幸せな味
ゴールデンウィーク最終日も家で勉強をしていた。
瑠愛と二人でテーブルに向かっては休憩して、勉強しては休憩してを繰り返した。夕飯を食べ終えてからも、二人で黙々と勉強を続けていた時だ。
「疲れた」
瑠愛はシャーペンを走らせていたノートを閉じると、テーブルの上に突っ伏した。
昼過ぎから勉強を始めたので、六時間近く勉強していたことになる。と言っても半分くらいは休憩していたので、実質は三時間程ではあるが、長時間であることに違いない。
「そうだなー。そろそろ終わりにするか」
こうやって区切りを付けないと、いつまでもダラダラと続けてしまいそうだ。
俺も勉強道具をバッグにしまうと、瑠愛が腕を広げて抱き着いて来た。それを優しく受け止めて、頭を撫でてやる。
「疲れた。動けない」
「だなー。受験勉強って終わりがないんだなー」
「何の問題が出るか分からないもんね」
「それが辛いんだよなー。今日勉強したところが試験に出なかったかと思うと──」
そこまで言ったところで、首にチクリと痛みが走った。口からは反射的に「いたっ」という声が漏れた。瑠愛が甘噛みしたのだ。
「……それ以上はイヤ。言わないで」
「すいません」
瑠愛が噛みつくなんて珍しい。今日勉強しなかったところがテストに出なかったらと思うと、嫌な気持ちになったのだろう。
彼女は腕を緩めて離れると、なんの前触れもなく俺の唇にキスをした。いきなりのことだったので驚いたが、瑠愛はすぐに顔を離して頬を緩めた。
「今日の疲れ取れた」
「ちょろいな」
その台詞に納得いかなかったのか、瑠愛は頬を膨らませながら俺の頬をつねった。しかし全く力は入れられてないので、痛くも痒くもない。
「また俺が悪いんですか」
「うん、湊が悪い」
「すいませんでした」
「許す」
瑠愛はようやく可愛らしいつねりを止めてくれると、俺の隣に座ってグッと伸びをした。
「今日は勉強って感じの一日だったなー」
「だね。でも、勉強で終わる一日ってなんかイヤ」
「そりゃあそうだよなー」
このままでは高校生活最後のゴールデンウィークが、勉強に奪われてしまうことになる。
たしかにそれは癪かもしれない。けれども今の時刻は十九時半で、夕飯も食べ終えてしまっている。これから何が出来るだろうかと頭を捻ると、ふとあることを思いついた。
「なあ瑠愛。アイス食べたくないか?」
季節は春から夏に移り変わるところ。ちょっとずつ温かくなってきて、アイスが美味しくなる季節だ。
「ん、食べたい」
「よし、じゃあコンビニ行こうぜ。夜の散歩も兼ねて」
テーブル端に置いてあった財布を手に取って立ち上がると、瑠愛は目を輝かせながらこちらを見上げた。
「うん、行く」
瑠愛は頷くと、すがるようにして手を伸ばした。その手を掴んで、立ち上がらせるためにグッと引き上げる。
こうして俺たちは、夜のコンビニへと向かうこととなった。
☆
瑠愛と腕を組みながらコンビニの中へと入る。夜の散歩を兼ねているから、ちょっとだけ遠くのコンビニまで来ている。
自動ドアを抜けるとレジが並んでいて、右手側には様々な商品が陳列されている。お菓子コーナーの隣に、アイスが入っている冷凍ケースがあった。
「さあ、この中から好きなのを選ぶがいい」
「奢ってくれるの?」
「ああ、勉強頑張ってたからな」
「やった。嬉しい」
瑠愛はこちらを見て微笑むと、冷凍ケースの中を覗き込んだ。俺も自分が食べるアイスを選んでおこう。
ソフトクリーム系よりもシャーベット系の方が好きなので、自然と選択肢は少なくなる。
「湊は何食べるの?」
「うーん、俺はこれかな」
そう言いながら俺が手に取ったのは、『ドスンとみかん』というみかん味のシャーベットアイスだ。
「それ、美味しいの?」
「めちゃくちゃ美味しいぞ。みかんが好きならオススメだな」
「じゃあ私もそれがいい──けど、そうしたら食べさせ合いっこが出来なくなる」
食べさせ合いっこをするつもりだったのか。同じ物を食べたらいいのではと思っていたので、反省しなければならない。
「じゃあ俺はこっちにするわ」
手に持っていたドスンとみかんを瑠愛に渡して、冷凍ケースから『パヌム』という名前のチョコアイスを取り出した。
「湊はそれでいいの?」
「うん、全然いいぞ。パヌムかドスンとみかんで迷ってたところだ」
本当は瑠愛と食べさせ合いっこがしたいだけだが、パヌムとドスンとみかんで迷っていたというのも嘘ではない。正しくは両方食べたいと思っていた。
「じゃあ私、みかんのアイスで」
「よし、これで決まりだな。食べながら帰るか?」
「うん、食べながら帰る」
「よーし。それじゃあ買って来ちゃうわ」
「私もレジ行く」
一人でレジに行くつもりだったのだが、どうやら瑠愛も着いてくるらしい。彼女を一人にさせておくのも怖いので、ちょうどいいだろう。
そうして俺と瑠愛は腕を組みながら、アイスを持ってレジに向かったのだった。
☆
瑠愛と腕を組み、アイスを食べながら帰り道を歩く。五月の夜風は気持ちよく、アイスを食べながらでも全く寒くないくらいだ。帰り道にアイスを食べることにして正解だった。
「みかんのアイスはどうだ?」
「うん、美味しい」
隣を歩く瑠愛は、俺から離れまいと腕をギュッと掴みながら、小さな口でオレンジ色のシャーベットにかじりついている。彼女はアイスをモグモグと咀嚼してから喉に通すと、いつもの無表情でこちらを向いた。
「湊の方は?」
「俺の方も美味しいぞ」
「一口ちょうだい」
瑠愛はこちらに向けて、小さな口を開けた。
「はいはい」
歩きながらなので手がブレるが、なんとか彼女の口にパヌムを食べさせられた。
「ん、甘くて美味しい」
「美味しいか。それは良かった」
満足そうな顔をした彼女は、自分が食べていたアイスを俺の口元に寄せた。
「これもあげる」
これが瑠愛の言っていた食べさせ合いっこなのだろう。俺は差し出されたアイスを、歯型の上からかじる。オレンジの香りが口の中に広がり、鼻から抜ける。やっぱりドスンとみかんは美味しい。
「うっま」
「美味しいよね。みかん」
「瑠愛はみかん好きだもんなー。でも食べやすいから好きなんだろ?」
「うん。好きになったきっかけは食べやすさだったけど、好きになったら全部好きになった」
そこまで言ったところで、瑠愛は何かに気が付いたように目を開いた。
「湊みたい」
「ん? どういうこと?」
「好きになったら全部好きになった」
なるほど。みかんが俺みたいだと言っているのか。
比較対象はみかんではあるが、なんて嬉しいことを言ってくれるのだ。今すぐにでも抱きしめてやりたいが、両手が塞がっているので断念した。
「最初は何がきっかけで俺のこと気に入ってくれたんだ?」
瑠愛は人のことを気に入るのが滅多にないと聞いているので、この質問はずっと尋ねてみたかったのだ。
「それは……分からない」
「わ、分からない……」
「最初見た時から、何となくいい人だと思ってた」
「何となく……」
何とも思われていないよりかはマシなのだろうか。もしかしたら俺と同じく一目惚れなのではと思っていたが、それはただの自信過剰だったようだ。
「だから私の目は間違ってなかった」
瑠愛は誇らしげな表情を浮かべながら、ふんと鼻息を吐いた。彼女のこんな表情、初めて見る気がする。ドヤ顔とでも言うべきか。
「湊はすごくいい人」
ドヤ顔を浮かべたままそんなことを言う彼女が可愛くて仕方がない。
「これからもご期待に添えるように頑張るよ」
「うん、私も頑張る」
瑠愛はコクリと頷いたあと、アイスにパクりとかぶりついた。それを見て自然と頬が緩み、俺もアイスを一口かじった。
五月の夜に食べるアイスは、とても幸せな味がした。
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