第27話 擬態⑤
「……初果さんって、いつもここで何をしているの?」
すぐに本題に入ることを避け、聖は手始めに、以前から気になっていたことを訊いてみた。初果は顔を傾け、モニターから右目だけ覗き、また隠れた。
「調査と研究だ。今みたいに、何か事件があれば、それについて調べて綾音に報告する。綾音から依頼があれば、それを優先して調べ、報告する」
「綾音さんの専属でここに居るの?」
「そうなるな。名目は特区の研究員になるが」
さらっと言うが、かなりのレアケースではないだろうか。綾音の母が機関の上層部に在籍していることは知っていたが、だからといって、こんな権限が与えられるのは不思議だった。
「初果さんは、やっぱり東塔の魔女ってわけじゃなかったんだ」
「ああ。最初に言ってなかったか。マナはあるが、魔女として在籍しているわけではない」
それなら、綾音以外とはほとんど関わることはないのだろう。あるいは、東塔の魔女ですら初果の存在を知らないのかもしれない。
「……今は、ナハトのついて調べてるの?」
聖はようやく本題に移る。多少落ち着いてきていた心臓も、また早鐘を打ち始めた。
「ああ。事件から遠ざかっているが、関連性の高そうな事例がないか調べている」
「ナハトは擬態しているの?」
「そう見るのが妥当だろう」
やはり、初果もそう考えているようだ。聖は口にたまったつばを飲み込む。
「……人に擬態しているのかな?」
「…………」
いつも質問に間髪を入れずに返してくれた初果だったが、この質問の返答には時間を要した。沈黙の中、自分の心臓の音が聞こえてくる。
「可能性は高いと考えている。魔女はマナを感知して、隠れたバグを見つけることができる。
ここまで見つからないのは、魔女に擬態するか、あるいはマナを隠匿しているかのどちらかだろう。
なんにせよ、かなり知能の高いバグなのは間違いない。今も魔女に成りすましているのかもしれない」
魔女に成りすましている。その言葉は、聖のことを言っているように聞こえた。
最初にここで聖を調べた時、綾音と初果は、変身がバグ特有のものだということを言わなかった。二人は、最初から聖がバグではないかと疑っていたのだ。
それなのに、なぜ聖をアイビスに受け入れたのだろうか。監視下に置くためとは考えられるが、それにしては遠すぎるように思う。聖が危険な存在ならば、南塔ではなく東塔所属にするはずだ。
二人が何を考えているのかがわからない。自分はなぜ生かされているのだろうか。
意識が目覚めたばかりの聖は、真っ暗闇の中をさまよっていた。光をくれたのは綾音だった。美倉聖という人間の火が灯り、その光で綾音や蘭、愛夢たちを見ることができたのだ。
しかし、今はまた眼前に闇が広がっている。火が消えたから、大切な人たちのことも見えなくなってしまった。
再び見るためには、もう一度火を灯さなければならない。たとえ、そこで見えるのものが、敵意のまなざしと己の醜い姿であってもだ。
「――初果さんは、ぼくがナハトじゃないかって思う?」
ついに、聖は本題に手をつけた。初果のキーボードを叩く手が止まる。
静寂の中、パソコンの低い音だけが小さく響く。聖の心臓の音まで初果に聞こえているのではないだろうか。
「……君は、なぜそんな質問をするんだ?」
少し間をおいて口を開いた初果からは、逆に質問が返ってきた。
「子ども姿のぼくが、ナハトじゃないかって疑われてるんだ。アイビスに来たタイミングも道のりも、ナハトと重なってる気がした」
「そうだな」
初果は促すように相づちを打つ。まだ他にも理由があるとわかっているのだ。
「昨日の夜、バグの反応があったって時間に意識を失ってたんだけど、いつの間にか外に居た。
ここに来るまでも、無意識で移動しているような状況が何度かあった。だから……自分じゃない自分が、ぼくの中に居る気がしたんだ」
ここまで言い切ると、一度言葉に詰まった。初果の反応が気になるが、聖からは初果の表情が窺えないので、どんな反応をしたのかがわからない。聖はそのまま続けた。
「……初果さん、最初に体を調べてくれたとき、脳まで変身するのにマナを維持できることが異常だって言ったよね。そもそも、『変身』がバグ特有のものだった。なんであの時、それを言わなかったの?
ぼくは……最初から疑われていたの――?」
言い終えるのと同時くらいに初果が立ち上がったため、聖の言葉の最後のほうは小さくなった。きっと、初果も途中までしか聞いていなかっただろう。
ようやく見えた初果の顔は、いつものような無表情だったが、どこか憂いを帯びているように見えた。
「美倉聖」
「――はい」
「前にも言ったが、君の力は異常であり、強大だ。それはアイビスのみならず、この世界にとって危険な能力だ。私は、初めて会ったときから君の力を恐れていた。
仮に、君に別の意識が存在していて、邪悪な性質を持っていたとするならば、その時は我々に対処できるかわからない。あるいは、君が『ヒトガタ』だったなら……最悪、全滅もあり得る」
『ヒトガタ』? 説明が欲しいが、すでにそういう空気ではなかった。
初果は一歩、二歩と右に移動する。すると、右手に何か持っているのが見えた。それは注射器だった。
「綾音が居たら、きっと私を止めるだろう。しかし、だからこそ今のうちに君を始末しなければならない。
君はこの世に居てはならない存在なんだ。――わかってくれ」
増えすぎた動物を処分するとき、人はこんな顔をするのではないだろうか。自ら罪を背負うことで、全体を守ろうとしている。初果はそういう状況の下に立っていた。
「ぼくを……殺すの?」
「綾音や君の仲間を守るためだ」
初果はテーブルを回り込み、もう手を伸ばせば届くほどの距離まで来ていた。今から自分は裁かれるのだ。聖に逃げる気力はなかった。
「……ぼくは、いったいなんだったんだろう?」
「君のことは、善人だと思っているよ。ずっと君のままで居てくれるのなら、むしろ近くに居てくれることを望むだろう。
君じゃない君が居たら、こうすることを決めていた。これは――綾音にはできないことだから」
初果が聖の腕を握る。その手は冷たく、小さな動物のように震えていた。
注射器の針が腕に当たるが、震えのためか、何度も肌の上を歩いた。腕を握る力も強くなる。聖はただジッとその時を待っていた。
「――泣いているのか?」
気づけば、聖の目からは涙が落ちていた。
「……本当だね」
「怖いか?」
「ううん。ただ――――悲しい」
そう言うと、初果は一度手を離した。
「……私としては、君が抵抗してくれたほうが覚悟を決めやすい」
「抵抗はしないよ。綾音さんやみんなのためにそうしたほうがいいのなら、それでいい。
ただ、ぼくは生きる意味を見つけられたと思ってたんだ。何も持たない自分だけど、アイビスに居ることで必要としてもらえるんだって。
なのに、ぼくの存在がみんなを危険にさらすなんて……ぼくはなんで生きてたんだろう」
感情が昂ぶっているつもりなんてないのに、蛇口をひねったみたいな涙が止まらない。
過去を持たない聖は、自分の存在する理由を求めていた。生きる意味を求めていた。それは、綾音や蘭たちと関わるうちに、誰かから求められて成り立つものだと思った。
でも、みんなのためには、聖が居なくなるべきだと知った。みんなのために生きたかったのに、みんなのために死ぬしかないのだ。短くても楽しく幸福だった時間は、全部否定された。虚無だった。
初果は聖を見ながら、今度は後ずさりをした。そして、右手の注射器を、重いものを持つように左手で支えた。
「――ここで、なんとかしなければ……」
初果の声はデクレッシェンドしていく。声に力はなくなり、目も弱々しいものとなってしまった。
ふいに、外から物音が聞こえた。急いでる足音は、この部屋へ向かって来るものだった。
「初果!?」
扉が開くと、綾音が急いで駆け込んできた。会いたかったはずなのに、今は会いたくなかった。綾音も聖の涙に心を痛めると思ったからだ。
「綾音さん。あの――」
「もういい」
「え?」
初果はうつむいたまま、聖の言葉を遮った。
「君は奥に行っていてくれ。ちょっと綾音と話がしたい」
「……聖くん、お願い」
どうやら、裁かれるのは先送りされたらしい。聖は安堵するでもなく、ただ二人の言うとおりに、奥の診察室へと入っていった。
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