第31話 存在理由④
部屋に帰ると、初果は元の姿に戻っていた。促されるまま、聖が初果の正面に座ると、綾音は彼女の隣に腰を下ろした。
そこから、初果の聞き取り調査が始まった。それは、昨夜どんな状況で無意識の外出が行われたか、についてだ。初果はさっきの出来事などなかったかのように、聖に淡々と質問を続けた。
「つまり、昨夜は君がアイビスに来てから、初めてナルコレプシーと一人の状況が重なったわけだな」
ナルコレプシーについては、アイビスに着いてからほとんどなかった。それに、聖が南塔に配属されてからは、ほとんどの時間、蘭と行動を共にしていた。だから、一人になる状況が少なかったのだ。
「うん」
「……単純な形でだが、君の無意識の行動を監視してみようと思う」
初果は腕を組みながらそう提案した。
「どうやって?」
「美倉聖には一人で隣の部屋に居てもらう。それをずっとカメラで撮影し、こちらの部屋で観察する。
ナルコレプシーはコントロール出来ないから、根気のいる作業になるかもしれないが、他に策もない。だから、まず単純な方法で試してみたい。どうだ?」
初果の判断に反対する気にはなれないので、聖は反射的に一度頷いた。しかし、ふと気づく。
「――もし、何かあったら初果さんが危なくない?」
仮に自分がナハトなら、近くにいる初果が危険だった。不安そうな聖に対し、初果は少し口元を緩めた。
「私には用心棒が居るから心配はいらない」
初果が言うと、綾音が頷く。確かに、それで初果の危険は解消されそうだ。
聖はもう一つの不安を、今度は綾音に向けて言う。
「綾音さん。……もし、ぼくがナハトだったなら、その時は殺してほしい」
「聖くん……」
大事な線引きだった。自分がナハトだと確信できたなら、もうバグとして扱われるべきだ。それは、聖の魔女としてのプライドなのだ。
綾音の表情には動揺が見えた。しかし、聖の気持ちが伝わったのか、次の瞬間には力強い表情で頷いてくれた。
「……わかった。もしそうだったなら、私がちゃんとする」
「うん」
これで、自分がバグであっても誰も傷つけないで済むだろう。今度こそ試してみる決心ができた。
初果に視線をやると、頷いて返してくれた。
「では、今晩は隣の部屋に居てくれ。状況によっては、明日明後日も同じようにしてもらう」
「うん」
「ナルコレプシーをこちらで認識できるよう、君は極力座っているようにして、用事があれば手をあげて発言してくれ。
睡眠するしない問わず、無断で動き回るようなことがあれば、こちらはそれを君の別人格だと認識する」
なるほど。人格と変身がセットであるとは限らないため、ただ監視しているだけでは、それが聖自身のものか判断できない。だから、聖の行動を制限するしかないのだ。
「わかった」
「では、二時間後から実行する。君は食事や仲間への連絡をしておくといい」
そう言って、初果は立ち上がり、診察室へと入っていった。
聖は自身への疑念を晴らすことができるかもしれないという期待感と共に、ひょっとしたらもう自分が居なくなるのではないかという不安を持っていた。
ポンと肩に手を置かれる。綾音だ。いつの間にかそばに来てくれていた。
「ご飯食べに行こっか」
「……うん」
自分が化け物であったとしても、この人を傷つけることだけはないように。聖は綾音の手のぬくもりを感じながら、ただそう祈った。
◆◇◆
二人で食事をとり、蘭に聖の不在を伝えると、いよいよ監視の始まる時間になった。
「退屈だろうけど大丈夫?」
「ボーッとすることは苦手じゃないんだ」
聖は冗談っぽくそう言った。さっきよりはずいぶんと開き直っている気がする。
綾音は不安だった。もし聖がナハトだったなら、本当に綾音に殺せるだろうか。
先ほど、綾音が急いでここに来たのは、携帯電話に初果からのメッセージが入っていたからだ。
「しばらく部屋には来るな」
初果はわざわざこんなことを言わない。これは絶対に何かある。そして、初果も来てほしいと思っている。そう思い、綾音は偵察を切り上げてまでここに向かった。
初果は聖を殺そうとしていた。それは、自分のためだ。綾音はそのことを理解していた。
綾音の甘さでは、仮に聖が99%バグであり、それが世界を破滅に導く存在だとしても、人の姿をしている聖を殺すことなどできないのだ。
自分の甘さが初果の負担になっている。それは綾音が常々感じていることだった。
「夜まで何もなければ、君は就寝するといい。普通の睡眠でも出てくる可能性は
あるし、何せ不明なことばかりだ。何もなければ、明日でも明後日でもかまわない」
「うん」
二人は着々と準備を進めていた。聖は断層撮影のベッドに腰を掛けている。この状態のまま、数時間待機しなければならない。
この部屋には日の光は届かないが、もう日も落ちたような時間になっていた。それでも、寝るにはまだまだ早い時間帯だ。これから何時間監視するのだろうか。
「じゃあ、私たちは向こうに戻る。綾音」
「あ、うん。じゃあね、聖くん」
「うん。おやすみなさい」
その挨拶は適切なのだろうか。綾音はクスッと笑う。聖は少し天然っぽいところがあるのだ。
「おやすみなさい」
綾音もそう返し、隣の部屋へと移動した。聖の様子は、初果のPCのモニターで監視する。
戻ってきて早々、初果はチョコレートの袋を開け、口に放り込んだ。一つ、また一つ。早食い競争みたいにバクバクと食べ進めていく。
「我慢してたんだね……」
初果も気を張っていたのだろう。脳に栄養を回すためと、いつもなら仕事中にチョコレートを切らせることなどなかった。
さっき初果と二人で話したとき、彼女は憔悴しきったようだった。命のやり取りをした後だから当然かもしれない。そして、聖の涙にもずいぶん心を痛めていた。
「……美倉聖の様子はどうだった?」
いつもの無表情で言う。でも、内心かなり心配していることは、綾音にははっきりとわかった。
「最初はちょっとボーッとしてたけど、その後はいつも通りだったよ。それに、初果の気持ちも理解してくれてたよ」
「……そうか」
聖は初果を責めることはなかったし、怯えている様子もなかった。共感性の高い子だから、元よりそんな心配をする必要はなかった。あるいは、人を恨んだりしない性質なのかもしれない。
「彼の心のほうはどうだ?」
初果は、聖のことを「彼」と呼んだ。初果の中でも、男の子説が有力になったのだろうか。
「それも大丈夫だと思う」
綾音は、さっきの屋上でのやり取りを思い出す。そして、気恥ずかしい気持ちになった。
自己同一性。初果も言っていたが、聖の悩みはとても人間らしいものだ。
自分が何者なのか、他の人以上にわからない聖にとって、自分じゃない自分の存在は恐ろしかったことだろう。
綾音には、ただ聖の存在を認めることしかできなかったが、聖はそれを受けとめてくれた。
綾音自身、なんのために生きてるのか悩むことがあった。それを使命だけで語るのは嫌だった。でも、聖と話をして、ヒントをもらったような気がした。
聖は綾音のために生きたいと言ってくれた。綾音は洗脳しているような気分になり、それを申し訳なく感じた。だから、返す言葉に困った。
しかし、聖は綾音を信じているからだと言ってくれた。その言葉に、綾音はハッとした。自分の信じているもの、あるいは、自分を信じてくれているものにこそ、その答えがあるのではないだろうか。
手を差し伸べるはずが、横並びになって手を繋いでいた。あの時、二人は支えあっていたのだ。
「そうか。彼は綾音に似ている気がする」
「そう?」
「ああ」
聞き返したものの、綾音はなんとなく納得していた。綾音と聖は似ている。顔や性格ではなく、心のリズムが近いような気がしていた。
「自己犠牲的なところとかな」
「そこはあんまりわかんないな」
例に出た部分は受け入れがたいところだった。綾音は抗議のため頬をふくらませる。
「二人の欠点と言える部分だからな」
初果は呆れるように付け加えた。まったく、時折大人の目線から俯瞰してくるから困る。
「……きっと、私も彼とは友人になれると思う。それでも、最悪の場合には備えておかなければならない」
綾音は、反射的に初果の手元を見た。そこにあったのは、注射器だった。
「初果……」
「もし、狼狂する兆候があれば、今度こそためらわない。彼もそれを望んでいる。綾音も、その時は迷うな」
それは最悪のケースだった。狼狂して『ヒトガタ』になるようなことがあれば、綾音でも手に負えないかもしれない。初果はそのことも頭に入れている。
綾音は、その可能性に現実感が持てなかった。でも、しっかり考えておかなければならないのは間違いなかった。
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