第38話 ナハトとイデア⑥

◇◆◇



 ナハトの一撃は重かった。しかし、このくらいの攻撃、綾音なら難なく捌くだろう。


 ナハトは自分でも十分戦える。それなら、綾音が来る前に終わらせたい。ナハトは絶対に自分が倒さなければならない。琥珀はそう気合いを入れた。


 さっきは、綾音に対して不覚をとってしまった。いつもは軽くいなしてくるくせに、こういう時だけ真剣に叱ってくる。普段から厳しい人間であるなら、琥珀ももっと彼女のことを慕っていただろう。


 琥珀が綾音を良く思っていない一番の理由は、彼女が自分を認めてくれないことだった。

 琥珀は南塔に在籍しているものの、マナの大きさはそれほどでもない。聖だけではなく、蘭や愛夢よりも小さいのだ。


 それでも、自身の努力によって戦闘技術を鍛練し、学年でも五本の指に入るほどの実力者と評価されるようになった。


 しかし、そんな琥珀のことを、綾音は他の生徒と同じように扱ってくる。実力を認めさせるために何度もマナを交えたわけだが、一向に相手にされない。

 ナハトを率先して探していたのも、綾音に一泡吹かせたかったからだ。しかし、それがカレンの行方不明に繋がってしまった。


 このままでは、自分はジャンヌどころか、アイビスの疫病神だ。なんとしても、英雄にならなければならない。そうじゃないと、ここで生きる意味なんてないのだ。


 琥珀は起き上がり、一〇メートルほどの高さまで飛ぶ。ナハトは追いかけてくることもなく、地に足をつけたままじっとこちらを見ている。まるで、バードウォッチングでもしているみたいだ。 


 舐められているとしたら、気にくわない。こちらから仕掛けるとしよう。

 琥珀は魔装を刀のように両手で持ち、ナハトに正面から向かっていく。ナハトは待ち構えていたように腕を黒い金属のようなものに変化させ、琥珀を貫こうとする。


「避けて!」


 聖の声が響く。しかし、余計な心配だった。

 ナハトの攻撃は空を切る。そこにあったのは実体ではなく、琥珀の影だった。

 その隙に、琥珀は側部からマナの剣を回し入れた。


「もらった!!」


 確かな感触! 勢いのまま振り切ると、ナハトはお腹から真っ二つに分かれた。


 ボトっと地面に落ちるナハトの上半身。普通なら致命傷だった。

 しかし、血が噴き出すこともなければ、ナハトの表情が絶望に染まることもない。


 ――まずい! 琥珀は慌てて距離を取る。

 衝撃は琥珀の靴の先をかすめる。それは、上半身から伸びてきた触手だった。


 上空に逃げ、ナハトの様子を観察する。すると、切られた状態のままオブジェのように立っていた下半身が、灰色に変化して崩れていった。


「……あれはいったい」


 そのさまは、身の毛がよだつほど不気味だった。私はいったい何と戦っているんだ。

 上半身から、新たな下半身が生えてくる。そうして、ナハトは元通りになってしまった。


 トカゲのしっぽのような再生機能を持つというのか。だとしたら、ナハトはトカゲ由来のバグなのか。

 いや、明らかにそんな単純な機能ではない。下半身を棄てても再生できるのは、脇腹から触手を出したり、腕を変化させたりするものと同質のものだと考えるべきだ。


 それは、まるで無限に出てくる粘土を操り続けているかのよう。そんな敵を倒す手段は果たしてあるのだろうか。


 しかし、マナを使用しているのは確実だ。体のどこかに、マナを作る機能を持った、核となる部分があるのは間違いない。


 棄てた下半身にあるはずはない。上半身のどこかに核がある。


 単純に予想すると、それは脳か心臓の位置にある。まずは、そこに狙いをつけるしかない。

 琥珀はさっきと同じ手順でもう一度攻撃を図る。


 待ち受けるナハトに対し、琥珀は特攻していく。しかし、無防備な姿を晒すのは、琥珀の影だけで、琥珀自身ではない。


 残像のようなそれは、琥珀のバリアント『幻惑』によって作られるものだ。


 正直、これは恥じるほどにできが悪い。うっすらと浮かびあがるそれは、近くで見ると、人間には一目で作り物だとわかるほどのものだった。

 だから、『分身』とは雲泥の差であり、大して役に立たないのだ。


 それでも、さっきは通用した。所詮、ナハトも知能の低いバグだということだ。


 正面から突っ切る途中で、影を作り先行させる。琥珀は、念のためにと影を三つ用意し、左右の側部にそれを回らせる。さっきの再現と、そのおまけだ。

 琥珀自身は真上から狙う。琥珀は影を囮にし、空高く舞い上がった。


 ナハトは側部の影へ触手を振り回した。この瞬間がチャンスだった。

 琥珀はマナの刃を下に向け、ナハトの真上から頭を狙って突っ込む。多少の防御なら打ち破れる。落下時の重みを活かした一撃なら致命傷を与えられるはずだ。


 ――もらった! 刃はナハトの頭を捉えていた。

 刹那、琥珀はナハトと目があった。ナハトは口を開き、口内からは絶望のような光が灯っている。それは、今まさに琥珀に向けて発射されようとしていた。

 ――間に合わない。琥珀は必死に結界を張ろうとするが、至近距離での直撃に耐えられる気がしない。死が目の前に迫っていた。


 反射的に目をつぶる。痛みはまだ来ない。

 不思議に思って目を開くと、マナの光線が天高く伸びていた。ナハトがふらつき、空へとマナを放出していたのだ。


 そこに居たのは、綾音だった。二人揃って大きく後ろへ下がる。


「大丈夫?」


 綾音に命を救われてしまった。琥珀は悔しさを堪えながら返事をする。


「……助かりました」


 こうなると、綾音に逆らえない。自分よりも優れていることが明白な相手に、主導権を引き渡すしかなかった。


「私がナハトを引き付ける。琥珀さんは背後から後頭部に狙いをつけて」

「わかりました」


 流れるように指示を出す綾音。来たばかりにもかかわらず、琥珀の意図を汲んだ指示をくれる。いつも通り、恐ろしい人だ。


 綾音がナハトに飛びかかった。ナハトの触手を受け流すように、華麗に魔装を操っている。


 綾音の持つ魔装は特注ものだ。長い柄のナギナタタイプであり、両端からマナの刃を作れる両剣式のものとなっている。

 これは、力を集中させたり分散させたりするのにコツがいる。一度握らせてもらったことがあるが、琥珀には上手く扱えなかったし、両剣であることに利を感じなかった。


「こんな武器を使うなんて変態ですよ」と負け惜しみで言ってみたが、「そうかもね」などと軽く流されてしまった。普段のコミュニケーションも戦闘スタイルと一緒なのだ。


 実際、彼女は変態と紙一重と言われるである。文武共にその才能を発揮し、同年代のトップに君臨した。

 そのマナは、琥珀よりもさらに小さい。それなのに、綾音と手合わせすると、全ての攻撃を簡単に受け流されてしまう。


 こうして、綾音は琥珀の努力を全否定する。目の上のたんこぶだった。


 琥珀は綾音に従い、上空から後ろに回り、後頭部に狙いをつける。


 綾音はナハトに臆することなく攻撃を続けている。攻めの姿勢に見えるが、実際は相手に攻撃させて受け止めにいっている。

 彼女はあくまでも引き付ける役であり、おいしいところは琥珀に与えられたのだ。


 琥珀は機を窺う。ナハトが攻撃の手を強めた時がチャンスだ。他者を狩ろうとしている瞬間にこそ、最大の隙が生じる。


 ナハトが触手を右へ左へ展開させる。綾音は、時に単なるナギナタとして切り払い、時に両剣にしてバトンのように回転させ、触手の猛攻を妨げている。見事だった。


 ナハトの攻撃の手数が増えてくる。――今だ。

 できる限りのスピードを出し、琥珀は上空からナハトに突進する。接触の瞬間、綾音もナハトと間合いを取った。

 一閃はナハトの後頭部を捉える。マナの刃は頭から胴体までに刀痕をつけた。しかし、寸前で避けられたため、それほど深くは入らなかった。


「――ちっ!」


 複数の触手が琥珀を目掛けてやってくる。琥珀はそれを必死に切り払い、そのまま一〇メートルほど離れる。

 その瞬間、今度は綾音がナハトに近づく。それは完全に間合いに入っていた。


「はああぁ!!」


 綾音の華麗な一閃は、ナハトを縦に切り裂いた。同時に、触手が力尽きたように地面に伏す。


「……やった」


 ナハトは全身が粘土となり、フィールドが原油のこぼれた海のようになった。


「琥珀さん!? ナハトは?」


 後ろから声が聞こえる。振り向くと、空を飛んでこちらに向かってくる姿姿があった。綾音だ。


「…………えっ?」


 一瞬、何が何だかわからなくなった。綾音が二人?

 慌ててフィールドの綾音に目を向けると、そこに立っていたのは聖だった。


「聖さん? これは――」

「琥珀さん!!」

「えっ……――っっ!!!!」


 太ももに激しい痛みが襲う。琥珀の脚は、黒い刃に貫かれていた。

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