癒されタイム

 今日は瑠愛の実家にお邪魔する日。あえて違う言い方をするならば、瑠愛の父親から呼び出しを食らっている日だ。


「湊、大丈夫?」


 瑠愛の実家へと向かうタクシーの車内。隣に座る瑠愛は、緊張と不安で押しつぶされそうになっている俺の顔を覗き込んだ。


「もうダメだ……俺は今日で死ぬのかもしれない……」


「私のお父さん、そんなに怖くないよ」


「違うんだよ瑠愛……いつもは優しいお父さんかもしれないけど、娘の彼氏となるとどうなるのか分からないんだ……しかも交際を始めた初日に同棲を始めて、彼女の住んでた部屋を引き払わせるとか……ああ、もう終わりだ……」


 瑠愛の父親から自分がどう見られているのか。それを考えただけでも、胃がキリキリと痛くなる。


「落ち着いて」


 魂が口から出てきてしまいそうな俺の膝を、瑠愛が優しく撫でてくれる。いつもなら頭を撫でてやりたくなる可愛さだが、今の俺にそんな余裕などなかった。


 ☆


 渋滞に捕まることもなく、タクシーは無常にもスイスイと進んで行った。途中で手土産としてクッキーを購入した以外には、どこにも寄り道をしなかった。

 瑠愛の実家は意外にも普通の一軒家だった。親戚が別荘を二つも持っている金持ちの印象があるので、勝手に瑠愛も屋敷のような家に住んでいたのかと思っていた。


「ピンポン押すよ」


「待ってくれ……まだ心の準備が……」


「押すよ」


「ま、待ってくれ──」


 かれこれ五分はドアの前で足踏みをしていると、痺れを切らした瑠愛は家のチャイムに指を伸ばした。家の中から「ピンポーン」とチャイムの音が聞こえてくると、心臓が張り裂けんばかりに脈打ち始める。


「やばい……まじで緊張する……」


「大丈夫」


「こ、殺されたりとかしないかな……?」


「だからそんなに怖くないよ」


 心配のあまり落ち着いていられない俺を、適当になだめる瑠愛。そんなやり取りを繰り返していると、扉がガチャリと音を立てて開いた。そこから顔を出したのは、推川ちゃんくらいの年齢と思われる女性だった。


「あら〜、久しぶりじゃない瑠愛〜。それとこちらが彼氏さん?」


「うん、彼氏の湊」


 その女性と瑠愛から同時に視線を向けられ、俺は慌てて頭を下げた。


「ど、どうも初めまして! 瑠愛さんとお付き合いをさせて頂いている佐野湊です!」


「苗字は佐野っていうのね。どうもはじめまして。瑠愛の母親です。気軽にお母さんって呼んでいいからね?」


 この人が瑠愛の母親……? いやいや、さすがにそれはないだろう。だって皺なんてひとつもないし、茶色に染まっている髪には艶がある。


「え、母親……? 若すぎないですか……?」


「あらー? 瑠愛の彼氏さんはお世辞を言うのがお上手なのねぇ」


 瑠愛の母親は嬉しそうにクスクスと笑うと、扉を大きく開いて俺たちを家の中に招き入れた。


「なあ、瑠愛」


 玄関で靴を脱ぎながら、小声で瑠愛に話しかける。


「どうしたの?」


「あの人って本当に瑠愛の母親なのか?」


「うん」


「と、歳はいくつくらいなんだ……?」


「四十くらいだと思う」


「……まじか……」


 瑠愛の実家に訪れて初めての驚きだ。瑠愛の母親──瑠愛ママだな。


「あ、お邪魔します」


 用意されていたスリッパに履き替えて中に入る。瑠愛ママには歓迎されたようだが、父親は出迎えてくれなかった。それが更に俺を憂鬱にさせる。ここを進んだら瑠愛の父親に会うようなのか……そう憂鬱になっていると、ドスンとお腹に何かがぶつかってきた。


「うぇっ……な、なんだ?」


 ボーリングの球が当たったような衝撃があったお腹を見ると、そこには瑠愛を十歳若返らせたような子が立っていた。肩あたりまで伸ばしている銀髪に青い瞳は、完全に瑠愛そのものだ。しかし瑠愛と大きく違うのは、俺の腰よりも少し高いくらいの身長と、どこか幼さが残る顔立ちだ。


「る、瑠愛が小さくなっちまった……」


「私はこっち」


 その声に隣を振り向くと、いつもの無表情を浮かべる瑠愛が居た。


「え、じゃあこっちの子は……?」


 もう一度下を向いてみると、そこには小さくなった瑠愛が興味津々な目でこちらを見上げていた。


「美愛(みあ)、自己紹介して」


 瑠愛がそう言うと、小さくなった瑠愛はぺこりと頭を下げてから、無邪気な笑みを浮かべた。瑠愛が笑ったらこんな表情をするのだろうか。どちらにせよ美人なことには違いない。


「柊美愛です! えっと、瑠愛お姉ちゃんがいつもお世話になっております」


 そう言葉を終えると、もう一度頭を深々と下げた。


「瑠愛お姉ちゃんってことは……」


「私の妹」


「お前、妹居たのか……」


「うん、言ってなかったっけ」


「聞いてないな」


 姉妹と言われても全く違和感がない。そっくりにも程がある。

 美愛ちゃんは挨拶を終えると、笑顔のまま俺の手を握った。


「ねえねえ、瑠愛お姉ちゃんの旦那さん」


「だ、旦那さん……」


「おままごとして遊ぼ」


「お、おままごとか……」


 出来ることなら瑠愛の父親への挨拶よりも、美愛ちゃんとおままごとをしていたい。

 どうすればいいのかと困っていると、瑠愛は美愛ちゃんの頭を撫でてから、目線の高さを合わせるようにしてしゃがんだ。


「美愛、今から私の旦那さんは大事なお仕事があるの」


「お仕事ー?」


「そう。とっても大事なお仕事」


「じゃあそれが終わったらおままごとするー!」


「うん、三人でやろうね」


 なんて微笑ましい光景なのだろう。銀髪美少女がロリ銀髪美少女と仲良さそうに喋っている。瑠愛がこんなにお姉さんに見えるのも、初めてのことかもしれない。


「瑠愛お姉ちゃんの旦那さん、絶対にあとでおままごとしようね!」


 元気よくブンブンと手を振る美愛ちゃん。可愛すぎて憂鬱だった気分が浄化されていくようだ……。


「うん、もちろんやろう」


 小さく手を振り返してあげると、瑠愛ママがクスクスと笑った。


「美愛の面倒も見てくれるなんていい彼氏さんを捕まえたものね。じゃあ湊くんがお仕事終わるまで美愛は部屋で待っててね」


「はーい!」


 これまた元気よく返事をした美愛ちゃんは、ドタドタと走りながら階段を上って行った。


「ということで湊くん、パパのところまで案内するわね」


「あ、はい……」


 美愛ちゃんに癒される時間も終わってしまい、厳しい現実が戻って来た。瑠愛ママに着いて行く形で、決戦の舞台となるリビングに案内されるのだった。

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