ひな先輩、降臨

 とある日の自習中。桜瀬と瑠愛は肩を寄せ合いながらスマホをいじり、逢坂は携帯ゲームに夢中になり、俺は文庫本に没頭していた時のことだ。

 ガラガラと音を立てて空き教室のドアが開いた。


「あれ、どうしたんだろう」


 その音に素早く反応したのは桜瀬だった。その声に続くようにして、全員が顔を上げた。


「推川ちゃんですかね?」


「まあ推川ちゃんしか居ないだろ」


「ですよね。何か用があるんですかねえ」


 逢坂も不思議そうな顔を浮かべたところで、テントのファスナーがジジジと音を立てて開く。そこに居た人物を見て、俺は自分の目を疑った。


「どうもどうもー! みんな久しぶりー! そこの金髪美少女は初めましてだけどね! とりあえず入りまーす!」


 テントの中に入って来た女性は、間違いなくひな先輩だった。卒業式以来に見るその姿はあまり変わってないようにも見えるが、綺麗な赤茶髪は胸の下まで伸びていて、ちょっとだけ大人びた雰囲気がある。それに服装も薄手のブラウスを着用していて、以前よりも落ち着いたイメージを受ける。


「ひな先輩!」


 桜瀬は名前を呼びながら立ち上がると、ひな先輩の胸に飛び込んだ。その様子を見ていた瑠愛も立ち上がり、ひな先輩へと抱き着く。瑠愛と桜瀬に抱き着かれたひな先輩は嬉しそうに笑いながら、手に持っていた紙袋を床に置いて、二人の頭を撫でた。


「大きな赤ちゃんだなー! よしよし! お姉さんにいっぱい甘えなさい!」


 相変わらずテンションの高いひな先輩を見て、なんだかとても安心する。


「湊先輩……あの人って……」


 いつの間にか俺の隣に座っていた逢坂は、ひな先輩を見ながら尋ねた。


「あの人はひな先輩って言って、俺たちの二個上の先輩だな。今は社会人一年目だ」


「へー、あの人がひな先輩って言うんですね」


「ひな先輩の名前出したことあったっけ?」


「たまーにですけど先輩たちが「ひな先輩」って名前出してるのを聞いた覚えがあります」


 記憶にはないが、無意識の内に言っていたのだろう。そんなことを思っていると、瑠愛と桜瀬と喋っていたひな先輩がこちらを向いた。


「湊くんも久しぶりだね! 無事に彼女出来たらしいじゃないか!」


「お久しぶりです。彼女はそこに居る銀髪の子ですけどね」


「知ってるぞー。しかも同棲まで始めたそうじゃないか! この幸せ者めー!」


「へへへ、どうも」


 今は間違いなく幸せ者であるため、素直に照れておく。そんな俺を見てひな先輩は無邪気に笑うと、こちらへと四つん這いで歩いてきた。その度に大きなおっぱいが揺れるのだが、それすらも懐かしく思う。


「君が逢坂愛梨ちゃんだね!」


 逢坂の前にちょこんと座ると、ひな先輩は首を横に倒して元気に笑った。


「あ、はい、逢坂愛梨です。えっと、ひな先輩ですよね?」


「うん! わたしのことは気軽にひな先輩って呼んでね!」


「わたしは逢坂でも愛梨でも大丈夫です」


「じゃあ愛梨ちゃんで! 愛梨ちゃんのメイクすごくいいね……髪色も可愛すぎて推せる……リップとかどこの使ってるの?」


 メイクの話となると、逢坂の目の色が変わった。


「これはWACです! ひな先輩のリップもめっちゃいい色出してますよね……」


「わたしのもWACのリップだよ! 夏限定のやつ!」


「えー! 高いやつじゃないですか! 羨ましいです……」


「リップ持って来てるけどあとで使ってみる?」


「いいんですか!? 試してみたいです!」


 男の俺には何の話をしているのかさっぱりだが、ひな先輩のコミュニケーション能力ですぐに逢坂と仲良くなれたようだ。


 ☆


 ひな先輩が持ってきてくれたクッキーを食べながら、五人は円になって他愛もない話に花を咲かせていた。今の話題は、冬休みに行った旅行の思い出話だ。


「いいなー、みんなで旅行に行ってクリスマスパーティー。憧れますよぉ」


 隣に座る逢坂は足を抱えて座りながら、俺たちの思い出話に付き合ってくれている。


「夏休みにみんなで行ってくればいいんじゃない? また瑠愛ちゃんの親戚の別荘でも、ホテルとか旅館とかでもいいしさ」


 あぐらをかいているひな先輩は、皆の顔を見回しながら言った。ひな先輩の両脇には、瑠愛と桜瀬がくっついている。久しぶりのひな先輩に甘えているのだろう。


「ひな先輩は来ないんですか?」


 桜瀬の問いに、ひな先輩は首を横に振った。


「わたしはもう卒業したからね。あと接客業だから夏休みとかないんだ」


「えー、残念」


「また予定が合ったら遊ぼうね!」


「はい! 絶対に!」


 桜瀬とひな先輩が笑顔を向け合うと、瑠愛が顔の横で手を挙げた。


「どうした?」


 瑠愛に声を掛けてみると、皆の視線が彼女へと集まる。挙げていた手を下げると、瑠愛は眠たそうな目のまま口を開いた。


「親戚の人で、海の近くに別荘持ってる人居るよ」


 何気なく呟かれたその一言に、四人はギョッとした表情を作った。


「え、瑠愛の親戚って山奥の別荘用意してくれた人よね?」


「そう。あれともう一つ別荘がある」


「海の近くに?」


「うん、すごく近い」


 桜瀬は「ほえ〜」と声を漏らす。

 瑠愛の親戚さんは、山奥と海の近くに一つずつ別荘を持っているのか。あるところには金があるんだな。


「めっちゃ金持ちじゃないすか……何してる人なんですか?」


「分からない」


「分からないんですか……」


 やはり瑠愛は親戚が何をしている人なのか分からないらしい。


「ということは今年も瑠愛の親戚の別荘を借りられるのか?」


「多分、言えば大丈夫」


「なるほどな。じゃあ三日くらい泊まらせて頂くようにお願い出来るか?」


「うん、任せて」


 なんて頼もしいのだろう。こんなに瑠愛が頼もしいと思ったのは、初めてのことかもしれない。


「それじゃあアタシが推川ちゃんに言っておくね」


 手を挙げた桜瀬に、「頼んだ」と両手を合わせる。自然な流れで推川ちゃんも誘うこととなり、ひな先輩のおかげもあってスムーズに旅行の予定は立てられた。


 ☆


「じゃあわたしは帰るね」


 授業終了のチャイムの音が響き渡ると、ひな先輩は帰りの支度を済ませて、全員でテントから出た。


「ええー、お昼までは居たらいいのにー」


 珍しく駄々をこねる桜瀬に、ひな先輩は目を細めて笑いかけた。


「これからシフト入ってるからね、行かなきゃダメなんだよ。またその内に遊べばいいじゃないか」


「そうですけどー、せっかく会えたのに一時間だけなんて短すぎます」


「そうだなー。じゃあ今度はもっと時間に余裕がある時だな! わたしも楽しみにしてる!」


 腕を広げたひな先輩に、桜瀬が抱き着く。


「私もギュッてして」


 その後ろからは歩いてきた瑠愛も、ひな先輩にギュッと抱き寄せられていた。


「湊くんと愛梨ちゃんもおいで!」


 その声に逢坂が早く反応して、わーっと声を上げながら抱き着いた。今日だけで随分と仲良くなったものだ。


「湊くんも! 恥ずかしがらなくていいから!」


 抱き着きに行くことに照れを感じていると、ひな先輩の方から歩いて来て抱き着かれた。相変わらず大きな胸の感触が伝わってくる。


「なんか、子供に抱き着かれてるみたいですね」


「わたしは天真爛漫な幼稚園児じゃないよ!」


「まだ覚えてたんですか、幼稚園児みたいって言ったこと」


「覚えてるに決まってるでしょ! ずっと根に持ってるんだから!」


 頬を膨らますひな先輩を見て、やはり子供じゃないかと思った。しかしそれを口にしたら怒られそうなので、代わりに頭を撫でておいた。


「ぶー、またそうやって子供扱いしてー。こう見えても働いてるんだぞ」


「自分でこう見えてもって言っちゃいましたね」


「うっ……たしかに子供みたいなところはあるけど、もう立派な大人なんだから!」


「はいはい、そういうことにしておいてあげます」


「うわ! 今軽く流したよね! 湊くんが彼女出来て変わっちゃったよお〜」


 泣き真似をしながら俺から離れたひな先輩は、空き教室の扉に手を掛けた。


「ということでみんなに抱き着いたことだし、わたしは帰るかな」


 一瞬で泣き真似をやめて手を振るひな先輩を見て、四人も手を振り返す。


「お元気で」と俺が。


「ばいばい」と瑠愛が。


「また来てください!」と桜瀬が。


「お仕事頑張ってください」と逢坂が。


 四人の声を聞いたひな先輩は、「うん! じゃあね!」と無邪気な笑顔を作って言うと、空き教室から出て行ってしまった。


 久しぶりに会ったひな先輩は相変わらずの無邪気さを残しつつ大人びていたので、とても魅力的な人になったなあとしみじみ感じた。

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