第41話 ヒトガタの侵食②

◇◆◇




 良かった。三人は素直に行ってくれた。

 多分、聖や蘭だけだと、綾音を一人にするまいと、意地でも残っただろう。琥珀が合理主義的な考え方をしていることが良い方向に働いたのだと思う。


 時間稼ぎには、綾音一人であることが適している。綾音が一人で残ったのは、ただそれだけの理由だ。


 そう、綾音には自分だけが犠牲になるなんて考え方はない。これは自己犠牲的な思考で導いた結論ではない。

 このことを伝えるのに気を使ったのは、普段の自分がそうだと自覚しているからだった。


 でも、自分の命が最も危険であることもまた事実だった。合理的に判断した結果がこれなら仕方がないと思いつつ、今自分がそんな状況下にあることに、綾音は恐怖していた。


 狼狂したナハトの様子を窺う。多分、カレンは人間の姿から今のナハトに変身するのを見て、ヒトガタだと思ったのだろう。

 しかし、それはまだナハトの別の形態に過ぎなかった。


 今はまだ、ナハトはヒトガタとして完成していないようだ。ただ、今の時点でも恐ろしいマナを感じる。

 ヒトガタの出現は災害レベルの被害が予想される。この力で、どれほどの命が失われるのだろう。想像を絶する恐怖が、今目の前に存在する。


 狼狂する直前、ナハトは奇妙なことを言っていた。


「イデア、エコー……」


 イデアとは、聖のことを示している。それは、ここへ来る途中に蘭から聞いていた。

 聖の力がエコーする。あの時、聖は蘭に変身しようとしていたのだと思われる。そこから狼狂したことを考えれば、エコーとはマナの共鳴のことだろうか。


 初果ならもっともらしい推測をしてくれるだろうけれど、綾音がそれを訊けるかはわからない。この状況を生き延びないことには、何もできないのだ。


 ナハトのマナは今も増幅し続けている。

 無防備に見えるが、致命傷を負わせる方法も想像がつかなければ、返り討ちにあってしまえば時間稼ぎの役割すら果たせなくなってしまう。

 だから、今は待つしかない。願わくば、何らかの不具合により、狼狂が失敗に終わらないか。


 しかし、無情にもナハトは力を覚醒させようとしていた。マナの増幅は落ち着きを見せ、見たことのない化け物が完成していた。


 全身金属のような黒光りした体は、今も人のような形を維持している。上半身が著しく発達しており、背中から肩までがはち切れんばかりに大きく膨らんでおり、青白い光を放っている。下半身は異様に細く、その上半身を支えるには物足りないように見える。

 顔には白い二つの点があり、目のような印象を受けるが、眼球には見えないため、そこから情報を得ているのかはわからない。


 綾音が生きてきた中で、他に類を見ない姿をしたバグだ。自然に生きる生物を超越した、未来の生命体のような化け物だった。


「オオ……オオ……」


 ナハトは重低音を発しながら、カクカクと不気味に動き出した。膝関節を少し落とし、また伸ばしたりしている。まるで動きかたの確認をしているかのようだった。


 狼狂すると、バグは知能を失う可能性が高い。さっきは会話もできたナハトだが、もうその意識は無いと考えていたほうがいいだろう。

 そうなったバグは本能的な行動を取ると推測される。つまり、近くにいる生命体に襲いかかる。


 最も近くにいる生命体。それは綾音だった。

 だから、何もしなくてもこちらへ向かってくるはずだ。綾音はある程度の距離を取るため、競技場とスタジアムからは移動し、一〇〇メートルほど離れた公園の周回コースで、ナハトが向かってくるのを待っていた。


 ナハトは首を回転させている。どうやら三六〇度回転するらしい。

 獲物を探しているのだろうか。それなら、あれはやはり目ということになる。まあどうでもいい。


 綾音は両剣式の魔装を構える。辺りには誰もいない。自分は避けることに集中できる。この環境なら、最強のバグが相手でも時間は稼げるはずだ。


 ふいに、ナハトの居るところが光って見えた。


「――光線!!??」


 綾音は慌てて回避する。その光は、綾音のすぐ横を通り抜けていき、後ろに並んでいた木を一瞬で灰にしてしまった。


 当たったらひとたまりもない。防御しようだなんて考えてはならないらしい。

 すぐに視線をナハトに戻す。ナハトはゆっくりとこちらに向かって動き始めていた。


 本能で動く想定ならば、ただ殺戮を繰り返すことより、別の目的で行動する可能性が高い。それは多くの動物の本能と同じものだ。


 つまり、ナハトは綾音を捕食しようとしている。捕まえに来るほうが無闇に放たれる光線より危険度が低そうだし、それで引き付けられるなら時間稼ぎにも都合がよい。

 ただ、死に方としては望ましくない。綾音は、そんなどうでもいいことを考えた自分を嘲笑する。死に方を考えるほどの余裕などないのだ。

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