第八章 ヒトガタの侵食
第40話 ヒトガタの侵食①
スタジアムのほうへ移動すると、列柱の影に蘭が待ち構えていた。
「な、なに今の!!??」
「蘭さんは琥珀さんの治療をお願い!」
そう言うと、綾音は電話を取り出した。
「……こちらナハトと交戦中。機関に応援要請を。各自避難誘導と、場合によっては管制も避難の準備をしてください」
綾音の連絡は、災害レベルの非常連絡だった。
「……あれは、狼狂だと思う」
連絡を終えると、綾音はボツりと呟いた。
「つまり、ナハトは『ヒトガタ』である、と」
「うん」
綾音は琥珀の言った説に、悲しそうな顔で同意した。
「ヒトガタって、そんな……」
「今までヒトガタが魔女の狼狂と言われてたのは、全て魔女に変身していた希少種のバグかもしれない。
なんにせよ、あのマナは私たち特区の魔女ではどうにもならない。機関でも駆除できるかどうか……」
蘭の顔が真っ青になった。聖も、状況を理解する。自分たちの命だけではなく、この町、あるいはこの国全域にまで危害をもたらすかもしれない化け物が目覚めたのだ。
最前線にいるのがこの四人だ。聖はこの事態の異常さに背筋が凍りついた。
「どうしますか?」
「機関が来るまで時間稼ぎをしたい」
綾音は、琥珀の質問に間髪を入れずに答えた。
「……わかりました。やれるだけやってみましょう」
「ううん。三人は避難誘導に合流してほしい」
「えっ……?」
聖は綾音の言葉に思わず声がこぼれた。
「あ、綾音さん、一人で戦う気!?」
蘭が強い口調で訊く。
「時間稼ぎするだけだよ。まともには戦わない」
「そうじゃなくて!」
「――つまり、私たちは足手まといだと?」
落ち着いたような口調だが、琥珀は見るからに怒っていた。綾音は首を横に振る。
「私なら逃げ回ることくらいならできる。琥珀さんも蘭さんも傷を負っているし、聖くんは戦闘経験がほとんどない。
だから、これが私たちの生存確率を上げるためのベストなんだよ」
「……私はまだ戦えます!!」
琥珀が声を荒らげる。それでも、綾音は表情一つ変えることなく、琥珀に言い返す。
「琥珀さんならわかるよね?」
その言葉は、優しい声なのにとても厳しく聞こえた。琥珀は絶望の表情を浮かべると、黙り込んでしまった。
「……急いでここから逃げて、どこかの斑と合流して。そして住民をできる限りここから遠くに」
「綾音さん……」
三人が返事するまでもなく、綾音はナハトのところへ向かった。聖は呆然と綾音を見送る。
「……邪魔なんですよ、私たちは」
「邪魔?」
「私たちを守りながら戦うことよりも、一人で逃げ回るほうが安全だと言いたかったんですよ、あの人は。
だから、行きましょう」
琥珀は不服そうに、そして悲しそうに言う。琥珀はそれを事実として受け入れているのだ。
確かに、聖たちが居ると、それを守ることが余計な負担になるのだろう。綾音は攻撃を受け流す技術に優れているから、一人のほうが時間稼ぎという目的には適しているのだ。
琥珀が蘭を抱えると、フラフラと浮かび、綾音とは逆の方向へと動きだした。
聖も不安はあるが、綾音のことを思うと、納得するしかなかった。
自分は邪魔にしかならない。綾音の負担にはなりたくない。
三人はそれぞれ不安な気持ちを抱きながら、現場から遠ざかっていった。
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