幸せな味がした

 スマホの着信音で目が覚めた。木琴で奏でているかのようなこの音は、誰かから電話がかかって来ているということだ。

 重いまぶたを薄らと開きながら、枕元に置いていたスマホを手に取って、誰からの着信かも確認せずに耳に当てた。


「はい、もしもし」


『あー、その声は絶対寝てたでしょー』


 桜瀬の声だ。


「完全に寝てたな」


『だと思ったー。メッセージ送ったのに既読にならないから』


「メッセージ送ってくれてたのか。気付かなかったわ」


『ちゃんとアラームかけて寝た?』


「いや、掛けてないな」


 そこでようやく、温泉宿に泊まっていたことを思い出した。そう言えば昨日、桜瀬たちと朝食に行く約束をしていたのに、アラームをかけるのを忘れていた。


「あー、そっか。悪い。朝ご飯食べに行くんだったな」


『そうよー。やっと思い出したみたいね』


「逢坂ももう起きてるのか?」


『とっくの昔に起きて化粧も終わったところよ』


「そっか、もし腹減ってるなら先に大広間向かってくれてもいいぞ」


『まだ八時前だから大丈夫よ。部屋を出る時に連絡くれる?』


「ああ、分かった」


『それじゃ連絡待ってるから』


「はーい」


 そこで桜瀬との通話は終わった。スマホを枕元に置いてから、大きなあくびをする。

 俺の胸に顔を埋めている瑠愛は、気持ちよさそうな寝息を立てている。そんな彼女の頭を撫でながら、起こすことにした。


「おーい瑠愛ー、起きろー、朝だぞー」


 そう声を掛けてみると、寝息が聞こえなくなった。かと思えば、抱きつく腕にギューッと力が入っていく。その圧迫感が、ちょうどよくて心地いい。


「もうすぐで朝ご飯だってよ」


「んー」


「朝ご飯食べたくないのかー?」


「んー」


 まだ八時前だもんな、眠いのは分かる。だけど桜瀬たちを待たせている以上、俺も心を鬼にしなければならない。

 自分たちに掛かっている布団を掴んで、思い切り引き剥がす。温かな布団がなくなり、冬の寒さが体を襲う。


「うぅ……寒い……」


 さらに腕に力を込めて抱きつく瑠愛の浴衣は、乱れて鎖骨や谷間がさらけ出されている。今日のブラは水色をしているようだ。


「起きるぞー」


「湊、鬼畜」


「桜瀬たちを待たせてるんだ。こうするしかなかったんだよ」


「紬が、待ってる」


「そうだぞ。電話掛かって来たんだから」


「電話」


「そうだ電話だ」


 頭を撫でていると、瑠愛は俺の体から腕を離して体を起こした。その顔はまだ眠いようで、普段の半分程しかまぶたが開いていない。その目を猫のように擦ってから、まだ寝転がっている俺の顔を覗き込んだ。


「私、起きたよ」


「今日は目覚めが早いな。じゃあ俺も起きるかー」


「ちょっと待って」


「ん?」


 起き上がろうとした体をピタリと止めて首を傾げると、目をつむった瑠愛の顔が近づいてきてキスをされた。顔が離れると、瑠愛は嬉しそうに頬を緩めた。朝から瑠愛が微笑んでいるのを見れるなんて、今日はツイているのかもしれない。しかも瑠愛の浴衣ははだけているので、エロさすら感じてしまう。


「朝から大胆だな」


「チューしたかったから」


「ははは、嬉しいよ」


 そう言いながら体を起こして、今度は俺からキスをする。柔らかな瑠愛の唇を感じてから顔を離すと、驚いた顔をする彼女の顔があった。


「驚いたか?」


「うん、湊からされるとは思ってなかった」


「そりゃあ俺からだってするよ」


「どうして?」


「キスしたかったからかな」


「そう、私と一緒」


 瑠愛は優しく微笑むと、ブラの上から自分の胸に手を当てた。


「どうした? 」


「湊からキスされてドキドキした。心臓が早くなってる」


 付き合ってから何度もキスをして来たが、まだ俺からのキスでドキドキしてくれるのか。それがたまらなく愛おしく感じて、今度は瑠愛を思い切り抱き寄せた。


「瑠愛、愛してる」


「私も大好き。愛してる」


 二人で甘い言葉を交わしてから、顔を合わせる。それからもう一度だけキスをしてから、俺たちは朝ご飯を食べに向かう準備を始めた。


 ☆


 桜瀬と逢坂と合流して、大広間の朝食バイキングで朝ご飯を食べていると、顔を青くさせた推川ちゃんが味噌汁を片手にやって来た。


「みんなおはよー、昨日はごめんねー」


 推川ちゃんは苦笑いをしながら、俺の隣の席に腰を下ろした。そうして「いただきます」と口にしてから、割り箸を割ってお味噌汁をすすり始めた。


「推川ちゃん、朝ご飯それだけで足りるの?」


 皆が思っていることを桜瀬が言葉にすると、推川ちゃんはこくこくと頷いた。


「二日酔いで朝ご飯がっつり食べる気になれないのよ。でも二日酔いにはこういうお味噌汁が美味しかったりするの」


 昨日あれだけ飲んでいれば、さすがの推川ちゃんでも二日酔いになってしまうのか。

 まだ二日酔いなど経験したこともない生徒の四人は、「へえ〜」と口にしながら朝ご飯を食べ進めている。


「そう言えば推川ちゃん。今日って何時くらいに帰る予定?」


 推川ちゃんに問いかけると、彼女はスマホを取り出して時間を確認しながら「うーん」と悩んでいる。


「お昼頃にここをチェックアウトして、温泉街でお昼ご飯食べてから帰ろうか」


「大丈夫? 二日酔いで体調悪いのに運転出来る?」


「それなら大丈夫よ。私の二日酔いはお昼頃には治っちゃうタイプだから」


 二日酔いにも色々と種類があるのか。推川ちゃんの影響で、ちょっとだけ二日酔いに詳しくなっていく。


「っていうことで、温泉街でお昼ご飯食べたら帰るってことでいい?」


 推川ちゃんが首を横に傾けると、生徒の四人は揃って首を縦に振った。

 五人揃っての平穏な朝ご飯は、とても幸せな味がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る