第30話 存在理由③

「私が初果と出会ったのは、一〇歳のときだった。

 母が機関に居るから、私は幼い頃から本部に出入りしていた。ある日、私は機関に忍び込もうとしている小さな女の子を捕まえた。それが、今の姿をした初果だったの。

 その時、初果はすでにノルンによって変身できる体にされていて、その伸縮機能を利用して機関に入り込んでいたんだ。

 周りが大人ばかりだったから、私は、同い年くらいに見える初果と友達になりたくてね。それで、事情を訊いて解放したあとも、初果を尾行したの。

 そうしてたどり着いたのがノルンの研究所だった」


 そこで、一度話が止まる。綾音の表情は少し陰ったように見えた。


「そこで見たのは、ガラス管で育てられている生き物だった。びっくりして走っていった先には、今度は人間……魔女の胎児が、同じようにガラス管の中に居た。

 怯える私は、大人の姿をした初果に見つかって、すぐに追い出されて叱られた。今見たものはすべて忘れろ、誰にも言うな、もう二度とここに来てはならない、ってね。

 今思えば、初果以外の誰かに見つかっていたら、私は殺されていたんだと思う」


 聖は息を飲む。綾音の感じた恐怖が、繋がった手を通じて、自分にも鮮明に伝わってきた気がした。


「それから、私は研究所を離れたところからずっと見ていた。子どもながらに、ノルンのしていることの恐ろしさに気づいていたみたい。

 そして、次に会ったのは、ボロボロになった初果だった。初果が機関とノルンを行き来していたのは、機密情報を抜き出していたからだったの。それがバレてノルンに追われていた。

 初果は、代わりの死体を用意して、ノルンから使役されたバグに殺されたと見せかけて、研究所から脱出した。でも、それでごまかしきれているとは思えないから、まだノルンは初果を探しているのかもしれない。だから、初果は警戒し続けているの。

 子どもの姿は、初果が身を隠してる時の姿なんだよ。聖くんと一緒」


 初果も、ある意味擬態していることになるようだ。たしかに聖と同じだった。


「綾音さんに助けてもらったから、初果さんは綾音さんを信頼してるんだね」

「私はただ匿っただけだよ。初果から話を聞いて、私もノルンの存在について納得がいかなかったしね」


 その頃、綾音は一〇歳だったはずだが、すでに強い信念ができあがっていたのだろうか。

 ひょっとすると、綾音も神童と呼ばれるほどの子どもだったのかもしれない。いくら母親が機関にいるとはいえ、簡単に子どもを出入りさせるとは思えない。


「……ノルンは、初果をただ頭が良いだけの従順な研究者だと思ってたんだろうね。初果って感情を表に出さないし、一見機械みたいな感じだから。

 でも、初果は最初に研究所に入った時点で、ノルンのしていることには否定的だった。人がバグや魔女を作っているなんて、初果には許せなかった。本当は、初果は正義感のある優しい人だから」


 聖は、さっきの初果の姿を思い出す。震える手で聖の手を持ち、聖の涙に怯んだ初果。彼女は、機械になんてなれないのだ。


「機関のどこにノルン側の人間が存在するのかがわからなかったから、ノルンのことをおおやけにすることはできなかった。下手に明かしても、信じてもらえるかわからないからね。

 だから、機関にこっそりと情報を持ち込んで、信頼できる人に管理してもらっていたの。

 ……でも、それがバレてしまった。情報は破棄され、関わっていた人は……」

「そんな……」


 訊かずともわかる。初果だけが命からがら生き延びたということだ。


「初果は強く責任を感じている。だから、なんとしてもノルンの実態を暴きたいと思ってる。

 そして、それは私も同じ。私はバグを駆逐することが魔女の使命だって信じているし、それがアイビスのみんなのためでもあると思ってる。だから、そのためにノルンを止めないといけない。

 ……それが、私の生きる意味なんだと思う」


 ここまで聞いて、やっとわかった。綾音は、初果の弁明だけではなく、聖の苦しみに寄り添ってくれているのだ。


「綾音さんの生きる意味……」

「うん。……これは目標や目的って言ったほうが良いのかもしれないけどね。だって、これじゃあノルンを止めてバグを駆逐したら、私は死んじゃってもいいってことになっちゃうし」


 そう言って、困ったような笑顔になる。ちょっとした冗談なのかもしれない。聖も同じような表情を返した。


「だからね、意味はこれからもずっと探し続けていくんだと思う」


 綾音は体ごと聖のほうを向く。そして、もう片方の手も聖の手をつかんだ。


「聖くんも一緒に探していこう? たとえ今までの記憶がなくたって、未来の時間はいっぱいあるから」


 まっすぐに目を合わせられる。西へ向かっていく太陽よりも、その目は眩しかった。


「……ぼくはナハトかもしれない」

「聖くんは魔女だよ。私たちは一緒にバグと戦ったでしょ?」


 綾音は子どもに言い聞かせる母のような顔をしている。


「ぼくは逃げ回ってただけで――」

「女の子を助けてくれたじゃない。聖くんはもう魔女の務めを果たしてるんだよ」


 綾音の暖かい言葉が胸に響く。でも、聖にはまだ大きな不安があった。


「でも、ぼくの知らないぼくが居るかもしれないんだよ」

「今の聖くんが聖くんなんだよ!」


 強く手を握られる。この力は精いっぱいの訴えかけだった。


「綾音さん……」

「大事なのは、今ここに居る聖くんの意志なの。こうありたい、って気持ちだけだよ」


 こうありたい。聖の意志は決まっていた。


「綾音さんと一緒に居たい。アイビスのみんなと……一緒が良い」


 聖はアイビスにやって来て、仲間や友人と出会えた。ここに居ることが許されるのなら、アイビスで魔女として存在したい。これが聖の意志だった。


「――うん。一緒に生きていこう」


 綾音は聖を認めてくれた。聖は、まるで命を与えられた人形のような気分だった。


「……ありがとう」


 綾音に救われるのはもう三度目だ。最初は何も知らない自分に光をくれた。二度目はバグから守ってくれた。三度目の今は、心の苦しみを浄化してくれた。


 感謝の気持ちを、五文字で済ませるには足りない。でも、今の気持ちを正確に表現できるような言葉は、聖の頭をフル回転させても出てこない。

 聖は、綾音の手を握り返す。そして、強く誓った。絶対に綾音の力になる、と。


「――あっ」


 ふいに、強風に煽られてバランスを崩してしまった。落ちそうになるところを、綾音がしっかり支えてくれる。

 こんな形で四度目の救済を受けるとは思わなかった。「ごめん」と小さく呟くと、綾音はニコッと笑ってくれた。


 さっきまでのように、二人は片手を繋いで横並びに立った。照れくさくて綾音の顔を見られないので、聖にはちょうど良かった。


「私もね、考えたことがあったんだ」


 綾音がぼそっと言う。チラッと表情を窺うと、少し寂しそうに見えた。


「綾音さんも?」

「私たち魔女は、生まれてきた時から使命がある。それが意図的に保たれていることを知ったとき、私たちはなんのために生きてるんだろうって考えたの。

 バグが全滅すれば、私たちは必要なくなる。ノルンのしていることには絶対に反対だけど、全ての目的が達成された未来には何があるんだろう」


 聖は、綾音に変身した時の感覚を思い出す。心が乗っ取られそうになるほどの強い感情。それは、綾音の苦悩が生み出したものなのだ。

 全てが終わった先にあるもの。それは聖には想像もつかないものばかりだ。綾音はきっと色々見えてしまうから、不安なのだろう。


 ふと、聖にも見えるものがあった。それは、今も未来もあり続けるものだ。


「ぼくは、綾音さんのために生きたい」

「――えっ?」


 しまった。これでは話が飛んでいる。しかも、ものすごく恥ずかしいことを言ってしまっていた。


「え、えっと……綾音さんはきっと、どんな未来になっても、アイビスのみんなのためだけじゃなく、この世界を良くするためにがんばってる。

 だから、綾音さんのために生きられれば、色んな人の力になれると思うんだ」


 未来がどんな世界でも、誰かのために生きていくのは変わらない。それなら、バグを駆逐することも、わからない未来も、全部綾音のためであればいい。

 そんな気持ちが言葉になった結果、プロポーズの台詞のようになってしまった。


 言い訳のような弁明に、綾音は黙って耳を傾けていた。聖は恥ずかしくてここから飛び降りたいくらいの気分だった。


「聖くんは私を買いかぶり過ぎだよ」

「……多分、そうでもないよ」

「え?」


 聖の返答は小さく、綾音には聞こえていなかった。綾音が聞き返すも、聖は応えなかった。きっと、綾音は謙遜し続けるだけだからだ。

 聖の中に、一本の芯が通った。これは、生きていくための大事な道しるべだ。

 もう迷わずに生きていける。そう自信が持てた。

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