名前で呼んで

「私、そういうのよく分からない」


 ベッドに座る柊は、無表情のまま首を傾げた。


「付き合うって、分からないか?」


「あんまり分からない」


 恋愛感情どうこうの前に、柊は付き合うという行為が分からないのだ。


「付き合うって、何するの?」


「付き合うっていうのは……恋人同士だから手を繋いだりキスしたりすることが出来る」


「恋人じゃなくても手を繋いだりキスしたり出来る」


「そうなんだよなぁ……」


 異例なケースではあるが、柊のように付き合ってもないのに軽い気持ちでキス出来る人も居るのだ。


「うーん、いつでもキスしたり手繋いだり出来るって言い方でいいのかな……いやでも、さすがに場所は選ばなくちゃだしな……」


 今まで誰とも付き合ったことなんてないから、手を繋いだりキスをしたりする以外に何をすればいいのかが分からない。

 腕を組んで頭を捻っていると、恋人同士だからこそ出来ることを思い出した。


「あー、あとは同棲したりとかも出来るんじゃないか?」


「同棲?」


「恋人と一緒の部屋で暮らすことだな」


 調べたわけではないので詳しいことは知らないが、同棲というのは一緒に暮らすことだと理解している。そう言ってみせると、柊は前のめりの姿勢になった。


「一緒に住めるの?」


 とても興味津々なようで、目をキラキラと輝かせている。


「まあそうだな。別におかしいことではないと思う。でも高校生となるとどうなのかは──」


「私、湊と付き合いたい」


「……え?」


「湊と付き合いたい」


 何度も繰り返し吐き出される言葉に、俺は感動すら覚えた。


「ま、まじでいいのか……?」


「うん、こんな私で良ければ、よろしくお願いします」


 ちょこんと頭を下げた柊を見て、俺の告白に「オーケー」が出たのだと実感が湧いてくる。


「うぉぉぉぉぉっっしゃあああ!!! 柊、まじでありがとう!!! 絶対に大切にするから!!!」


 柊の手を握りながら言うと、彼女はコクリと頷いた。


「ありがとう。ちょっと待っててね」


 しかし柊は俺の手を握り返そうとはせずにベッドから立ち上がると、玄関の方へと小走りで向かって行った。


「あ、おい、柊!」


 手を振りほどかれたことと、急に柊が出て行ったことで俺の頭の中はクエスチョンマークで溢れる。

 柊の背中を追っていくと、玄関で靴を履いているところだった。


「おい柊、どこ行くんだ?」


「ちょっと待ってて、すぐに帰ってくるから」


「コンビニとかか? それなら俺も──」


 柊は俺の話など聞いていない様子で、部屋から出て行ってしまった。

 机には柊が持ってきたポーチが置いてあるので遠くには行かないと思うが、どこに行ったのか分からないのは心配である。だからと言ってここで着いて行くのも、気持ち悪いと思われてしまうかもしれない。


「待つか……」


 ちょっと待っても帰って来なければ、探しにいくことにしよう。

 告白にオーケーを貰えた嬉しさと、突然出て行ってしまった寂しさを味わいながら、テレビを眺めて彼女の帰りを待つことにした。


 ☆


 ボーッとテレビを眺めること一時間。玄関の扉が開く音が聞こえてきた。


「ただいま」


 小さな声だったが、間違いなく柊の声だ。

 ようやく帰って来たかと玄関まで迎えに行くと、そこには大きなキャリーケースを片手に持った柊が居た。


「……ど、どこ行ってたんだ? そしてなんだ、そのキャリーケースは」


 柊は靴を脱いで部屋に上がると、キャリーケースをその場に倒して置いた。部屋が汚れないようにと、彼女なりに配慮をしたのだろう。


「家に帰ってた。このキャリーケースは、着替えとか日用品とか必要なものが入ってる」


「そんな大きなキャリーケースを引きずりながらここまで来たのか?」


「ううん、タクシーを使った」


 そっかタクシーを使ったのか。それならばよかった……とはならない。


「うん、ちょっと話がややこしいから整理しようか。まずどうして、急に家に帰ったんだ?」


「必要な物を取りに行くため」


「なるほどなるほど。それでキャリーケースに入っているのは?」


「着替えとか、日用品とか」


「うんうん。なんでそんな今から旅行に行きますみたいな荷物を俺の家に持って来たんだ?」


「だって、同棲するんでしょ?」


 やはり俺と彼女との間には、齟齬(そご)があったようだ。俺はひとつの例えとして『同棲』という単語を出したが、彼女は何を勘違いしてしまったのか、同棲をする気満々なのだ。


「ま、待て待て待て。どこから同棲をする流れになった」


「付き合ったら同棲するんでしょ?」


 柊は目を丸くさせたまま首を傾げている。その純粋な瞳を見ていると、悪意など微塵もないことなんてすぐに分かる。

 心は痛いが、彼女を説得することにしよう。


「なあ柊、同棲はお互いをもっと知ってからのことだぞ?」


 柊の肩に手を置いて言うと、彼女はキョトンとした顔を浮かべた。


「そうなの?」


「そうだ」


「部屋の退去届け出しちゃった」


「え……」


「業者も呼んで部屋の荷物も家に送ってもらってる」


「え……」


「両親にも彼氏と同棲するから部屋を出るって電話した」


「……両親はなんて……?」


「連れて来いって」


「ひぇっ……」


 ほんのちょっとだけの齟齬だと思っていたのに、想像よりも大きな問題に発展していた。

 もう柊の部屋は引き払う予定で、親にもその旨を伝えてある。この一時間の間に、それだけの仕事をしていたのか。

 けれども柊の親に呼び出されたこと以外は、彼女と同棲をすれば解決する話でもある。


「そっか……それならまあ……同棲……してみるか?」


 もうこうなったらどうにでもなれと、笑顔を作って言ってみる。それを聞いた柊は目を大きく開くと、腕を広げて俺に抱きついた。彼女の華奢な体を肌で感じて、守ってあげなくてはと思った。


「うん、する」


 抱き着かれながらそんなことを言われたら、頭がクラっとしてしまう。それでも足に力を込めて耐えて、彼女の頭を優しく撫でる。


「これからよろしくな、柊」


 柊は俺の胸から顔を離すと、頬を膨らませた。


「もう恋人なんだから、名前で呼んでほしい」


 彼女の青い瞳と目が合っている。そんな中で「名前で呼んで」は、破壊力がやばい。告白をして間もないが、俺は彼女に骨抜きにされている。


「そうだな。それじゃあ改めて……これからよろしくな、瑠愛」


「うん、ふつつか者ですが、こちらこそよろしくお願いします」


 いつもの無表情のままに紡がれた言葉を聞いて、俺はもう一度瑠愛のことを抱き寄せた。


 ──こうして、俺と瑠愛の同棲生活が幕を開けるのだった。


 ――第六章 完――

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