第37話 ナハトとイデア⑤
◇◆◇
聖が意識を取り戻した時、目の前に居たのはカレンの姿をしたナハトだった。
「――ここは……」
尻もちをついた状態で居たのは、芝生の上だった。周りには多くの座席があり、階段状に配置されている。スタンドだ。
よく見ると、芝生の周りはトラックになっており、ラグビーのゴールポストも置かれている。ここは競技場なのだろう。
そういえば、アイビスから少し離れたところに、大きな公園があると聞いていた。そこには競技場やサッカースタジアム、博物館や植物園まであるという。きっと、ここはその公園の中だ。
「イデア。目を覚ましたか」
ナハトが言った。
「……イデアなんて、ぼくは知らない」
ナハトは全く表情を変えず、聖を見据えている。全身が凍りつくような悪寒が聖を襲う。
「イデアは我らの祖たる存在。我の力を解放しろ」
祖? 解放? 聖にはナハトの言ってることが一つも理解できなかった。
イデアとはなんだ。それは、記憶が失われる前の自分なのか。
「ぼくのことを知っているの?」
「お前はイデアだ。イデアは我らの祖」
聖の疑問に、ナハトはさっきと同じ言い回しで答える。さっきから、SFの機械人形みたいに、会話が不自然だった。
「祖って……ぼくはそんな凶暴な力を持ってない」
「イデアは我らと同じだ」
話にならない。やはり、いくら同じと言われても、聖とは違う生物としか思えなかった。
しかし、間違いなく類似している点がある。それは、『変身』能力、しかも相手をそのままコピーする力を持っていることだ。
以前会った女性も、ナハトがコピーした姿であり、殺された人が目撃されていたのも、ナハトが擬態していたからだろう。
ということは、カレンとナハトが接触したことも間違いない。それは、カレンが無事である確率の低下と、ナハトが魔女を超える力を持っていることを示す。どちらも最悪だった。
仮に、力の解放なんてしようものなら、手に負えなくなる可能性が高い。なんとかそれだけは阻止しなければならない。
しかし、阻止する方法については見当もつかない。どうしたものだろうか。
「早く解放しろ。さもなければ、そこで見ている人間を殺す」
人間? 近くに誰か居るのか。
すると、ナハトの側部に向けて鋭い閃光が走る。ナハトは体を変形させ、それを回避してみせた。
「――カレンさんの姿をしているから、少しためらってしまいました」
「琥珀さん!!」
やって来たのは琥珀だった。手にはライフルのような魔装を抱えていた。
「さあ、カレンさんをどこへやったんですか? ――この化け物!!」
琥珀はライフルのマナを放出したまま、剣のようにして襲いかかった。この魔装は銃剣タイプのようだ。
ナハトはそれをゆらりとかわす。
「聖さん、ここに居ては邪魔です。どこかへ逃げてください」
「琥珀さん……」
確かに聖では役に立たないが、この状況で琥珀を残して逃げることにも抵抗がある。
それに、ナハトの目的は自分だ。そうみすみすと逃がしてくれるだろうか。
琥珀は、今度はライフルにしてナハトを狙い撃つ。一発、二発と発射するも、それは簡単に避けられてしまった。
「早く!」
琥珀が急かす。聖は、とりあえず琥珀の負担にならないようにと、スタンドの陰へ逃げ込んだ。
そこからフィールドの様子を覗く。琥珀は間合いが大きい時は射撃、近くなれば斬撃、と使い分け、ナハトへ一方的に攻撃を続けていた。
しかし、ナハトはそれを表情を変えずに避けてしまう。
琥珀は再び射撃から斬撃に転じる。しかし、ナハトはそれを今度は手で受け止めた。すると、琥珀の持つ魔装のライフル部分が真っ二つに壊れてしまった。
よく見ると、ナハトの脇腹辺りから、もう一つの手のような黒いものが生えていた。さっき蘭を貫いたものと同じものだ。
「危ない!」
思わず聖は叫ぶ。琥珀は急いで間合いを取ると、腰の辺りからソードタイプの魔装を取り出した。
「聖さんは早く逃げてください!」
琥珀が怒鳴るが、それでも聖はここから去れない。何かあったとき、蘭に変身してでも助けに向かおうと思っていた。
「――ちいっ!」
今度は、ナハトの攻撃が琥珀を襲う。黒い手は触手のように体のあちこちから伸び、琥珀を突き刺そうとする。琥珀はそれを飛び乗るようにかわす。
しかし、また新たな触手が追撃する。琥珀は、今度はそれを防御するが、その勢いでぶっ飛んでしまった。
「琥珀さん!」
琥珀は芝生から陸上トラックを通り越し、スタンドの壁にぶつかった。
ナハトは、そんな琥珀に接近することなく、ぼんやりと様子を窺っていた。
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