第32話 存在理由⑤

「自分から言っておいてなんだか、これはたまったもんじゃないな」


 監視を始めて二時間ほど経ったとき、初果がモニターの聖を見ながらボソッと言った。


「一人で居る姿をずっと見られているなんて、私には耐えられそうにない」

「聖くん、言われたとおりに全然動かないね」


 苦手じゃないとは言っていたが、本当に退屈を全く苦にしていないように見える。

 調べものをしながら見ている初果とは対称的に、綾音はほとんどの時間、聖を眺めているが、静止画のように画面が動かない。聖のまばたきで、これが映像だということを思い出すほどだった。


「ここまで微動だにしないのなら、変化がわかりやすくて助かるが……実はもう寝ている、なんてオチは勘弁願いたいな」

「まさか」


 綾音はクスッと笑う。緊張感のある状況のはずだったが、聖を見ていると和んでしまう。それほどまでに、聖を身近な存在と感じている自分がいることを、綾音は不思議に思った。


 本当に、全部取り越し苦労だったら良いのに。綾音はそう願っていた。


 ふいに、聖が前方へと傾いていく。


「聖くん!?」


 そのまま前に倒れてしまい、カメラから姿を消してしまった。綾音は思わず隣の部屋への扉に手を掛けた。


「待て。それだと意味がない」

「怪我とかしてないかな……」

「命に関わることはない。それに、これはチャンスだ。様子を見よう」


 そうだ。これは、間違いなくナルコレプシーの症状が出たのだ。聖の不安を解消できるチャンスかもしれないのだった。


「でも、聖くん見えないね」


 綾音は戻ってモニターを確認するが、そこに聖の姿はなかった。見えるのはベッドだけだ。


「カメラは机に置いてるだけだからな。まあ、それでも意識があればそのまま転がっていることはない」


 カメラは壁際から水平に聖を映している。先ほどは遠目からほとんど全身が見えていたが、床までは撮影されていなかった。


「そうだね」

「さあ、できれば美倉聖の姿のまま現れてほしいが……」


 聖なら、別人格になると姿まで変化させられる。そうなると、見た目も中身も違う人物――人じゃない可能性もあるが――ということもあり得るのだ。


 綾音の初果はモニターに釘付けになる。パソコンの低い音だけが部屋に響く。

 一分ほど見つめていると、ようやく映像に動きが見られた。体を起こして現れる人物。女性の姿のままの聖だった。


「――聖くん」

「とりあえずは理想的だ」


 綾音は聖の姿を見て安心する。でも、問題は中身だ。気を引き締めて今一度モニターを見つめる。


「まだ美倉聖の人格である可能性もあるが、そうだとしたら、また座ってくれるだろう」

「そうだね」


 ナルコレプシーと別人格がセットであるとは限らない。すぐに体を起こしたため、このままではナルコレプシーによるものかすらまだわからないのだ。

 立ち上がった聖は、そのまま静止している。表情は倒れる前とさほど変わらないように見える。


「……座らないな」

「じゃあ、別人格ってこと?」

「おそらくな」


 綾音は聖の表情にもう一度注目する。座っていたときと変わらないその表情は、まだ夢を見ているかのようだった。

 すると、今度はゆっくりと歩きだした。といっても、物の多い部屋であるため、歩ける範囲は狭い。壁際まで行き、ちょうど顔が見切れるくらいの位置で立ち止まった。


「カメラの引きにも限界があるからな。これは少し困った」

「うん……」


 聖は手で壁に触れているようだ。表情がギリギリ見えないのがもどかしかった。


「仕方ない。もう少しこのまま様子を見るか」

「うん。……これで、聖くんがナハトである可能性は消えたのかな?」


 聖ではないとしても、今の意識は大人しいものだった。夢遊病の類いかと思ってしまうほどだ。


「消えたとまでは言わない。それに、問題は彼自身がナハトであるかだけではなく、関係しているかどうかだからな。まだ観察してみないとわからない」


 そうだった。聖が自身をナハトじゃないかと疑ったのは、アイビスまでの道のりが同じだということも含まれていた。初果も、最初から関連性のほうを気にしていたのだ。


 それでも、聖自身がナハトではない可能性が高くなったことは、綾音にとって大きかった。最悪の場合、もうすでに戦闘していることも考えられたのだ。

 このまま、単なる別人格であるだけなら何も問題はない。そうであれば、綾音はこの聖とも話してみたいと思った。


「――動いたな」


 初果の言うとおり、聖は歩き出していた。振り返る時に一瞬顔を見せるが、今度は後ろ姿を見せつけられてしまう。どうやら、出入り口に関心を示したようだ。

 思えば、昨夜も外出したようだし、今も外へ行きたいと思っているのだろう。


 一度ドアノブを回そうとするが、鍵がかかっているため、当然扉は開かない。映像と連動して扉から音がするが、二人はずっとモニターに釘付けになっていた。


「強行突破するようなことはないようだ」

「うん」


 これで、乱暴な性質ではない可能性も高くなる。聖は、鍵がかかっていることに気づいた瞬間、少し落胆したように見えた。そういう仕草も綾音を安心させた。

 諦めた聖はベッドまで戻ってきた。しかし、顔を見せないまま寝転がってしまう。


「カメラに気づいているのかもしれない」

「そうだね」


 このタイミングで入っていくべきだろうか。いや、ここは初果の判断に任せよう。そうすべきなら、切り出してくれるはずだ。

 ふと、携帯電話が振動する。電話が来ているようだ。


「こちらは大丈夫そうだし、出るといい」

「うん。ごめんね」


 綾音は電話を手に部屋の外へと出ていく。画面には電話の相手の名前が示されている。カレンだった。


「もしもし。どうしたの?」

「――な、ナハトらしきバグを発見した……!」

「え? どこに!?」


 綾音が尋ねる間も、カレンは喘ぐように呼吸している。緊急事態だった。


「わからん……! 油断してた……! 琥珀にも一人じゃ無理じゃと伝えてくれ……! 

 あれはヒトガタかもしれ――」

「カレンさん!?」


 途中で電話が切れた。最後に残したのは『ヒトガタ』という単語だった。

 とにかく、すぐに救援に向かわなければならない。


 電話が来た時の位置データを割り出し、アイビス全体に連絡をする。今も偵察している魔女が居るので、その部隊が真っ先に動いてくれるはずだ。

 綾音は一度部屋に戻って初果に事態を告げると、すぐに東塔を抜け出した。




◇◆◇




「ナハトと思われるバグが出たの! 急いで現場に向かいます!」

「了解だ」


 部屋に置いたままになっている聖の携帯電話が音を立てたことで、初果はきっとそうだろうと思っていた。綾音は当然そちらに向かうべきだ。


 それがナハトならば、これで聖のナハト疑惑についても解消となる。しかし、危機的状況にあるとすれば、素直に喜べるものではないのかもしれない。


 初果は、この後聖のところへ行き、別人格とコンタクトを取る予定だった。でも、綾音という用心棒が居ないままでは危険であるため、その予定はおじゃんとなった。


「ふぅ……」


 初果は相変わらずモニターとにらめっこしている。映像の中の聖は、自身の携帯電話の音に驚いたのか、また体を起こしていた。

 背中を向けてジッと座っている。かと思ったら、今度はまた立ち上がった。そして、フラッと歩き出すと、カメラのほうにはっきりと顔を向けてくれた。


「……どういう心変わりだ?」


 初果はモニターの聖に問う。聖の顔はさっきよりも表情がなかった。

 そして、両手でおでこに手をやった。その瞬間、初果の耳に超音波のようなものが走った。


「これは、いったい何をしているんだ……」


 明らかに、さっきまでと様子が違う。不安を感じながらも、初果にはただ見ているほかなかった。

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