第9話 模造変身⑦
元々、なし崩し的にここに来たのは、身の潔白を証明したかったからだ。
しかし、それどころではなくなっていた。こうなったら、今の情報だけで、二人に裁いてもらうほかなかった。
「そのことなんだけど、聖くんは、自分の記憶を探すために、ここまでやって来たの?」
聖は、記憶を持っていないことが不安で、魔法が唯一のヒントだと思い、アイビスへやって来た。しかし、それ自体が目的かというと、そうでもなかった。
「アイビスに来たのは、魔法が何かヒントになると思ったからだよ。
ただ、自分のやるべきことがわからなくて歩いていたら、偶然アイビスが近くにあっただけで、最初からここを目指してたわけではない」
「じゃあ、この後どこへ行くのかも、何をするのかも考えてなかったんだ?」
「うん……」
記憶を探す、なんて途方もないことだった。ずっとそれを続けられるとは思っていない。
ただ、それ以外にすることがなくて、何をするべきかを探し、結果的にアイビスにやって来たのだった。
「それなら、しばらくアイビスに住まない? 実は最近、近くで正体不明のバグの事件があって、ちょっと物騒なの。
もう少し色々と調べたいし、聖くんも魔法の使い方を知っておいたほうがいいと思うから、他の魔女と一緒にアイビスに所属したらどうかな?」
綾音はそう提案してくれる。聖としては願ってもないことだった。
「居ていいの?」
「うん。許可は簡単に取れると思うよ」
綾音の笑顔は、まるで女神さまのようだった。彼女が教祖をしているのなら、間違いなく入信していたことだろう。
「じゃあ……アイビスに居たい。でも、何も持ってないんだけど、大丈夫なのかな?」
聖は、親類もわからなければ、お金も持っていない。そんな身元のわからない怪しい人間を、受け入れてくれるものなのだろうか。
「魔法を学ぶことにお金はいらないし、手当も支給されるの。
ただ、バグが出ると駆除しに出なきゃならない。魔女は、バグを全て駆逐することが使命だからね。手当は労働の対価だと思っていいよ」
そういうシステムになっているのか。お金についても問題なさそうだ。
「それに、マナの大きな魔女は、大抵のことは多目に見られると思う。こんな魔女を放っておくのは大きな損失だからね」
綾音は、そう言ってにっこりと微笑んだ。
「それじゃあ……よろしくお願いします」
「うん、よろしく。何か思い出すといいね」
初めて触れた人の暖かさ。綾音は、何もない自分に手を差し伸べてくれた。
この人だけには迷惑をかけないように、そして少しでも役に立てるようになりたい。聖は、意識が芽生えてから初めて明確な意志を持った。
その瞬間、急に力が抜けてしまった。
◇◆◇
「聖くん!?」
糸が切れたように、聖が倒れてしまった。綾音は慌てて駆け寄り、その体を支えた。
「大丈夫? 聖くん……?」
すーっという安らかな寝息が聞こえる。どうやら、単に眠ってしまっただけのようだ。
「疲れちゃったのかな?」
「定住場所が決まって、安心したのかもしれないな。そこで寝かせとこう」
初果の手を借り、断層撮影に使った台の上に聖を寝かせた。そこには、小学生くらいの子どもが、ただ無邪気な顔をして眠っている。
「ふふっ。寝顔、かわいい」
「綾音は子どもが好きだな。この姿が美倉聖の本当の姿だというのも、単に君の願望だろう? 知能レベルも、このくらいの子どもとは思えなかった」
「えー。私はこっちな気がするんだけどなぁ」
見た目と知能レベルが合っていないのは、初果も一緒だ。こんな少女に調べられて、聖も困惑したことだろう。
「今のうちに身元をでっちあげておくか」
「そうだね」
でっちあげる。悪い言い方である。
しかし、これはその印象通りの行為だった。聖の身元がわからない以上、捏造するしかないのだ。
真面目な綾音だったが、こういうことに罪悪感なんてなかった。むしろ、聖をこのまま放浪者にするほうが罪深いと思っていたのだ。
「びわ湖のほうからとか言ってたな。じゃあ出身もその辺りでいいか」
「そうだね」
初果、はコンピュータにデータを入力していく。名前だけは彼の自己申告通りにし、生年月日などは全て適当だった。綾音は、それを後ろで見ていた
不意に、彼女の手が止まった。
「……こいつ、びわ湖からここまで歩いて来たんだったな」
「うん。そうみたい」
初果は、眉間にシワを寄せる。何か考え込むと、いつもこの表情になるのだ。
初果が再び手を動かすと、ディスプレイの画面が切り替わった。そこに出てきたのは地図だった。
「例のバグ……ナハトだったか」
初果がボソッと言う。正体不明のバグには、便宜的に『ナハト』という名がつけられている。由来は、夜に限定して活動した形跡が残っているからだそうだ。
「うん」
「そいつの事件も湖の近くが最初だったな。そして、昨日は市内だった」
「そうだね」
地図には事件のあった場所がマークされていた。それは、確かに湖からこちらまで南下していた。
「今日にはこの近くに来るだろうという想定だった。何日かけて歩いて来たのかはわからないが、これは偶然か?」
初果の言葉に、綾音は口元に手をあて、聖の移動推移について考え始める。たしか、聖は五日前に意識が芽生えたはずだ。
最初の事件もちょうど五日前。この時点で、たしかに聖は事件のあった場所の近くにいたはずだった。
「まさか……バグに変身するって言うの? でも、びわ湖からは記憶があるんだよ? 彼がそんなことをするとも、それを隠せるとも思えない」
「私もこの子を疑うつもりはない」
初果は、椅子を回転させて、綾音のほうを向いた。いつもの無表情だが、その奥にある感情が綾音にはわかる。それは心配だった。
「この子の『バリアント』を疑っているんだ。綾音もそれは肝に命じておいたほうがいい」
「…………」
綾音は聖の安らかな寝顔を見ながら、初果の言葉に一抹の不安を覚えた。
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