第7話 一体、いつから?

前話で少し触れた部分の続きを話そう。

私がうつ病と診断されたのは23歳の時だ。

しかし初診のカウンセリングを受けた際に疑問が浮かんだ。というか、実際医師も言葉にはしないにしろ同じことを思っている様子が伺えてほぼ確信に変わった。

私は23歳よりずっと昔から…学生時代から何らかの精神病に罹っていたのだ。

その時期を探るため、私という人間がどういう性質なのか…時を追いながらお話していこうと思う。



幼少期。

物心ついた頃から、大人しい子供であったと思う。

それは決して手がかからないという意味ではなく、感情表現に乏しいという事でもない。

寧ろ長子かつ長女、1番目の子供という意味でも両親には並々ならぬ苦労をさせた人間である。

赤子の時から人見知りな性格で、母親以外が抱っこしようものなら大泣き。おまけに体もたいそう貧弱だったらしく、生まれて直ぐにインフルエンザに感染し死にかけたこともあるらしい。

しかし両親の血の滲むような苦労も含めて、たくさんの愛情を受けながら健やかに育った。

3歳になり、幼稚園に通うことになった。

初めての登園日では行きたくないと泣き喚き、母親と離れてからも暫くは体力が尽きるまで泣いていた。あまり活発な方ではなく、休み時間はみんなが元気に園庭へ飛び出していく中…ひとり教室に残って絵を描いたり外を眺めたりしているような園児だった。可愛げのかの字も無い。この頃から外は苦手で室内に居たがる性質だった事が伺える。

それでも暫くすると園内に友達が出来、その友達に連れられて外で遊ぶことを覚えた。砂場で山を作り泥団子を作り…楽しかった記憶があるので、きっと嫌々やっていた訳ではなかったのだろう。

年中、年長と進む中で既に自分はいじめられやすい対象である事を把握していた。

単純にこの頃から体が平均よりもずっと小さかったのだ。それに加えて気は弱く、泣き虫だった。

同じクラスの男の子や、仲良くなった隣のクラスの友達…の友達が出てきて突き飛ばされたこともあった。語ればキリがない。

まあ色々あったが無事に卒園を迎え、大きくなったねと送り出された。この頃までが1番平和だったかもしれない。


この世に生まれ落ちて早7年。

今度は小学校に通わねばならないらしい。

しかも場所が家から2キロほど離れた場所にある為かなり歩かなければならず、それも6年間しんどいと感じた。 一方私はと言うと、それなりに健康に成長していた。ただ基本的に少しぽやぽやしている子供だったと思う。周りの子供達の自我の強さに気圧されることが多く面倒だった。

誰が誰と仲良くしようが、そうじゃなかろうがどうでもいい。私は私の仲良くしたい子と一緒に居た。

しかし何時からだろうか。私は除け者にされ始めた。表立って意地悪されることは無かったが、特定の誰かと特別仲がいいというわけでも無かった。

友達曰く、私はつまらない人間らしい。

他の子といる方が楽しかったのだろう。私ははっきり強い意見をあまり持たないので、それが気に入らなかったのか。何にせよ、私の周りから友達は少しずつ離れていった。

そうすると次は何が起こるか。クラスで少しだけ問題がある子…私と同じハブられた子が、私に声を掛けてくるようになった。一人でいるのが怖いのだろう。たとえ私のような人間でも居ないよりは、という考えのようだ。

最初のうちはよかった。一緒に遊ぼうと言われ2人で校庭で遊んだ。あまり記憶にはないが、色々喋ったりもしたんだろう。しかしそれも毎度長くは続かない。やはり私がつまらない人間だからだろうか…向こうから寄ってきたのに、やっぱりいいやと言わんばかりに去っていくのだ。酷い話だ。

それでも私はどうでもよかった。他人への興味が元より薄かったのかもしれない。行くなら行けばいい…そんな無関心な心を、子供ながらに理解されていたのかもしれないとも思う。

いつも特定の誰かと一緒にいる訳では無い私は、高学年になると一気にいじめの標的にされた。

学校に行くのが辛くなり、正直行きたくなかったが、私の親はそんなに甘いほうでは無いので熱が出ない限りは休ませて貰えなかった。

いじめは卒業まで続いた。最後の最後の方までしっかりいじめられた。終わってしまえばこんなものか、というおおよそ小学生6年生とは思えない達観した感想と共に学校をあとにした。

友達と抱き合うことも無く、泣くことも感動もなく。


この世に生を受けて早13年。

自分はもうかなり頑張ったと思っていたが、義務教育というものはあと3年間残っているらしく、今度通うのは中学校。距離は小学校と変わらず2キロほど。遠いわ! 重たい荷物を抱えて3年間通いきったのは本当に偉いと思う。マジで。

さて、散々な人間関係だった小学校だが…なんと中学校も大して変わらない状況だった。

友達と称して近づいてきては飽きて他へ行く。

それだけならまだいいが、あいつはキモイだのおかしいだの悪評を振りまくものだから堪ったものではない。ちなみに私は、友達に対して嫌なことをしたり言ったりした覚えはないし、全面的に色々な話を聞いてあげたり合わせてあげてこれである。

最早意味がわからなかった。でもそんな調子だったのでゆるくいじめられていた。小学校の時程では無いが友達はとにかく少なかった。裏を返せば本当に仲のいい一生ものの友達も数人できたのだが、それを知るのはまだ先の話。

1番最悪だったのは私がいた部活に途中から入ってきた子だった。

その女子は私と同じ学年だった。

1年生の時はクラスが違ったので部活の時だけ関わっていたが、そこそこ仲が良かった。

問題は2年生になってからだった。

その子と同じクラスになったのだ。今の時点では何が問題か分からないだろう。しかしすぐに事態は悪転する。その子は前から不登校気味だったらしく、学校に来なくなった。

それに伴って、何もかも一緒にやっていた私の仕事は2倍になった。

給食当番、委員会活動、学級活動、掃除。

誰も手伝ってくれない。

何で私が2倍も仕事をしなければいけないのか理解できなかった。担任に訴えたこともあるが、結局状態は変わらなかった。

そんな調子で中学校3年間も酷いものだった。

そこそこ恋愛もしたが、あまりいい思い出がない。

特に、受験前に失恋して成績が大幅に下がったことにより色々大変だった。フラれ方も酷かった。

それに例の女子は、私が苦労していることも知らずSNSで「私の事が大嫌い」と部活の先輩も交えて裏切っていたことを知った。表向きは仲良しだったため人間不信になった。

この子とはもう顔を合わせるのも嫌だったので、何も言わずに勝手にこちらで連絡を断ち絶縁した。

中学校の頃は特に友達にも恋人にもかなり執着していたし、突然ハイになったかと思えば気分が落ち込んだりで、いい精神状態とは言えなかった。きっとそんな面が嫌だったのだろう。

尽くしてあげたい側の人間という個性というか長女ならではの特徴も出てきて、そのせいもあり友達と思っていた人に操られかけた事もあった。


こうしてみると何時から、と言うよりは元々よりそういう人間だったと言われる方がしっくりくる。

遺伝的な話で言えば、我が実家の家系は精神病家系と言えるだろう。

実の弟も精神病、母は診断こそ付いてないが不安定なことに間違いはない。そして私自身も昔から生きづらさを感じていた結果、うつ病。

様々な素因を持っていたところへ、人格形成に大切な思春期でいじめや理不尽による脳へのダメージも多少はあっただろう。そうして歪み捻れた私が出来たというわけだ。


今回は話のオチも特に用意していない。

ただひとつ不安があるとしたら、こんなに昔から色んな要素が絡み合った私の病は果たしてどうにか解決出来るものなのか…という点だ。

整理してみると余計に複雑さを理解して不安になった…笑


まあひとつ言うとするなら、こんなつまらない人間と言われて憂き目に合い続けた私でも、今現在ずっと大事にしたい一生物の友達が数人いる。

その友達はみんな、私になら色んなことを相談しやすい。私の考え方や優しさが大好きだと言ってくれる。泣きながら辛い出来事を話してくれる人がいる。この人たちがいるからこそ、私はまだ生きていける。

これまでに紆余曲折あった人生だが、親には愛され、友達にも恵まれ、なんとパートナーもいる。

嫌なことだらけの人生だった。それでもまだまだ捨てたもんじゃないって思える。

辛かった人生なりに、掴んだものもあったのだ。

その事を思い出せただけで私としてはこの文章は意味があるものになった。


長々とつまらない話に付き合っていただき、ありがとうございました。

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