第3話 ヴァレンシア

「ヴァレンシア、はどうですか?」

「…ヴァレ…?」


翌日、体調も回復したらしいローラは、私が食事を運んでやるなり、開口一番そう言い出した。


「はい!どうですか?」

「…どうと言われても…どうなのだ?」

「えぇ?わ、私に聞き返すんですか?い、一応すっごく考えて『きっと気に入ってくれる!』って自信があったんですけど…」


感想を求められるが、いかんせん名自体が不要であった私にとって、その良し悪しなど見当がつかない。


しかし、困惑する私の表情を見てか、最初は自信たっぷりだったローラの表情がすぐに曇ってきて、なんだか可笑しかった。


「―ふふ…」

「…?な、なんですか笑って…」

「…ふふ、いや…すまん。私自体、名を与えられるのは初めてだからな。少しとまどっていた。」

「そ、そうですか…お、お気に召していただけませんでしたか…?」

「ふふ…いや、いい響きだと思うぞ。もう一度言ってくれないか?ヴァ…」

「―!よかった!ヴァレンシアです!」

「ヴァレンシア…それが私の名か…」

「はい!えへへ、気に入ってもらえましたか?」

「…あぁ。ありがとう、ローラ。」

「―はい!…実は私、一人っ子で…もし姉妹がいたら、そんな名前がいいなって小さな頃から思ってたんです!ふふふ…よかった、美人のお姉さんができて!」

「…美人?誰がだ?」

「ヴァレンシアさんですよ!透き通るような綺麗な銀髪、ぷっくりとした柔らかそうな唇…凛とした瞳…誰がどう見たってすっごく美人です!ドキドキするくらい!」

「…そうなのか?」

「そうですよ!」

「うぅむ…美人かどうかはやはり分からんが…」


こうして、私は初めて名を得た。

ヴァレンシア。

初めて与えられた、個を識別する記号。


でも、ヴァレンシアと呼ばれた瞬間に感じた、少し暖かい気持ち。

それが、私がローラを助けたことに、どこかつながっている気がした。


「―よろしくおねがいします、ヴァレンシアさん」

「あぁ、よろしく…ローラ。」


ヴァレンシアと呼ばれ、改めてローラと呼ぶ。

そこに、それまでとは違った、ローラへの気持ちがこもっている気がした。



こうして私は、ローラと知り合いになった。

私の中で、彼女は「人間の娘」という認識から、「ローラ」という名を持つ個へと認識が変わった。


そして、同じように―私自身も、「ヴァレンシア」という名をもらった。


相手を名で呼ぶこと。

初めて、ローラに名をもらった時の、あの感情。


あの時、分からなかった感情が―『喜び』だったのだと、その後、ローラとの愛しい時間の中で知っていった。



こうして名で呼び合うようになり、私の中で意識が変わっていった。


私は吸血鬼ノスフェラトゥであり、絶対的な個であった。


この絶対的な力を持つがゆえに

血を糧にするがゆえに

他者の命を食らい、存在し続けるがゆえに

私は恐怖と憎悪の対象であった。


しかし、同時に私は、ヴァレンシアとなった。

ローラにとっての、ヴァレンシアだった。


私がヴァレンシアでいられるのも、ローラがいてくれてこそだった。

ローラが名をくれて―血と恐怖と憎しみの中心でしかなかった私を、そうではない私を生み出してくれた気がした。


そう。

ローラがいてくるから、私はヴァレンシアだった。

ローラのための、ヴァレンシアだった。


私を求める、血と憎しみと、力への妄信。

幾百年も、幾千年も続いた、私という存在は


この小さな人間の娘―ローラによって、大きく変えられていった。


私を、ヴァレンシアを生んでくれたローラ。

私は―ローラのために存在したかった。


そう思うと、ローラが向けてくれる、明るい笑顔が見られるだけで―

私の動くことの無い心臓が、まるで人のようにドクン、と鼓動するかのように思えて―

冷たいはずの体温が、まるで溶かされる氷のように、温まる気がした。


ローラといつまでも笑い

たわいない日常を過ごし


そんな日々が、永遠に続けばいいと、思った。




時には一緒に、町へ繰り出して買い物にも連れていかれた。

一緒に服を見て回り、ドレスやらアクセサリーやら、いろんなものを買った。

そして、一緒に食事をした。

初めて、人が作る食事をおいしいと感じた。


またある時は、ローラの薬草探しを手伝い、私がローラに魔法を教えることもあった。

逆にローラから魔法を教えられることもあったり、本当に―楽しい日々だった。



「ふふふ…ねぇヴァレンシアさん」

「ん…?どうした、ローラ」


幾度となく、その名を呼ばれ―そして、私はローラと呼び返した。

冷たいままの体温が、温まる気がした。


「―ふふ、やっぱり何でもないです、ヴァレンシアさん」

「…そういう奴はこうしてやる」

「―きゃあっ!」


何かを言いかけたローラが、私を見た後、言いかけたことをやめる。

それが気になって―ほんの戯れで、ぐい、とローラを押し倒し、彼女を組み敷く。


ローラが、私の下でじっと見つめてくる。

潤んだその瞳に、紅潮した頬。


ほんの悪戯のつもりが―


そんな表情をされると

さらに、私の体温が上がった気がした。


「…ヴァ、ヴァレンシア…さん…」

「ローラ…」


じっと、いつまでもローラのそんな表情を見ていたいと思った。



ローラがいたから


私は血の運命から目を逸らすことができた。

吸血鬼ではない、ヴァレンシアとしての私でいることができた。


ローラのためにだけ、この私が―ヴァレンシアが存在することができた。


それは―本当に、本当に、『しあわせ』だった。


初めて私にできた、『絆』だった。


でも、その日々は


永遠に続けばいいと願っていたのに


ローラが倒れるまでの


ほんの―ほんの一瞬の時間でしかなかった。

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