第3話 初診の予約、電話···

会社を飛び出した私は何とか家に帰り、興奮し過ぎて混乱した気持ちを落ち着けていた。

まだまだ鮮明に思い出される光景、言葉…悔しさ。

もう大丈夫だ、終わったことだ。

自分に言い聞かせるようにして冷たい水を飲むと、少しずつ怒りも混乱も収まってきた。

ひと息ついて時計を見るとちょうどお昼時。お腹が空いているかは微妙だったけれど、何となく食事はした方がいい気がしたのでパスタを食べた。

…美味しい。まだ味を感じることはできる。


しかし明日からどうしようか。

今日は勢いで帰ってきたものの、もう出勤できる気はしなかった。

ちゃんと退職予定の年末まで我慢できると思っていただけに、情けなくて恥ずかしく感じた。

…年末まで、我慢して働くしかない。

それが最善だ、自分が決めたことだ。

でも、何度そう思おうとしても辛いという気持ちが勝ってしまった。

このままでは壊れてしまうぞ。

内なる自分にそう最終警告された気がした。

次の瞬間、私は近くの精神科をマップ検索していた。


検索した結果、この辺りは意外と精神科・心療内科・メンタルクリニックは充実しているようで何件もの病院がヒットした。

しかしレビューを見てみると平均的に星5のうち2や2.5など酷いものだ。医師の合う合わないなどが個人によって異なるという情報は以前から知っていたが、こんなものなのだろうか?

家から1番近い病院にお世話になることを考えていたが…どうにも不安がぬぐえない。

私はもう少し距離を伸ばして、駅前にあるクリニックをタップしてみた。

そこは新しく出来たクリニックのようで、レビュー数こそ少ないものの評価がずば抜けていた。

内容を見てもかなり暖かい…人間味のようなものさえ感じるのだ。こんな所があるのか…。

私はその病院のサイトへアクセスし、詳しく調べることにした。

どうやら完全予約制のようで、初診の場合は電話受付のみ予約できるらしい。

私は…躊躇った。電話は苦手なのだ。

ただでさえ目の前の人間と上手くやっていくことも苦手だと言うのに、顔も名前も知らない赤の他人と声のみでコミュニケーションを図らねばならない。

ドク、ドクドク、と鼓動が早くなるのがわかる。

30分くらいだろうか。迷いに迷ったその末に、私はようやく電話をかけることが出来た。

トゥ、トゥ、トゥ という接続音が続き…

トゥルルルという発信音になると思っていた。

その期待を裏切るように電話は切れた。繋がらなかったのだ。ディスプレイを見ると「通話中」の文字。

ああ…精神科の電話は繋がらないというのは本当なんだな。変に感心しながらも何度かかけ直すとようやく繋がり、感じのいい女の人の声がした。

「はい、○○メンタルクリニックです。」

優しい声だ…どことなく安心する、包まれるような声。

医師がどうこう以前に電話や受付の人の態度が最悪だなんて書かれしまう病院もあるようだが、ここはやはり当たりなのではないか?そう確信した。ここでお世話になりたい。

私は初診の予約を入れたい旨を話した。

しかし今月分の予約枠はもう埋まってしまっているようで、今すぐ予約することは不可能らしい。


「どのような症状でお悩みですか?」


電話口でのちょっとしたカウンセリングに必死に答えた。本音を口にすると涙が出てしまう私は堪えながらも声を震わせて話した。その間もずっと優しく相槌を打ちながら聞いてくれたのはとてもよく覚えている。


「そうでしたか…お辛かったですよね。」

「次の予約開始日が○○日からなので、その日の朝10時にお電話いただければ予約を承ります。」


なるほど、そういうシステムなのか…知らなかった。

分かりました、ありがとうございますと言って私は電話を切った。

一気に力が抜けた。苦手な電話を頑張った甲斐があった。

元より不安や心配が強い性分なので電話口で拒絶されたらどうしよう、怖い人だったら…などグルグルと考えて疲れていたのだ。


そのあとからは自分でも驚くほどスムーズだった。

精神科にかかるので、それまでの期間は出勤できないことを上司に報告し、自宅で療養することにした。

さっきまであれほど悩んでいたのが嘘みたいだ。

まだやれる、まだ大丈夫と毎日暗示をかけていたことも関係しているかは不明だが、自分が働けなくなった事実を認めたくなかったのだと思う。

しかし、出来ないことを出来ると偽っていても最終的に困るのは自分だし、周囲にもそちらの方が迷惑だということを私はよく知っていた。

今私ができることは、あの会社にはない。

諦めるとこんなにも楽なんだな。そんな皮肉のような感想を抱きながら微睡みの闇の中へ落ちた。





目を覚ますと日が暮れかけていた。

オレンジの光が窓から差し込んでいて、外はもう夜を迎える準備をしていた。

少し眠ったからか余計に体が重いが、気分は落ち着いていた。今日はもう疲れているのでこのまま朝まで眠ることにした。

私は夢も見ず、疲れを癒すようにただ眠った。

たっぷり眠って、何も気にせずに休んでから迎えた朝は素晴らしいものに感じた。



メンタルクリニックの電話で教えて貰った○○日、

私は無事に初診の予約を入れることが出来た。


初診まで2週間ほど日にちが空いてしまったがまだマシな方だろう…

ここから私の療養生活が始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る