第34話 ナハトとイデア②

◇◆◇



 前日、聖は夜に一度目を覚ましたが、またそのままベッドで就寝した。だから、次の日のアイビスの大きな変化に、自分が数日眠ってしまったのかと思った。


 監視実験の結果については、初果が別人格の出現だけ教えてくれた。詳しいことはまた今度話すとのことだ。綾音はすでにその場にはおらず、今朝は会えなかった。


 東塔から出ると、蘭が待ってくれていた。


「カレンさんが……」


 蘭からナハトらしきバグの出現とカレンが行方不明になった話を聞いた聖は、ショックで言葉を失う。


 これで、聖がナハトである可能性は少なくなった。しかし、こんな事態では喜べるはずもなかった。


「大丈夫。カレンは絶対に無事だから。あの子があっさりやられるわけないよ」


 蘭は口元を緩める。でも、不安は隠れていなかった。聖に向けた言葉は、自分に言い聞かせてる言葉なのかもしれない。


「……うん」

「今、みんなが一生懸命探してる。私たちは南塔で待ってよう」


 蘭が南塔に向けて歩き出したので、聖もそれについて行く。


「ぼくも探しに行きたいな」

「聖はまだ浮遊魔法が苦手でしょ? それに、今は単独行動も禁止だからね」

「そうなんだ」

「うん。カレンでも逃げるので精一杯だったみたいだから」


 つまり、カレンでも敵わなかったことで、ナハトがアイビス中の脅威になっているため、一人で遭遇しないようにと禁止されたわけだ。昨日までが嘘のようだった。




 南塔の前は閑散としている。この付近には生徒が居ない。中で仕事をしているか、捜索や警備に出ているのだ。


 塔では、管制が捜索部隊の情報をまとめたり、マナ検知装置を用いての索敵を行っている。

 聖は、蘭と共に救護班として保健室で待機することとなった。


 みんな冷静に仕事をしているため、塔の中は慌ただしい様子もなく、静かだった。

 聖と蘭は、二人きりで備品のチェックをしていた。初めてから、かれこれ一時間くらいになる。


「カレンは当然として、ナハトのほうも見つけられるといいな。最初に現れてから、もう半月くらい経ってるんだし、そろそろ退治しないと」

「そうだね」


 聖の意識が目覚めてから、バグの警戒状態が解除されたことがない。思えば、聖はまだアイビスの正しい日常を見たことがなかった。

 それほどまでに聖とナハトの行動がリンクしているから、聖も自身を疑ったわけだ。


 でも、聖はナハトじゃないことがほぼ証明された。それ自体は喜ばしいことなのだが、どうにも違和感が拭えない。ここまで行動推移が重なっていて、本当に無関係であると言い切れるのだろうか。


 昨夜だって、聖の意識が眠っている間にナハトが見つかった。以前、バグの反応があったときも、聖が眠っている時間だった。これは果たして偶然だろうか。


「それにしても、聖に何もなくて良かったよ」

「え?」

「昨日、綾音さんから連絡があったとき、ちょっとびっくりしたから。それでカレンのことがあったでしょ? 聖にも何かあったんじゃないかって心配した」


 蘭からすれば、同日に聖の検査とカレンの行方不明が重なったのだ。言い知れぬ不安に襲われるのは無理もなかった。


「ごめんね。大したことじゃないんだけど、心配かけちゃって」

「まあ、記憶喪失なんだし、検査が必要なことは色々あるんだろうね。綾音さんもついていてくれたし――」


 蘭が言い切らないまま会話を止める。そして、小さくため息をついた。


「……綾音さん、聖にもついていてくれたし、夜にカレンの捜索にも行ったんだよね。なんか、綾音さんにおんぶでだっこって感じで嫌になるわ」


 綾音は、蘭の心配する通り、ろくに休んでいないのではないだろうか。その疲労の一端を自分が担っていることに、聖は落ち込む。

 昨日、綾音のために生きたいと言ったのに、まだ何の役にも立てていないだけではなく、面倒をかけてしまっていた。


「ごめん……」

「いやいや、聖を責めてるんじゃないって。私だって、何かあったときに真っ先に相談したいのは綾音さんだし……だから、これは自戒。

 ……できれば、聖についてあげる役目を任せてもらえるくらい、綾音さんに信用されたいなって思うけどね」


 蘭の悲しそうな表情に、聖は強い罪悪感を覚える。

 『変身』のことは綾音と初果以外には言えない。蘭はとても身近な存在なのに、一番大事なことを隠しているのだ。

 いつか、言える日が来るのだろうか。


 ふいに、妙な悪寒がした。これは以前にも感じたことのある圧力だ。聖は手を止めて、窓から外を眺める。


 保健室は塔の一階部分にあるため、土台の分を合わせても2メートルほどの高さしかなく、それほど遠くまでは見渡すことができない。

 辺りは相変わらず人が少ない。というか、今は全く居なかった。だからこそ、視界に入ってきた人物はよく目立った。

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