上品な桜瀬ママ

 気候は日に日に暑くなり、それに伴い夏休みが段々と近づいて来た。ということは、中間テストも近づいているということだ。

 中間テストの範囲表も配られているので、そろそろ勉強した方がよいのではという話になり、放課後に桜瀬の家で勉強会を開くことになったのだ。


 桜瀬の家は学校の最寄り駅から二駅離れた場所にあり、四人で電車に乗って向かった。

 どうして桜瀬の家に行くことになったのか。それはいつも俺や柊の部屋に集まる機会が多かったので、たまにはアタシの家でいいよと桜瀬が提案してくれたのだ。


「ここが紬先輩の家なんですね〜。大きい〜」


 感嘆とした声を上げた逢坂は口をポカンと開けながら、三階建ての桜瀬の家を見ている。


「まさか三階建てとはな……」


 これには俺も思わず声が出てしまう。


「私は初めてじゃないから」


 柊はいつもの無表情のまま、目をパチクリとさせて瞬きをした。

 俺たちの目の前には黒色の門があり、桜瀬は慣れた手つきで解錠してみせた。門を開いた桜瀬は、続いて家のドアを開いた。


「はーい、いらっしゃーい」


 桜瀬は笑顔でそう言うと、家の中へと入っていく。彼女に続くようにして、三人は「おじゃまします」と口にしながら玄関で靴を脱いで家の中に入る。

 桜瀬は綺麗な廊下を歩いていくと、とある扉を開いた。


「お母さーん。アタシが部屋片付けてる間だけ、友達リビングに入れていいー?」


 桜瀬がそう尋ねると、中からは「いいわよー」と上品な声が聞こえてきた。


「ということでみんな、アタシが部屋を片付けてる間はリビングに居てね。ここがリビングだから」


 開いた扉の先を指さすと、桜瀬は急ぎ足で廊下を進み階段を上がって行った。

 桜瀬が行ってしまったことで俺が先頭となり、リビングに入っていく。


「あらあら、紬のお友達ね。いらっしゃい」


 リビングに入ってすぐに、茶髪を胸下辺りまで伸ばしている三十代くらいの女性がキッチンに立っていた。恐らくは桜瀬の母親だと思うが、見た目が若いので姉にも見える。


「ど、どうも」


 頭を下げながらリビングへと入ると、後ろから着いてきていた柊もぺこりと頭を下げた。


「紬ママ。久しぶり」


「あー! 瑠愛ちゃん久しぶりねー。元気にしてた?」


「うん、元気」


「そうなのー、それは良かった。紬が部屋を片付けるまでソファーに座って待っててね」


「分かった」


 桜瀬の母親──桜瀬ママと呼ぶことにしよう。桜瀬ママと柊は顔見知りのようだ。柊がソファーに腰掛けたのを見てから、遅れて俺と逢坂も腰を掛ける。


「今日はこんなにお友達が来てくれたのねー。紬にも沢山友達が居てくれて嬉しいわ」


 桜瀬ママは笑顔を浮かべながらこちらへと歩いてくると、俺たちの座っている目の前のソファーに腰を掛けた。そうして俺たちの顔を見渡すなり、桜瀬ママと目が合った。


「あなたが湊くんね? 紬から話は聞いているわよ」


 微笑みながらそう言われて、俺の心臓はギクリと跳ねた。一体どの話を聞いたのだろうか。話の内容によっては、とても気まずい。


「佐野湊です。僕も桜瀬──紬さんにはお世話になってます」


「あらぁ礼儀正しいのねぇ。こちらこそ紬がお世話になっているようで」


 桜瀬ママのひとことひとことが俺の心臓を跳ねさせる。唯一救いなのは、彼女が笑ってくれていることだろう。

 桜瀬ママは笑みを浮かべたまま、俺の隣に座る逢坂へと顔を向ける。


「あなたは愛梨ちゃんね」


「あ、はい。逢坂愛梨です。わたしも紬先輩にはお世話になってます」


 膝に手を置いて頭を下げた逢坂は、愛嬌のよい笑顔を浮かべた。それを見て、桜瀬ママはキョトンとした顔で首を傾げた。


「愛梨ちゃんの髪は……地毛なの?」


「あ、わたしは染めてるだけです」


「やっぱりそうよね。瑠愛ちゃんが地毛の銀髪だから勘違いしちゃった」


「あはは、瑠愛先輩の髪色には敵わないっすよ」


「いいえ、愛梨ちゃんの金髪もとても綺麗よ?」


「そ、そうですか?」


「そうよー。すっごく似合ってるんだから」


「うふふ」と目を細めて笑った桜瀬ママを見て、逢坂はすごい勢いで頭を下げた。


「ありがとうございます! めっちゃ嬉しい褒め言葉です!」


「いいのよ。正直に思ったことを言っただけですもの」


 それを言われてすごく嬉しかったのか、逢坂は何度も「ありがとうございます」と頭を下げた。

 そこで話に一区切りが着いたかと思うと、桜瀬ママは体をやや前のめりにした。


「紬って学校ではどんな感じなの? あの子、友達の話はよくするんだけど自分のことは全然話さなくてね」


 桜瀬ママの問いに、俺たち三人は互いに顔を合わせた。


「優しい」


 一番に口を開いたのは、意外にも柊だった。


「それが一番だな」


 乗り遅れまいと俺も柊の意見に賛成してみる。

 怒ったらめちゃくちゃ怖いと言いそうになったが、それを口にしてはマズイと直感が働いた。


「あと頼りになりますよね。わたし達のリーダーみたいな」


「あー、それもあるな」


 今度は逢坂の意見に賛成してみた。

 ちょっと常識が欠けているところがあると言いそうになったが、これも何とか口から出る前に飲み込むことが出来た。

 それを聞いた桜瀬ママは「なるほどねぇ」と呟くと、ニコニコとした笑顔に戻った。


「悪い声が無くて安心したわ。これからもどうか紬と仲良くしてあげてくれると嬉しいな」


 首を横に倒して言った桜瀬ママに、俺たち三人は「もちろんです」と言葉を返した。

 ちょうどその時、階段を下りてくる足音が聞こえてきたかと思えば、桜瀬がリビングに顔を出した。


「おまたせー。片付け終わったよー。ってなんでお母さんと話してるの……嫌な予感しかしないんだけど……」


 苦笑いを浮かべる桜瀬に、桜瀬ママは「なんでもないわよ」と答えた。

 俺たち三人はソファーから腰を上げると、桜瀬ママも立ち上がる。


「あとで飲み物とお菓子を持って行ってあげるからね」


 桜瀬ママはそれだけを言うと、小さく手を振りながらキッチンへと歩いて行った。

 こんなに大きな家で出される飲み物とお菓子はどういうものなのだろうかと妄想を膨らませながら、桜瀬の部屋まで階段を上って行った。

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