第五章 擬態
第23話 擬態①
「もう、昨日はびっくりしたよ。すぐに戻ったのに、聖が居なくなってたんだもん」
「ご、ごめん」
登校途中、聖は蘭からの苦情に頭が上がらなかった。
蘭が愚痴るのは無理もなかった。昨日、聖が寝てしまった後、彼女は愛夢の部屋へ向かった。そこでアルバムを見せているうちに、もっと色々な写真を見せたくなり、愛夢を自室へと招いたのだそうだ。
しかし、帰ってみると聖がおらず、アルバムどころではなくなり、探しに出てくれたらしい。
「しっかり寝てたし、さらわれたのかと思った。とりあえず、起き抜けはおとなしくしててよね」
「うん。ごめんなさい」
蘭には、無意識に外に出ていたとは言わなかった。余計な心配をかけると思ったからだ。
昨夜、外に居た理由はわからないままだった。『夢遊病』というものだろうか。
アイビスにやってくる道中でも、起きた場所に違和感を持つことは何度かあった。
ただ、知らないところを移動しているときに突然寝てしまうため、単にいつどこで寝たか覚えてないだけかと思い、あまり気にしていなかった。
今回は、明らかに睡眠中に移動している。寝る直前の居場所がはっきりしているため、そこは疑う余地がない。
もちろん、連れ出された可能性もあるが、かなり低いだろう。聖が中で寝ていることを知っているのは、同室の蘭と、一緒にいた愛夢だけなのだ。二人が連れ出したのなら、二人が心配して探してくれる理由などない。他の誰かというのも検討がつかなかった。
しかし、短い時間だったし、怪我をしたわけでもないので、そこまで気にしないほうがいいだろう。
また今度、綾音と初果に相談してみよう。彼女たちなら、何かわかるかもしれない。そして、また綾音と話せると思うと、楽しみができたような気持ちにすらなれる。綾音は忙しい人だから。
同じ制服の生徒が南塔に向かい、一定の人の流れができていた。そうすると、その波に反発する人が目立ってしまう。
聖たちの方向へ歩く人影が二つ。琥珀とカレンだった。
「あれ? どうしたんだろう」
「ん? ちょっと! 琥珀ー!」
蘭が琥珀を呼び止める。琥珀とカレンは顔を見合わせてから、聖たちのほうへやって来た。
「なんですか?」
「なんですか、じゃないわよ。どこへ行くのよ?」
「決まっています。バグの討伐に向かいます」
琥珀がさも当たり前のように言った。その表情からは、もっと質問してこい、という雰囲気が醸し出されていた。
「なに? なんか見つかったの?」
「これから私が見つけます」
「はあ?」
思わぬ返答に、蘭が呆れる。その顔のままカレンを見て、詳しい説明を求めた。
「……琥珀は自信があるそうじゃ」
「あるそうじゃって、よく付き合う気になったわね?」
「勉強よりバグを探すほうが楽じゃからな」
カレンは、酷い理由を真剣な顔で言う。蘭は右手で頭を抱えた。
「……えっと、どうして見つけられると思ったの?」
見かねた聖が改めて尋ねる。琥珀はニヤッと笑った。
「我々は、バグをすでに見ているんです」
「……どういうこと?」
言葉足らずな返答にも負けずに、聖は詳細を求める。
「そろそろちゃんと説明してやれ」
カレンが呆れたように言った。蘭も渋い顔をして琥珀をにらんでいる。
「仕方ないですね。まず、ナハトがこちらにやって来ていたの知っていますね? しかし、アイビス目前まで来たところで、急に事件が起きなくなり、消息を絶ちました」
「それは知ってるよ」
蘭がそう返すが、琥珀は表情を変えない。
「最も接近したはずの日、私たちは妙な生物と対面しています。蘭さんはその場に居たはずです」
「接近したはずの日って……まさか、あの子どものこと?」
蘭の口から出た名詞に、聖は驚く。それは、あの日の自分のことだった。あの日、バグも近くに居ると推定されていたのだ。
「そうです」
「ひょっとして、あの時に言ってたように、あの子がバグだって言いたいんじゃ……」
「その通りです」
蘭はため息をついた。その姿に、聖は苦笑いしながらも、少し安心した。
「綾音さんが言ってたことを聞いてなかったの? バグがあれだけコミュニケーションをとれるわけないじゃん」
「その考え方が甘いんですよ」
今度は、琥珀が呆れるように言った。
「バグは常に進化しています。会話ができればバグじゃない、なんて決めつけるのは危険な行為です。
近くにいるはずなのにここまで見つからないのは、間違いなく何かに『擬態』しています。ここ最近、事件が起きないことも含め、バグの知能の向上も疑わなければなりません。
この前、街に現れたバグを見てもわかるように、狼狂、変身について、今までの研究とは違う生態が明らかになっています。
巧妙に人間に擬態するバグが居てもおかしくはないですし、これまで見つかっていないことも含めると、そっちのほうが現実的とすら思えます」
思いの外、しっかりとした説明が返ってきたため、聖と蘭はあっけにとられてしまう。
そして、今、聖が少女の姿をしていることも、ある意味擬態と言える行為だった。
だから、見つからないのは人に化けているからだ、というのは説得力があった。
「それに、子どもが特区に侵入した日は、結界のエラーなんてなかったんです。あの子どもはマナを持っています」
「え、本当?」
「確認したので間違いありません」
蘭は真剣な表情で手を口元にやる。蘭も少年がバグだと疑い始めている。しかし、聖は少女の姿でここに居るのだ。違うと確信が持てる。それなのに、何も言えないのがもどかしかった。
「それであの子の写真を欲しがったわけね」
「ええ。あの場に蘭さんが居てくれて良かったです」
そう言って、携帯電話の画面を見せる。そこには、少年形態の聖の姿があった。あの日、蘭に撮られた写真だった。
「……仮にそうだとして、あの男の子を見つけられるあてはあるの?」
「昨夜、短い時間ながらバグと思われるマナを検知したそうです。ナハトの可能性が高いでしょう。探すなら今ですよ」
そうだった。昨夜、寮に戻ったあと、近辺でバグを検知したという連絡があった。
愛夢が急いで現場に向かったようだが、すでにバグは居らず、事件も起こってなかった。
「昨日のあれは、誤検知じゃないかって言われてるわよ?」
「私の推理どおりの知能を持つバグだとしたら、魔女の気配を察して身を隠したと考えるべきでしょう」
「だとしても、今までどおり見つけるのは難しいでしょ」
「そのためのカレンさんです」
琥珀は、カレンの両肩に手をやる。こうすると、カレンがより幼く見える。
「カレンをどうするの?」
「私には多くの生徒を動かす権限はありませんから、一人人海戦術を活用します」
琥珀の言葉に、聖はクエスチョンマークを浮かべながら蘭を見た。すると、蘭はすぐにわかってくれたようで、説明してくれる。
「カレンのバリアントは『分身』なの。たくさんのカレンが同時に行動して、意識も共有することができる。北塔のリーダーだけあって、なかなか大した力なのよ」
「そうなんだ」
「で、大量生産されたカレンを使って、徹底的に探し回るってわけね」
「大量生産言うな。ロボちゃうわ」
カレンがツッコミを入れると、蘭は悪戯っぽく笑った。
「……とにかく、今近くに居る可能性は高いと思われます。擬態しているときの姿さえ押さえておけば、きっと見つけられるはずです」
どうやら、琥珀は本当に探しに行くらしい。取り越し苦労になる前に、止めてあげないと。
そう思うものの、止める手段が聖には思い浮かばなかった。下手をすると、また琥珀を怒らせてしまう。
「綾音さんに言ったほうがいいんじゃ……?」
「そうだ、綾音さんには言ったの?」
聖の小さな声を、蘭は拡声器の役割で代弁してくれた。しかし、琥珀がにらんだ相手は聖だった。
「……必要ありません。南塔には届けを出しましたし、それで問題ないでしょう」
「心配するでしょ。一応言っといたら?」
「あの人に言うと、手柄を奪われかねませんから」
琥珀はすねた感じに言う。まだこの前のことを根に持っているらしい。
「手柄とか気にする人じゃないでしょうに」
「なんでも自分でやり過ぎなんですよ、あの人は。綾音さんには後ろでドンと構えていてもらわないと。今回は私がバグの首を持ち帰りますよ」
「そんな戦国時代みたいな……」
子どもの生首でも持ってきたらどうしよう。琥珀ならやりかねない。
これは止められそうにない。似たような顔の少年がいないことを祈るのみだった。
「それでは、私たちは行ってきます」
「なんか面倒な役目を引き受けた気がする……」
「ふふ、期待してますよ。カレンさん」
二人は去っていく。その後ろ姿に、聖は胸騒ぎを覚えた。
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