第2話 ローラとの出会い

背負ったその人間をベッドにおろし、はずみで外れたフードから覗く、明るい色の長い髪と柔らかい容貌から、初めてそれが人間の女―年はおそらく17,8歳だろうか―だと分かった。


―なぜ人間がこんな場所に?

―どうやって私の結界を通り抜けた?


さまざまな疑問が浮かぶが、何よりも信じられなかったのは


―なぜ、私はこの女を助けた?


そう思いながら、私は意識を失ったままベッドに横たわっている、衰弱しきったその女と、自らの手を交互に見比べていた。




ずぶぬれだったため、魔力で水分を弾き飛ばし体を温めてやり、しばらくの間ようすをみる。


他の誰かの世話などしたことがなかったが、ただでさえ弱り切っているこの人間が死んでしまわないように、見守っていた。


「―ふっ。おかしな話だ…私はノスフェラトゥだというのに…」


こうして誰かを守るなど、必要はなかった。

しかし―今まで幾多となく奪ってきた命が、この腕の中で果てる、その瞬間を考えた途端―

考えるよりも、先に身体が動いてしまった。


ベッドの縁に腰掛け、その女の顔をじっと見下ろしながら思考に沈んでいると、ふとその女が声をあげた。


「―ん、んん…ここは…」

「―気が付いたか?」


少しみじろぎ、ゆっくりと瞼を開けたその女は、周りを見回し、やがて私と視線がぶつかる。


「―っ!!」

「―?」


驚いたような表情で、じっとわたしを見つめているその視線。

するとその女はそんなはずはない、とばかりにかぶりを振る。


「―どうした?」


その様子に私がその女に尋ねると、はっとした様子で我に返った。


「あ、す、すいません!な、なんだかよく似ていたから…」

「―似ていた?」

「あ、あははは、そんなはずないのに…す、すいません気にしないでください」

「そうか。…身体はどうだ?」

「…あ、か、身体は平気です!」

「―そうか。ならよかった」


目を閉じた表情は、大人びたものだったが―見た目よりも少し幼い印象だ。

とにかく元気そうな様子に、胸が軽くなるのを覚える。


―安心しているのか?私が?


自分の感情が不思議だ。

今まで他の存在に対し、ここまで口を開いたことなどないが、この少女に対して自然に口が動いてしまう。


「あ、あの…助けていただいてありがとうございました!」

「―っ!!!」


ベッドから起き上がり、まっすぐに私の目を見て丁寧に頭を下げる若い娘。

本当に私に感謝しているのだな、と思うと―不思議と、心が軽くなるのを感じた。


今まで私に向けられてきた、敵意や憎悪とは正反対の感情―


それをまっすぐにぶつけられて、私はどうしてか自分の心が―なんと言うべきか、その時は言葉が見つからなかったが、確かに、まったく悪い気はしなかった。



今まで私は奪うだけの存在だった。

何かを与えることはなく―あったとしても、それは私が持つ強大な力であり、それはすなわち、超越した存在としての、私の力を欲しているだけのことだった。



だが、今この瞬間は違う。

純粋に、私という個に対して向けられた、感謝の心。


それを感じて―心地よいと思えた。


初めての感情ではあった。


しかし

それは決して―悪くはなかった。



その後、どうしてここにいたのかなどをその少女が語り始めた。

どうやらこの娘は魔法使いのようで、この森の薬草を取りに来たのだという。

しかし嵐に遭い、帰るに帰れずさまよっているうちに結界に守られている区域に気づき、結界を中和して避難してきたのだとか。

が、結界を中和するのに力を使い果たし、倒れそうになっているのを私に助けられた、ということらしい。


「…そんなことをした奴は初めてだな…」

「す、すいません!」

「いや…しかし…私の結界を破るなんて…なんというかむちゃくちゃだな…」

「…ごめんなさい…大嵐の中、あんなに安全な地帯があるなんて、どうしても中に入りたくて…」

「い、いや謝る必要はないが…」


結界と言っても嵐を防ぐ程度のものだから、高等魔法というわけでもない。

ただ、私の魔法に対して介入する術を持つ人間がいる、ということに、少なからず驚いた。


ローブに包まれ、申し訳なさそうにこちらを見ている娘。

その様子を見ていると、なんだか訳もわからず可笑しく思えてきてクスリ、と笑ってしまった。


「まぁとにかく…せっかくだ。ゆっくりしていくといい。」

「―あ、ありがとうございます!」


ぱっと明るく、花が咲いたような笑顔が浮かぶ。

そんな感情を向けられたのが初めてだったので、とまどいながらも―その娘の笑顔が、とても心地よいと感じた。


「あの―私、ローラと言います。あなたは…」

「私か?私は…」


とまどった。

私は吸血鬼ノスフェラトゥであり、それ以外の名は持たない。

改めて私の名を聞かれたことは初めてだった。


「―私に…名はない。」

「名前が…ない…?」

「あぁ。…必要ないからな。」

「…」


不思議そうに私を見る娘。

しかし、私の表情から何かを読み取ったのか、それからこう言いだした。


「…分かりました。でも…私の命の恩人が名無しでは、お呼びすることもできませんから…そうだ!私に名前を付けさせてもらってもいいですか?」

「…私に?…名を?」

「はい!あ、ご迷惑…ですか…?」

「…い、いや…」

「―!やったぁ!うふふ、じゃあ、少しだけ考えさせてください。いい名を考えてみますね!」

「あ、あぁ…」


初めてだ。

名とは、集団の中で個を判別するために必要な記号でしかない。

群れで行動する人には必要だろうが…


原初の時より個であった私には、そもそも必要がなかった。


しかし、この娘が私に向ける気持ちが―私の心に、入り込んでくるような気がした。


邪気のない、むき出しの感情―

それが私の、それまでの私を形作っていたモノとはまるで違う。


―でも―


さっき、無意識に笑ってしまったのを思い出す。


私の結界に入ってくるほど魔力を持ちながら、微塵の敵意も見せないこの娘。

それどころか私に―敵意や憎悪とは正反対の感情をまっすぐにぶつけてくる。


純粋に、私に向けられたその『心地よい感情』―


無邪気に笑う、その娘―ローラを見て、口端が上がっているのに、しばらく気づかなかった。



この時、私は知らなかった。


この出会いが、私を運命づけ

私の世界を―究極の『個』としての、絶対的な私自身を変え

そして―愛するという感情を知り、理解することになるなんて―。


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