第四章 目覚め
第18話 目覚め①
綾音が暮らしているのは、東塔にほど近い学生寮だった。周りからの配慮もあって一人部屋になったものの、寝るとき以外、ここに居ることはほとんどなかった。
だから、中は殺風景だった。ベッドや机など、必要なもの以外は置いていない。女子の部屋にしては、いささか寂しい状態だ。
姿見の鏡の前に立ち、身だしなみを整える。この鏡は初果から貰ったものだ。
「君は人に見られる立場なんだから、しっかり自分でも確認しといたほうがいい」
その忠告通りに、綾音は自分の全身をチェックする。
小さな身体と赤みを帯びた癖毛は、綾音のコンプレックスだ。
だが、それを他人に話したことはない。それは、妙な部分で弱みを見せるのが嫌だからだ。
東塔の制服は、それなりに気に入っている。以前は動きづらそうな服装だと思っていたが、案外そんなことはない。伸縮性に優れ、それでいて丈夫な生地で作られている制服は、バグとの戦闘についてよく考えられていた。
ただ、スカートだけは邪魔だった。ヒラヒラとして、動くと気になる。下のレギンスも同じ素材だけに、少しの防御力と引き換えに、機動力を削いでいるように感じるのだ。
しかし、これがあるからこそ、世間に女子高生として存在することを許されているような気もする。特区の魔女と普通の女子高生との壁を薄くするのが、このスカートの役割なのかもしれない。
軽く身だしなみを整え、東塔へ向かう。今日は授業はないが、何かとやることがあった。
東塔内に、生徒はほとんど居なかった。今はバグの捜索を交代で行っているため、それに出ているか、あるいは、休日を過ごしているかのどちらかだろう。綾音も本来は休みだった。
今日はまず、機関の人と、一対一でミーティングをすることになっている。通信室の一角で準備をし、時間になるのを待った。
間もなく、ミーティングは始まった。二週間に一度ほどの会議だが、東塔に配属されてから始まったものなので、綾音はまだ慣れていない。
画面に現れたのは、
「真藤くん、先日はご苦労だった」
労いは、脱走して街に現れたバグについてだ。
「いえ、みんなががんばってくれましたから」
「まさか狼狂するとは思っていなかった。前例のない形だった、と言えば言い訳になってしまうな。すまなかった」
「いえ」
屋島中尉は、真剣な表情で謝罪する。真面目で堅い人物だけに、機関の不始末を恥じているのだろう。
屋島中尉に非がなければ、前例がないことも知っているため、綾音も責めるつもりなど毛頭なかった。
「狼狂は戦闘時に限る、という考えを改める必要があるな。これからは、輸送にも護衛を割くか」
「そうですね」
『狼狂』とは、バグが変態すること、すなわち姿を変えてパワーアップすることだ。
それは、以前は『火事場の馬鹿力』のようなものだと思われていた。つまり、戦闘中に命の危機を感じると力に目覚めるのだ。
最近では研究が進み、『マナの共鳴』という説が有力になっていた。それは、撃退しようとする魔女のマナに反応し、別の姿を生み出すというものだ。
魔女ならみんなそのことを知っている。だから、今回の事件は機関でも問題になっているらしい。
「ところで、ナハト事件について進展はあるかい?」
「……いえ、まだ何も有力な手がかりは掴んでいません」
なぜか、綾音は嘘をついているような気持ちになり、小さな罪悪感をおぼえた。
「そうか。今回のは厄介だな。まだ、誰一人として姿を見ていないのに、人だけが死んでいる。
ここまで巧妙に姿を隠せるバグなんて、今までいなかった」
「そうですね」
屋島中尉の言う通り、過去に例のないバグだ。そのため、捜索が難航している。
「しかし、まだ被害者が少ない。アイビスに近づいてから止まったことも含めて、大したバグじゃないと見ている。しばらくは
、機関が動くこともなさそうだ。悪いが、アイビスで対処してくれ」
「はい。もとよりそのつもりです」
「ふふ、そうか。期待しているよ」
アイビスは、国内でも有数の特区だ。機関の上層部にも、アイビス出身が数人いる。そのため、信用して任せてもらえるのだ。
「バグの本能から、まだアイビス付近にいる可能性が高いな」
「そう思います。今は厳戒体制であたっています」
「そうか。それが取り越し苦労になるといいな。
まあ、真藤くんが手を抜くとは思ってないさ。将来の幹部なんだから」
屋島中尉は、ニヤッと口角を上げる。綾音としては、少し困る言い回しだった。
「……母は変わらずにやっていますか?」
「ああ。もう厳しくて困っているさ。大隊長ともなると、実戦が少なくなるからか、ストレスが溜まっているみたいだな」
「すみません」
「いや、大隊長はああじゃなくちゃな。空気が引き締まる感じが良い。私にはあれが合ってるのさ」
綾音の母は、機関のバグ対策部隊の大隊長を務めている。尊敬する母だ。
今の綾音の立場も、母があってこそだろう。それは、綾音にとって重圧であり、自信でもあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます