朝から変なものを見た

 目が覚めると見慣れない天井が広がっていた。

 そこでようやく、旅行に来ていたことを思い出す。

 見慣れない天井ではあるが、俺の体にはいつも通り瑠愛が抱き着いていた。


「ふあぁ……起きるか……」


 大きな欠伸をしながら枕元に置いていたスマホを手に取ると、なんと現在の時刻は十一時をちょっと過ぎたところだった。まじか、あとちょっとで正午じゃないか。


「おーい、瑠愛、そろそろ起きるぞ」


 体に抱き着いている瑠愛の体を揺すると、「うーん……」と言いながら更に抱き着く力を強めた。


「瑠愛さーん」


「もうちょっと」


「俺ももうちょっと寝ていたいんだが、多分もうみんな起きてるぞ」


 そう言うと瑠愛は目をゆっくりと開き、俺の顔を見上げた。


「今何時?」


「十一時を過ぎたところだ」


「……学校だったら終わってた」


「そうだな」


「でも学校じゃないから」


「……そうだな?」


「寝る」


 だと思った。きっと瑠愛の場合は、本当にもう一度眠りに就いてしまうだろう。

 だからここは心を鬼にして、掛かっている毛布を思い切り引き剥がす。


「うぅ……愛しの毛布……」


 悲しそうな声を上げる瑠愛だが、俺はそのまま上体を起こす。俺の体に抱き着いている瑠愛も、俺が起き上がったことで起き上がる羽目になる。


「今日の湊はワガママが通じない……」


 俺の胸に顔を埋めながら、そんなことを呟いた。

 いつもならどんなワガママでも聞いてやるが、今日は人を待たせてるのだ。もしかしたら既に昼食作りが始まっているかもしれない。そうなれば、俺たちも手伝うのが普通だろう。


「今日はみんなが待ってるからな」


「そうだけど……」


 どこか納得がいかない瑠愛。もう少し甘えていたいのだろうことは伝わってくる。


「じゃあ二度寝以外のワガママなら聞いてやる。しかし一個だけな」


 人差し指を立てながら言うと、瑠愛はぱっと表情を明るくさせた。


「ほんと?」


「ほんとだ。俺に出来ることならな」


「じゃあチューして」


 綺麗な青色の瞳と目が合う。美少女にキスをせがまれて、嫌な気分をする人は居ないだろう。


「いいけど……そんなんでいいのか?」


「いい」


 即答だった。キスくらいならいつでもしてやるのになあと思いながら、瑠愛の唇に軽くキスをする。

 顔を離すと、瑠愛の頬がうっすらと緩んだ。

 朝から瑠愛の笑顔が見れるなんて、今日はいい日になりそうだ。


「これでよかったか?」


「もう一回」


「もう一回するのか?」


「うん、もう一回」


 二回目のワガママだが、可愛いから許そう。次はちょっとだけ長めにキスをする。瑠愛の柔らかな唇は、しっとりとしていて弾力があった。顔を離すと、瑠愛と目が合った。


「これで良かったか?」


「うん、満足」


「よかった。じゃあみんなの所に行こうか」


「うん、行く」


 二人で顔を向け合いながら会話を終えて、布団から立ち上がろうとした時。扉の隙間からこちらを覗く瞳と目が合った。バッチリと化粧をしているその目元を見て、誰がこちらを見ているのかは簡単に分かった。

 だから俺の額には冷や汗がじわりとにじむ。


「逢坂だな」


 名前を呼ぶと、驚いたように目を見開いたあとにすごい勢いで扉を閉めた。かと思えばゆっくりと扉が開き、顔を真っ赤にさせた逢坂が部屋に入ってきた。


「えっと……えっと……」


 逢坂は何かを喋ろうとしながら、俺たちの前で正座をした。


「今の……見てたよな?」


 俺だってこんなことは聞きたくない。でもここで彼女を逃がせば、いらん妄想までされかねない。

 俺が声を掛けると、逢坂は肩をビクリとさせてからその場で土下座をした。


「本当に申し訳ありませんでした〜! 推川ちゃんに「そろそろ湊くんたち起こして来て?」と頼まれたので来てみれば、二人がその……ちゅ、チューをしていて……!」


「よし、落ち着こうか逢坂。もうちょっと声のトーンを落とそう」


「あ、そうですよね! すいません……」


 逢坂は顔を上げると、頭がショートしてしまったかのように顔を真っ赤にさせた。ちょっとばかり刺激が強いものを見せてしまっただろうか……。


「あの……さっきのことは推川ちゃんと桜瀬には内緒にしてもらうと助かるんだけど」


「も、もちろんです! お墓まで持って帰るつもりですよ!」


 ここで首を横に振ればどんな目に遭うか分からないといった様子で、逢坂は力強く他言しないことを誓ってくれた。


「よしよし、そしてさっきあったことは忘れるように。いいな?」


「は、はい……もう忘れます……」


 膝の上に手を置いてちょこんと座っている逢坂は、目をつむって「忘れろ、忘れろ」と念じ始めた。

 逢坂が頑張っている様子を見て、瑠愛は不思議そうな顔を浮かべている。

 三十秒程で目蓋を開いた逢坂は、おずおずといった様子で俺と瑠愛のことを見た。


「わ、忘れました……」


 絶対に嘘だろ。人間の脳はそんな簡単に出来ていない。

 しかしここは彼女の努力する姿に免じて、騙されてやることにしよう。


「よし、それじゃあリビングに向かおうか。お昼ご飯はなんだ?」


 そう言って立ち上がると、逢坂と瑠愛も立ち上がった。


「今日は紬先輩が作った野菜炒めやら天ぷらなどが食べられるそうですよ!」


「お、そうなのか。アイツ料理出来るんだったな」


「はい! ちょっと味見したんですけど美味しかったです」


 目に見えて空元気な逢坂を先頭に歩きながら、リビングへと降りていった。

 その後も彼女はどこか様子がおかしく、推川ちゃんと桜瀬も何かを察したようだったが、深く聞くことはしなかった。


 大事件から始まった旅行二日目だが、桜瀬の手料理を食べて心機一転出来た……はず……。

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