【3】

一足先に家を出ていった兄の後姿を見送った汐里は、今度こそ胸のドキドキを隠せなくなった。

光弘は、汐里のたった一人の兄であり、そして保護者でもあった。

数年前に両親が飛行機事故で亡くなり、たった二人、この世に取り残されてしまったのだ。

最初のうちは生命保険があるからとか、家があるからと安心しきっていた二人ではあったが、父親が内緒でしていた借金が予想外に大きく、返済のために全て取られてしまった。

第一志望の大学に入学し、学生生活をエンジョイしていた光弘だったが、たった一人の妹を守り養っていかねばと一大決心をし、大学を中退した。

汐里もそんな兄を見て自分も働くと言い出したが、彼女には苦労をさせたくない。そして立派に学校を卒業させたい。

彼にとっては妹だけが今、希望の光といっても過言ではなかった。

そんなわけで、二十一歳になった今、光弘は会社員として働いている。

学生でいることに未練が無かったわけではないが、妹のことを考えるとそんなことはどうでも良くなってしまうのであった。

世間から見れば立派な兄に見えるだろう。だが、汐里にしてみれば同時に弊害もあった。

妹のことをあまりにも心配しすぎるのである。いわゆる「過保護」というやつだろうか。

いや、そのレベルを遥かに超えている。

どう考えてもシスコンという名の束縛にしか思えなかった。

その兄が今夜は飲み会で遅くなるという。汐里は全身全霊で神様に感謝をした。

兄が帰ってくるまでに自分も家に戻り、何食わぬ顔で寝ていればいいのだから。

そんな今朝の出来事を思い出しながら、汐里は家路を急いだ。

玄関のドアを開け、階段を駆け上ったかと思うと自分の部屋のドアを勢いよく開けた。

普段の汐里からは想像できない程の速さで制服を脱ぎ、クローゼットから白いワンピースを取り出して鏡の前に持っていった。

何日も前から、このワンピースを着ようと心に決めていたのだ。

お気に入りのワンピース。真っ白なふわふわしたシルエットがとても可愛らしい。

身を包むと、気持ちまでふんわりしてくるようだ。

汐里は、財布とハンカチをベージュのショルダーに無造作に入れた。

約束の時間までまだ少しあったが、気持ちが落ち着くはずもなく、一刻も早く家を出たかった。

そわそわしながら玄関から外に出たが、ついいつもの習慣で郵便受けの中を覗く。

そこには、いつも買い物に行くスーパーからの特別販売会のお知らせハガキが届いていた。

汐里はハガキをショルダーの中にほいっと入れたかと思うと、足早に家を後にした。


十八時五分。汐里は腕時計に目をやった。

電車の中は、家に帰るサラリーマンがひしめき合う時間帯になっていた。

人混みはあまり好きになれない。早く電車が到着しないかなと考えていると、実際の時間よりも長く電車に乗っているような気がする。

ようやく着いた横浜駅は、人混みでごった返していた。

だいぶ前から続いている工事はいつ終わるのだろう。

そんなことを考えながら、汐里は麻耶と咲子たちとの待ち合わせ場所を目指した。

時計の針は十八時十五分を指している。

時間通りに、待ち合わせ場所である交番前に辿り着いた。

既に麻耶と咲子は到着しており、汐里が一番最後に合流という形になった。

二人とも気もそぞろで早く家を出てきたらしいのだ。

そんな二人の姿を見た汐里は驚いた。とても大人っぽい。

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