでくる気がした。

胸が苦しく―病や死を放つこの身にはありえない、強い―ものすごく強い、締め付けるような痛みを感じた。


勝手に、口が開いた。


「ローラ。ずっと―ローラに伏せていたことがある。」

「…ヴァレ…シア…さん…?」

「…私は…吸血鬼ノスフェラトゥだ。見ろ…この赤い、血のような瞳を。この牙を。これで―私は、ずっと…ずっと命を奪い続けてきた。この世界が生まれた時から、ずっと…」

「…」

「…私にとって、人は食事でしかなく!…それを奪うことに、何の意識もなかった!私の、吸血鬼としての力に魅せられた者どもが差し出す生贄の血を、啜って生きてきた…!」

「…ヴァレ…シア…さん…」

「私に…名はない。それは、本当だったんだ。人ではない私に…この世にたった一人の吸血鬼の私に、他者から区別するための名は不要だったのだ。そんな時…ローラに出会ったんだ。」

「…」

「ローラが、つけてくれた名前。私が、吸血鬼ではない私として接してくれる、この名がとても気に入った。そして、そう呼んでくれるローラが、私にとっては全てだった!『ヴァレンシア』は、ローラのためにあって!…『ヴァレンシア』は、ローラだけのものだった!ずっと…ずっと一緒に、私と共に、ローラに居続けて欲しかった!ローラといるときは、私は他の誰でもない、ヴァレンシアでいられたから!私は、ローラだけのヴァレンシアでいられたから!でも、でも…私が持つ、吸血鬼の力が、ローラの命を吸い続けていたことに…気づかなかったんだ…!」


なぜ

なぜ私は、奪うだけの存在なのだ。


なぜ、与えることができない。


こんなに―こんなに大切な人に―ただ、共にいてほしいのに―


共にいるだけでも、許されないなんて―!



震える私の手を―そっと、弱々しいローラがとってくれた。


今更、どんなことをしても、もう取り返しもつかない。

ローラの命を、奪ってきたのだから―


どんな言葉も、受け入れるつもりで―


ずっと床を見つめていた私は、きつく唇を結び顔をあげた。


飛び込んできたのは―死の間際とは思えないほどの、ローラの笑顔と―涙だった。


「…私…は…ヴァレンシアさんの…たい…せつ…な…ひと…だったん…ですね…え、えへへへ…う、うれしい…」

「―ローラ!も、もうしゃべ…」

「…ヴァレ…シアさん…わたし…気づいて…ました…あなた…が…吸血鬼…だって…」

「―!!!!」

「…魔力の…流れが…ちがって…たし…命が…流れてなかった…から…」

「な、ならどうして…どうして私のそばに…!」

「…悪い…ひと…には…ぜん…ぜん…みえな…かった、から…」

「―!」

「だって…ずっと…さみし…そうで…ほうって…おけな…かった…ふ、ふふ…それに…わたし…にとっても…ヴァレ…シア…さんが…たいせつ…だった…から…」

「ロ…ローラ…!!」

「…ヴァレ…シア…さん…あり…がとう…わたし…の…そばに…ずっと…いて…くれ、て…」

「でも…でもそのせいで私は…」

「うう、ん…ちが…います…ヴァレ…シア…さんがいる…まいにち…は…私…の…すべて…でしたから…!だって…私…は…くっ!あぁ…!」

「ロ、ローラ!」


死の気配が―濃密な闇が、もうほとんどローラを覆い尽くしている。

それでも―ローラは、ローラ自身は、私には輝いて見えた。

なによりも、輝いて。


「…ヴァレ…シア…さん…なか…ないで…」


―!!


泣いて、いる…


私が…?


吸血鬼の、私が…?


「…さい…ごに…お願いが…あり、ます…」

「…いいぞ…なんでも…」


もう、すぐそばに迫る、ローラの死。


避けられぬ未来。


私だけのローラが、消えようとしている。

それを、どうしようもできない、奪うだけの私。


でもローラが、その次の瞬間


元気だった頃見せてくれた、あの笑顔を―

涙にまみれていたが、私が…ずっと見たかった、あの笑顔を浮かべて、こう言った。


「…わたしの…ちを…すって…ほしいんです…」

「―そ…それは…!!」

「…ヴァレ…シア…さん、だから…わたし、だけの…ヴァレ…シア…さん、だから…そうして…ほしい…です…!おね…がい…はや…く…!!もぅ…」


消え去ろうとする、ローラの命。


私の、私だけの、大切な、大切なローラ。

その、彼女の、最期の―願い。


私の腕の中で―冷たくなる、ローラ。

涙で霞んでいたけれど―ローラの、その笑顔は、私はずっと忘れない。


それくらい―ローラは、綺麗だった。


彼女の首筋に、歯を当てる。

嗚咽が漏れて―自分の涙が、彼女の首筋を濡らした。


最期に、ローラがこう言った。


「あいして…ます…ヴァレンシア…」

「…私もだよ…ローラ…」


その言葉を、ローラはどれほどの思いで告げてくれたのか。


それに応えるために―ローラの想いにこたえるために―


私は、首筋に当てる歯に、ぐっと力を入れた。




初めて吸った彼女の血は


とても


とても甘く


そして


悲しかった。

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