第17話 バグとの対峙⑧

「終わりましたー」


 少し経つと蘭が帰ってきた。後ろにはもう一人、制服を着た小さな女の子が立っていた。彼女は、さっき綾音と共闘していた魔女だ。


 背は愛夢と変わらないくらいに低く、長い髪をツインテールにしていて、それがより幼さを演出している。

 そんな彼女だが、なぜか左腕をぶらんと下げて、蘭をにらみつけていた。


「えっと、カレンさんは治ってないの?」

「……うん」

「いやあ、せっかくだから、聖に私のバリアントを見せとこうかなって。ちょうど良いところに、腕の骨が折れたロリっ娘が居たから、連れて来ちゃいましたー!」

「誰がロリっ娘じゃ!!」


 そんな理由で治療を後回しにするとは。聖のほうが申し訳ない気持ちになってしまう。


「えっと……そうそう。聖くん、こちらがカレンさん。北塔のリーダーなの。カレンさん、この子が南塔の転入生の聖さん」


 困りながらも、綾音は二人を紹介してくれた。律儀だとは思いながらも、先にカレンの治療のほうを進めてやって欲しいのが本音である。


「は、はじめまして。美倉聖です」

瀬川せがわカレンじゃ。よろしく頼む」


 カレンは、腕をぶらーんとしたまま軽く会釈する。何かを訴えかけるような目で見てくるが、期待に沿える返しなど、聖は持ち合わせていなかった。


「カレンはね、こんなに小さいのにお年寄りみたいな嗜好を持ってるから、ロリババアなんて言われてるの」

「ロリババア言うな! ってかそろそろ治してくれ! この子は、腕をぷらんぷらんさせたうちの姿しか見てないんじゃぞ! これが原形みたいに思われるじゃろ!」


 うち、は彼女の一人称らしい。怒っているというより、ツッコミをしているように見えるのは、彼女の雰囲気から来るものだろうか。


「だって、こんな面白い姿、みんなに見せたいって思うじゃない! なんで固定もせずにプラプラさせて、よう蘭、とか言うのよ! 絶対、私を笑わせるためにやってたでしょ!?」


 つまり、聖にバリアントを見せたいのではなく、腕をぶら下げながら普通にしているカレンが面白くて連れて来たわけだ。しかし、初対面でこれは笑えない。名誉の負傷なわけだし。


 蘭としては、すぐに治せるから冗談にできるということか。あるいは、カレンもそういう認識だったのかもしれない。


「よし。じゃあ聖、見ててね」


 蘭がカレンの左腕に触れる。すると、蘭の瞳が赤くなった。中心部にかけて濃くなる赤い瞳。しばらく心を奪われるように見ていると、瞬時に元の黒い瞳に戻った。どうやら終わったらしい。聖は目ばかり見てしまった。


「これでオッケー!」

「ああ、やっと治ったー」


 カレンが左腕をぐるぐると回す。見事に完治したようだ。蘭は満足そうに微笑んでいる。


「バリアントって、疲れるの?」

「疲れる」


 即答だ。何の疲労もないように見えたから質問した聖だったが、思わぬ返答にたじろいだ。


「でもまあ、骨折なら楽かな。酷い怪我なら、治すのに苦労するよ。出血が激しいと、輸血がないと厳しいしね」

「そうなんだ」


 血の不足までは補えないらしい。それでも、良いバリアントだ。純粋に人を救うための能力は、うらやましいとさえ思った。


「蘭さん、お疲れさま。助かったよ」

「いえいえ! 綾音さんもお仕事お疲れさま!」

「ありがとう」


 綾音に感謝されて、蘭は嬉しそうだ。その姿もうらやましい。聖に小さな嫉妬心が生まれていた。

 ふと、カレンが聖をじっと見ていることに気づく。


「あの、顔に何かついてるかな?」

「うち、あんたと会ったことあったっけ?」

「「ええっっっっ!?」」


 蘭と愛夢が声をあげて近寄る。二人に押されたものの、聖も驚いていた。


「な、なんじゃ?」

「聖は記憶喪失なんだよ!」

「カレン、思い出せ! どこで会ったんだ!?」


 二人がカレンに詰め寄る。カレンは見るからに困っていた。


「聖くんは、自分のことを名前しか知らないの。帰る家もわからないんだ。

 カレンさん、聖くんと会ったのがいつごろか、覚えてない?」


 綾音が状況を整理して伝えてくれた。蘭と愛夢は、うんうんと頷く。

 カレンは、腕を組んで渋い表情を浮かべる。


「聖くんは、カレンさんと会ったことを覚えてないんだよね?」

「う、うん……」


 そうだとしたら、記憶を失う前ということになる。蘭と愛夢は期待を込めてカレンを見つめている。


「結構、最近じゃったような……」


 カレンは携帯電話を取り出すと、首をひねりながら指を動かしていく。


「そうそう、ちょうどこの写真を撮った日じゃ!」


 そう言って、携帯電話の画面を見せる。そこには、カレンの自撮り画像が写っていた。後ろには朱塗りの立派な門と石段がある。


「この写真、なんか変だな」


 愛夢が言う。確かに、画像には気になる点が多い。背景を写すためにカレンが近くにいるのだが、カレンの明るい表情とは裏腹に、後ろでは色々妙な現象が起こっているのだ。


「この子、今にも石段から転げ落ちそうね」

「愛夢は、この天狗の面をつけたふんどし姿のおっさんが気になるぞ」

「カラスがすごくいっぱい飛んでるね……」

「そんな細かい発見はどうでもいいじゃろ! せっかくの写真なのに!」


 綾音まで参加して、写真の違和感を言い合う。なんというか、情報量の多い写真であり、みんなそれに気が削がれたのだ。


「聖、カレンって子はこういう意味わかんないことを呼び起こす人なのよ」

「カレンのネタ人間っぷりには感動すら覚えるぞ」

「ほっとけ! 初見の人に妙な印象を植え付けるな!」


 カレンが両手をブンブン振りながら怒る。二人がこの人をおちょくる理由がよくわかった。


「ここは何してたときなの?」


 逸れた話を戻してくれたのは、やはり綾音だった。


「これは迷子になったときじゃ」

「ま、また迷子になってたの?」


 綾音が呆れるように言う。また、ということはよくあることなのだろう。


「魔法を使って昼間に移動したのはいいが、暗くなると道がわからなくなって、電車で帰ることにしたんじゃ」

「いつものパターンじゃない」

「学べよ」


 カレンに対して、蘭と愛夢は辛辣だ。これがこの三人のいつも通りなのかもしれないが、尋ねている身としては心配になる。


 カレンは、気を悪くすることなく話を続ける。


「でも、めっちゃ最近じゃぞ。確か、三日前じゃ」

「三日前……」

「それなら、聖くんがもう今の意識が目覚めてることになるね……」


 しかし、聖は全く覚えがなかった。わずかな記憶なのに、それすら覚えていないなんて考えられない。でも、カレンが間違っているとも思えなかった。


「じゃあ、ぼくが会ったことを忘れちゃってただけだね。ごめん」

「うーん、ただ、今のあんたとは雰囲気が違ってた気もする。だから、うちも微妙に自信がないんじゃ」

「なんじゃそりゃ。それなら、結局何もわかんないじゃん」


 蘭と愛夢は、残念そうに肩を落とした。綾音は、何か考え込んでいる。ひょっとしたら、聖と同じことを考えているのかもしれない。


 雰囲気が違う聖を見たというカレン。聖のバリアント『変身』を持ってすれば、それはあり得ないことではない。


 もし、今の聖と同じ姿の人間が居るのなら、間違いなく、こちらが偽者だった。

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