第19話 目覚め②

 屋島中尉とのミーティングが終わると、塔の地下へと向かう。今度は初果と話すためだ。

 扉を開くと、初果はパソコンと向きあっていた。表情からも、真面目に仕事をしている様子だった。


「初果、お疲れさま」

「綾音か」


 そう言って、チョコレートを一粒口に入れる。初果は脳のための糖分補給と言うが、明らかに過剰だった。


「一ついい?」

「どうぞ」


 許可を得てから、綾音はチョコレートを口に放り込んだ。甘い味が口いっぱいに広がる。上等なものではないが、懐かしい甘みが心を癒す。


「お疲れか?」

「さっきまで屋島中尉と話してたから。軽い連絡だけど、まだちょっと緊張するんだよね」

「屋島皐月か。あいつなら多少の無礼には動じないだろうに」

「そんな訳にはいかないよ。お母さんの面子もあるんだから」


 初果は機関の人が相手でも容赦がない。まあ、こんな風に言えるのも、アイビスでは初果だけだろう。


「機関は来るのか?」

「ううん。捜索が難しいだけで、バグ自体は学生でも対処できるって判断」

「やはりそうか」


 話しながら、初果はまたチョコを口に入れる。


「最近は被害もないしね」

「そうだな。ここ一週間は被害がない。

 ――それこそ、美倉聖がここに来てからは、何も起こっていない」


 ふい打ちだった。綾音は目を伏せる。


「最近、美倉聖の様子はどうだ?」

「普通だよ。南塔のみんなともなじんでる。街にバグが現れたときも、立派に自分の役割を果たしてた」


 聖がアイビスに来て一週間が過ぎた。あれから、綾音は何度も聖と顔をあわせている。


 蘭や愛夢の助力もあり、順調に魔女として成長している。マナの大きさによって、琥珀に目をつけられているという話も聞いた。すっかり、アイビスでの日常ができあがっているようだった。


「怪しい動きはないか?」

「ないよ。私と話すときはちょっと緊張気味だけど、それは私が最初に怖がらせちゃったからだと思うし」


 綾音が言うと、初果は、どこか呆れるような表情をする。


「……まあ、綾音のことはいいか」


 そう言って、口元を緩める。綾音は口をとがらせ、何が言いたいのか問おうとした。

 しかし、初果が真面目な表情でこちらを向くと、剣を鞘に納めるしかなかった。


「美倉聖が来てからの一週間、事件がなかった。このことで、あいつがナハト事件と関係していると決めつける気はない。あくまでも、バグの事件だからな。

 それでも、あまり情を移すな」


 初果は、親が子どもに教えるみたいな顔をして言った。


「……どうして?」

「危険な存在であることに、変わりはないからだ。美倉聖のバリアントは、世界を動かすことのできるものだ」


 初果の言うとおりだ。綾音も気づいていないわけではないが、聖が積極的に使おうとしている風には見えなかったから、意識しないようにしていた。


 あれから、軽く実験をしたが、聖は人の肌に手を触れるだけでその人物に変身することができる。たったそれだけのことで、その人の秘密が丸裸になるのだ。

 幸い、聖はそれを積極的に使おうとはせず、むしろ使いたがらなかった。そういう性格だから、警戒する気にならないのだ。


「うん。でも、だからこそ身近に居てもらわないと」

「つまり、監視対象だということだ。何かあったとき、切り捨てることになるかもしれない。君にそれができるか?」

「切り捨てる……」


 そんなことがあるのだろうか。綾音は、聖にマナ収束装置を向けた感覚と、その時の鈍く重い胸の痛みを思い出した。


「美倉聖が何者なのか、美倉聖自身にもわからない。あんなに特殊な力を持っているのだから、あいつがノルンに関わる存在であることも否定できない。

 もしそうなら、すでに私たちの首に切っ先を突きつけられてるようなものだ」


 初果は表情を変えずに続ける。「私たち」と言ったが、本当に危ういのは初果のほうだ。

 しかし、初果に動揺する様子はなかった。やはり、彼女は成熟した大人なのだ。


 綾音は違う。聖がノルンに関わっている仮定と、聖を切り捨てる仮定の両方が恐ろしくて、まともに返答もできなかった。


「……まあ、ノルンの線は薄いだろう。あんなのを失ったら、血眼になって探すだろうからな。ただ、それほどの存在をアイビスに留めてるということは、肝に命じておくべきだと思う」

「そう、だね……」


 言い切ると、初果はまたモニターに体を向け、キーボードを操作し始めた。

 綾音は気を落としながら、何気なくモニターを覗いた。そこには、機関のデータベースが開かれていた。もちろん、一般には公開されていない。

 初果の集めている情報には、共通点があった。その文字列に、綾音は驚きを隠せなかった。


「……『ヒトガタ』?」

「……可能性の問題だ。我々は、ヒトガタについて知らなさすぎるからな」


 初果の目には、もっと恐ろしい可能性が見えていた。綾音は、ごくりと唾を飲み込み、初果と一緒にそれを凝視した。

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