三馬鹿

仲山

「頼む」

 木崎七緒の目は、”特別”良い。それは視力としてもだが、何よりも本来は”みえないもの”を視る力に特化しているという意味合いが強い。彼にとっては生まれ持ったものであったが、それを自意識の下で制御できるようになったのは今から二十年ほど前の、高校時代のすったもんだに寄るところが大きい。木崎が通っていた高校がいわゆる龍脈筋のど真ん中にあったせいか、やたらと”みえないもの”が活発で、その上高校の敷地自体が”みえないもの”を抑え込むための要所であったため、”みえないもの”を視る力のある木崎はそれらの騒動に否応なしに巻き込まれていった。もちろん、龍脈や龍穴、”みえないもの”たちに専門に対処する大人たちもいたのだが、何故だか矢面になっていたのは当時高校一年生だった木崎と、そして今も交流が続いている友人たる、神楽坂と桐生だった。当初、入学したての頃、木崎の意識にこの二人はいなかった。正しくはただのクラスメイトという認識であったし、桐生はともかく神楽坂は誰かとつるむようなタイプではなかったと木崎は記憶している。そもそも高校時代の神楽坂は、感情が希薄で表情もなく、言葉数も少ないどこか人形然とした少年だったため、白か黒かをはっきりさせたがりだった木崎にとって、素直にいえば苦手な……嫌いな部類ですらあった。それがどうしてか、二十年も続く友人関係を築いてしまうのだから人生何があるか分かったものではない、というのが木崎の今の考えである。仮に今の意識のまま二十年前の状況になったとしても、きっと自分はまた二人とつるむだろうと思う程度には、気に入っていた。

 おだやかに晴れた土曜日。日勤制ではあるが、当直もあり、必要があれば日夜関係なく呼び出しのかかる部署務めの木崎は、穏やかな休日の朝にかすかな感動を覚えていた。ここしばらく仕事が忙しく、満足に休日を堪能できていなかったことも影響している。もともと土日に固定で休みが欲しい、とはあまり思ったことはない性質であったが、それは高校時代のすったもんだや公僕という職業を経験し、どこか世の中から乖離した生活を送っていたからだ。自宅のリビングでのどかな休日の朝を迎えいれた木崎は、無造作にリモコンを操作してテレビの電源をいれた。途端に休日向けの番組があふれだし、何の気なしに窓の外をみれば晴天を楽しむ親子の姿がある。なるほど、これが世に言う休日。たとえ土曜日や日曜日だろうと、仕事とあれば朝でも夜でも出動するのが公僕たる木崎の仕事だ。地域課などは交代勤務になるものの、外回りで曜日による差異も感じるかもしれないが、あいにくと特殊な場所に所属する木崎にはその機会が巡ってくることはなかった。大学を卒業後警察学校へ入校、交番勤務を経て刑事部へ配属されたのち、幾度かの部署替えを経験し現在に至る。まさか三十過ぎてから高校時代を彷彿させるような仕事に回されるとは思ってもみなかったものの、なんだかんだ仲間内ともうまくやっていた。仲間たちは時折ひどい頭痛の種になることもあるが、それはそれで愛嬌ともとれるし、木崎なりに同じ係に配属された仲間を可愛がっているのだから、総じて問題がないと言える。


「……あー、しかし、何すっかな」


 悲しきかな、木崎七緒、齢三十六歳。趣味らしい趣味がなかった。仕事が趣味な奉公滅私な人間などとは口が裂けても言えないが、それに近い生活を警察官になってから十年以上おくってきた。旧友と酒を飲んでくだらない話をぽつぽつとする機会は幾度とあったものの、太陽の出ている時間に交流をすることはほとんどなく、気づいたら夜も更けていて結局飲みに行くだけというのがザラだった。だというのに、まだ九時になる前の時間に目が覚めてしまい、呼び出しもないものだから、持て余しているのだ。それを贅沢と思っていいのか、哀れんでいいのかは人によるが。布団で朝日に呼び覚まされた木崎は二度寝をする気にもなれずにのそのそと起きだして、癖でスーツに手をかけそうになりながらもラフなシャツとパンツに着替え、今に至る。キッチンで発掘したかろうじて残っていたインスタントコーヒーの粉を、いつ使ったのかもあいまいなマグカップにすべて入れて、お湯を注ぐ。たったそれだけの動作でやることが終わってしまった木崎は、微妙に溶けきっていないコーヒーをすすってぼんやりと窓の外を眺めた。感動を覚えたはずの休日のテレビ番組は、どこの局をうつしても同じような内容のワイドショーばかりで面白みにかけ、早々に幕をおろされている。時刻は九時を十五分ばかりすぎたところで、時間帯で言えばまだ朝である。木崎は膨大な自由時間に軽い絶望を覚えた。柔らかな朝日に照らされた外の世界では、鳥がさえずり、子どもが笑い、犬が駆け猫はうたた寝をし、それぞれが休日を謳歌しているというのに。

 木崎七緒の目は、”特別”良い。友人たる二人や、同僚はそれをよく知っているが、木崎自身それがたいそうなものだとは一度として思ったことはなかった。生まれ持ったものだからというのもあるが、多少目が良い程度、誇るものでもないと本気で思っている。同僚が聞こうものなら「こいつ正気か?」という顔でみること間違いなしではあるが、友人たちは「そうだろうな」という顔をするに違いない、という信頼が木崎にはある。同僚と友人との間に齟齬が生じる理由は、前者は木崎の目の特殊さに対する感情で、後者は木崎の自身の能力評価に対する感情でモノを言っているからなのだが。なにも機材が自身を過小評価をしているわけではないことを、友人たちは理解しているからこそ、訂正するつもりはなかった。いざという場面で判断を誤らないのであれば自分自身に対する評価がどうであれ構わない。それが木崎と、神楽坂、桐生のスタンスだ。言葉の通り、命を懸けあったことのある三人には、誰よりもずっと太い縁で結ばれていた。


「……いや、まじで暇だな」


 コーヒーを飲み干した木崎は、マグカップを流し台において水をためた。スポンジで洗えばすぐだろうが、その少しの動作が面倒だったらしく、たぷたぷと表面張力をみせつけるマグカップをそのままに離れてしまう。ふらふらと生活感の薄い部屋を横断して、採光率が高い大きな窓に近づき改めて外を眺めれば、先ほどより外出している人数が増えたようだった。木崎の住んでいるマンションは単身者向けで、ファミリー層はいないものの、あたり一帯がベッドタウンと化した地域だからかこの辺りで暮らす人間の統計を取れば、家族暮らしの方が多くなる。はつらつと外出を楽しむ人々につられて日の下に躍り出るかとも考えたものの、目的地もなく外に出てどうするのだと思いなおして、ただ外を眺めるにとどまった。ここぞとばかりに友人に声をかけようかとも思ったが、普段から酒の誘いくらいしかしない為、昼日中のお誘いなどどうしていいかわからなかったらしい。音沙汰のないスマートフォンは、リビングのローテーブルで忘れられたようにおとなしくしている。

 木崎が特殊な力を持つように、神楽坂と桐生も特別な力といえるものを持っていた。木崎のように先天的なのかあるいは後天的なのかまでは把握していないが、背中を預け命を共にした間柄であるため、木崎も二人の能力についてはよく知っている。桐生は人一倍気配に敏感で、鼻が利く。世界に蔓延する物理的な香りにはもちろん、”みえないもの”にも独特な香りがあるのだという。木崎の目と同じく、”存在しないはずのもの”を検知する桐生の嗅覚には、当時ずいぶんと世話になった記憶があった。そうして二人は学生時代に、それぞれの特出した五感をフル活用して活躍したものだ。そして三人の内、学生としてはそれ以上ないほどに模範生徒だった神楽坂は、こと”みえないもの”への立ち回りにおいては特別問題児だった。二人以上の身体能力と大人すら追い越す判断力に優れ、あまりにも思い切りが良く躊躇なく刃の前に立つような子ども。二十年の時を経た木崎が今振り返っても、子どもだったころの神楽坂は、危ないことばかりに敏感でその切っ先の前に立つことに心血を注いでいたように思えた。五感だけに絞り込めば特出した点はなく、その分木崎と桐生には劣るようにも思えたが、常人以上には優れていたし、身体能力だけにスポットしたならば、競技大会などに出場すれば総なめできるのではないかというほどのしなやかさと瞬発力、持久力を持っていた。あの細くひょろっとした体躯のどこにそんな力があるのだと、木崎と桐生は毎日感心したものだ。今となってはその線の細さはみる影もなく、こちらがみあげるほどに育ったが。そして、木崎が神楽坂についてなにより”恐ろしい”と感じるのは、どうしたらそうなるんだというようなメンタルでも、本当に同じ人間なのかというようなフィジカルでもなく、正確すぎる判断に判断を重ねた、いっそ未来予知といっても過言ではないソレだった。一昔前に、木崎の目の良さを知った同僚が「お前も極めれば未来視とかできたりしてな」と笑ったことがある。木崎はその時、相手に話を合わせて冗談としてまとめたが、状況が極まり状態が万全であった時に数秒先の未来をみた経験が、確かにあった。それは漠然と数瞬先を無理やり理解させられるようなもので、情報量に追いつけなければこちらが置いて行かれそうになるものだったが、間違いなくあれは”未来を視ていた”と確信している。高校時代にはそのおかげで何度か九死に一生を得た経験もあったが、卒業以降は必要な場面に立たされることが終ぞなく、それより後に木崎の未来視が活躍することはなかった。そしてそんな先の時間すら垣間みる力がある木崎が”恐ろしい”と感じるものは、神楽坂の未来予知に近いソレ。あれは、己の”未来視”とはわけが違う、と本能で理解した木崎は学生だった頃、神楽坂にむやみやたらにそれを使うなと本気で殴りかかる勢いで訴えた。すわ喧嘩か、とそわついた桐生は火事と喧嘩はなんとやらの勢いで必要以上に距離をとりつつもそれぞれ両者を応援して焚きつけていたし、なぜか木崎の勢いに目を輝かせた神楽坂とは能力出血大サービスの喧嘩殴り合いに至ったのだが。閑話休題。その結果、木崎の心労が功を奏したのか、喧嘩が楽しかったのか、理由は定かではないが、神楽坂が滅多矢鱈にその未来予知をすることはほとんどなくなった。

 家電のモーター音だけがフローリングに横たわるような静かな空間に、軽く弾むような機械音が響いた。ローテーブルに置いたままのスマートフォンによる着信の知らせだ。窓の外をぼうとみていた木崎は、数拍の後に振り返り、のそりと足を動かした。暗転している画面を二度指先でつつけば、通知の知らせが点滅して、相手がくだんの神楽坂であることを知らせる。普段であれば自発的にメッセージを送ってくることなどない男が何事かと目を通して、木崎は深々と息をはいた。それはもう、身体中の空気をすべて絞り出すほどに、力の限りをもって。


「……おっまえ、予知やめろ、まじで……」


 SNSに分類されるメッセージツールに残された文字は「暇なら付き合うが」という簡素な文面だけだった。

 確かに、神楽坂が滅多矢鱈にその未来予知じみた真似をすることはほとんどなくなった。正確に表現するならば、ほとんどなくなっただけで、決してゼロにはならなかったのだが。どこをどう解釈したのか、他人に使ってはいけない=木崎と桐生なら良い、という方程式で定着してしまったらしく、ちょくちょく状況に合わせて先回りするようになってしまった。どうせ今回だって、以前の飲みの席で「最近は落ち着いてきたからそのうち休日も休日らしく過ごせそうだ」といった木崎の言葉から計算した結果なのだろう。それだって優に二ヶ月は前のことで、どういう計算をしたら今日この時にピンポイントでこのメッセージを送って来るのかは、木崎にも結局理解はできなかった。


「はぁ、まぁ、いいか」


 飾り気の一つもない黒いスマートフォンを操作して、メッセージツールを開く。はたして神楽坂のメッセージは、二人だけの単独の連絡先ではなく、桐生を含めた三人用の場所に送られていた。木崎がなにがしかを入力するよりも早く、ポンと新しい吹き出しが登場して、桐生も同じ画面をみていたことを知る。神楽坂の言葉をそのままコピー&ペーストしたような「付き合うが」という下句だけが、そこにならぶ。対象者の指定がなくとも木崎宛てだと勝手に悟ったのは、付き合いの長さ故だろうか。どうせ自分が目を通したことは既読マークが相手へ知らせているだろうと、装飾語も主語も述語も斬り捨てた一言だけの返事を入力する。木崎のささくれだった親指が送信と書かれたボタンをタップすると軽い音が響き、吹き出しが送り出されたことを知らせる。そこには10バイトにも満たない言葉が並んでいた。




***

三馬鹿

木崎七緒/刑事/目が良い

桐生燈治/自営業/鼻が利く

神楽坂・S・智尋/高校教師/全体的に人外じみてる

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三馬鹿 仲山 @nkym

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