第25話 擬態③

「先例はあるぞ」

「バグを見つけたとき、野良犬に姿を変えていた、とかね。でも、普通は逆だよね」

「逆?」


 引っ掛かる言い回しだった。首をかしげる聖に、蘭が補足する。


「この前みたいに、体が大きくなって狂暴化する『狼狂』はよくあることなんだ。

 これは、サナギがチョウになるような、『最終形態への変態』だと認識されてる。つまり、生物的に正常な機能なんだよね。

 そう考えると、バグが大人しい動物の姿になるのは普通じゃないでしょ?」

「確かにそうだね」

「擬態はそれだけ珍しいことなのよ」


 聖は、仮に自分を分類すると、『擬態』のほうだろうと考える。『狼狂』のようなとは全くの別物だ。


 そこで、ふと聖に、少年がバグだと疑われない、説得力のありそうな説が浮かんだ。


「そうだ、魔女が少年に擬態してたってことはないの? バグが普通にしゃべるよりは、そっちのほうが可能性が高そうだけど」


 何のために、と問われるとわからないが、バグが会話するという異常性を鑑みれば、普通なら真っ先に考えるべき説だ。

 先入観なのか、あるいは、聖の知らないところで何か否定できる要素があるのだろうか。


 すると、蘭は不思議そうな表情を見せ、ふと何かに気づいたそぶりを見せた。


「ああ、そっか。聖はそういうことも知らないんだよね」


 そう納得すると、コホンと一つ咳払いを入れ、Vサインのように指を二本立てた。


「えっとね、擬態をするためのバリアントってのは二種類が考えられるの。

 一つは『幻惑』。これは幻覚を見せるバリアントで、あたかも何かに変身していると見せかけるもの。

 で、もう一つが『変身』。こっちは言葉どおり、そのものに変わるバリアントで、『狼狂』もこれに含まれる。

 魔女が擬態するってことは前者なんだけど、アイビスの魔女に囲まれた中で、全員を欺くのはあり得ないと思うよ」


 蘭は一つ一つ指を折って説明する。しかし、それには重要な情報が不足していた。聖はそこを追及する。


「魔女が『変身』している可能性はないの?」

「そりゃそうだよ。『変身』はバグのバリアントだからね」

「え?」


 『変身』はバグのバリアント。その言葉を、聖は容易に飲み込めなかった。


「そ、それって、『変身』がバグだけのバリアントってこと?」

「うん。周りに居ないでしょ? そんなバリアントを使う魔女」


 いや、ここに居る。でも、聖はそう言えなかった。聖は自分が魔女だと断言できないのだ。


 胸が締めつけられ、呼吸が難しくなる。意識的に息を吸い、また吐き出しても、落ち着けることができない。訊くべきことがあるはずなのに、正確な言葉が出せなくなっていた。蘭に対しては、ただ頷いて返答した。


「なんか原理的に無理だとか聞いたな」


 蘭の説明を促すように、愛夢が口を挟む。


「うん。たしか、脳内のマナの構造の問題なんだよね。

 脳って記憶や意識、内臓の調整も行ってるから、変身するときは脳も変形させきゃいけないんだけど、マナも脳にあるから、マナを維持したまま脳を変形させることが不可能なんだとか聞いた。

 でも、『擬態』が出来るバグのマナは心臓の一部にあるから、脳も変身することができるんだって」


 蘭が難しそうな顔をしながら言った。これは彼女も理解しきっていないようだ。


「そして、『狼狂』は脳もマナごと変身しちゃうんだって。理性がないのはそのせいらしいの。

 姿を変えて怒り狂う。伝承のウェアウルフやバーサーカーのような特徴から、『狼狂』ってつけられたんだろうね」


 以前、初果に体を調べられたとき、脳ごと変化していると言われた。その異常性は、『狼狂』に類似していることになる。聖は息を飲んだ。


「……でも、この『狼狂』については、実は魔女にも先例があるんだ」

「え?」


 それなら、『変身』がバグ特有であることは否定されるのではないだろうか。蘭は怪談でもするかのように、距離を縮めて低い声で言う。


「魔女が狼狂するとどうなると思う?

 ……魔女を超越したマナと、猛獣タイプのバグクラスの身体能力を持つ怪物になるの。魔女の手にも負えなくて、過去に現れたときには、多くの魔女や一般人が亡くなる大事件になった」


 蘭の語りは、聖にはその意図以上に恐ろしく響いた。

 他人事ではない。自分もそれと近い存在かもしれない。それは過去の出来事というより、これから起こる事件のように聞こえた。


「でも、の」

「……どうして?」

「狼狂した時点で、その魔女はバグになったからだよ」


 狼狂した魔女は魔女ではなくなるから、魔女に『変身』のバリアントは存在しない。そこにはパラドックスが生まれていた。


「昔の話だぞ」

「ははは。それから今の今まで全く現れないから、実際に起こった話かどうかも疑わしいんだよね。

 でも、人が化け物に変身するほうが、『狼狂』のイメージに合うし、案外こっちが先じゃないかって思っちゃわない?」


 蘭は悪戯が成功したような顔で笑う。聖も笑うが、自身が上手く笑えているかはわからない。


 変身できる魔女は存在しない。狼狂してしまった魔女は、その時点でバグとなる。

 聖は、魔女とバグ、どちらに近い存在なのだろうか。『変身』がバグ特有のバリアントであることは、聖の本質的なものをさらに揺るがしたのだった。

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