恋バナモンスター

 推川ちゃんの家は大きなマンションの五階にあった。物干しラックが入った箱を抱えたままエレベーターを使って移動して、部屋番号が『506』の扉の前で推川ちゃんは足を止めた。


「ここでーす、とうちゃーく」


 無事に物干しラックが買えたからか、推川ちゃんの機嫌がよい。そんな上機嫌な推川ちゃんは、全く聴いたこともない鼻歌を歌いながら鍵を使って扉を開いた。


「扉開けとくから、中に入っちゃって」


「あ、了解っす」


 両手が塞がっている俺を気遣って、扉を押さえていてくれるのだろう。その心遣いに感謝をしながら、俺は玄関で靴を脱いで推川ちゃんの家に足を踏み入れた。


「どこまで持ってけばいい?」


「そこら辺の廊下に置いちゃっていいよ。組み立てくらいは私でも出来るからさ」


「分かったー」


 彼女に言われた通り、物干しラックが入った箱を廊下の壁に立て掛けた。


「そのまま部屋まで進んじゃって。ちょっとだけどお礼させてね」


 お礼と言われてエッチなことを想像してしまうのは、健常な男子高校生だからということにしておこう。


「じゃあお言葉に甘えて」


 まあそんなことなど起こるはずがないのは重々承知しているので、早めに妄想を脳のゴミ箱へと捨てておいた。

 廊下を歩いた先にあったドアを開くと、洋風な内装をしたリビングがあった。大きめのソファーが置いてある前には、ブラウンのカーペットやテレビが置いてある。予想していたヒップホップのポスターなんて一枚も貼ってなく、壁は一面真っ白である。

 さらにキッチンのある方にはテーブルが置いてあり、棚にはお酒の入ったビンなどが並んでいた。


「綺麗にしてるんだね」


「イメージ通りでしょ?」


 推川ちゃんは遅れて部屋にやってくると、目を丸くしながら尋ねた。


「もっとポスターとか飾ってるのかと思った」


「あー、私はあんまり何かを飾ったりとかはしない性格なんで。あ、そこのテーブルに座って待ってて。今からケーキ出してあげるから」


 推川ちゃんは笑顔でそう言うと、スピードの遅い小走りでキッチンへと消えていった。

 言われるがままにテーブルに座ると、キッチンから聞き慣れない機械音が聞こえてきた。

 何をしているのだろうかと思いながら待っていると、十分も経たずに白い箱を手にした推川ちゃんが戻ってきた。


「佐野くん、この中から好きなケーキ選んで」


 白い箱をテーブルの上に置いた推川ちゃんは、その箱を開いてみせた。そこには様々な種類のカットケーキが入っていて、見たことがないようなものもある。


「うわ、めっちゃケーキ入ってる。これどうしたの?」


「土日は自分へのご褒美にケーキを買うようにしてるの。独り身は誰も褒めてくれる人が居ないからね」


 そ、そんな悲しいこと言うなよ……。聞いたこっちが悪いみたいじゃないか……。


「な、なるほど……じゃあ俺はこのチョコケーキでお願いします」


 これ以上は深入りしてはいけないと肌で感じたので、急いでケーキを選んだ。


「おっけー、それじゃあもうちょっと待っててね」


 箱を閉じた推川ちゃんは、それを持ってまたもキッチンへと消えていった。キッチンからカチャカチャと作業音が聞こえてきたと思えば、木のトレイにケーキとマグカップを二つずつ乗せた推川ちゃんが戻ってきた。

 どうやらさっきの聞き慣れない機械音は、コーヒーメーカーの音だったようだ。


「はーいおまたせー。ケーキとコーヒーでーす。ミルクとお砂糖が必要な場合は自分でね」


 木のトレイをテーブルに置いた推川ちゃんは椅子に腰掛けると、チョコケーキの乗ったお皿とコーヒーの入ったマグカップをこちらへと差し出した。


「ありがとう、ミルクだけちょうだい」


「はいはい、このピッチャーに入ってるから」


 推川ちゃんから受け取った手の平サイズのピッチャーから、ミルクをマグカップに注ぐ。すると黒色をしていたコーヒーは、一気に薄い茶色へと変化した。

 ピッチャーをテーブルの上に置くと、推川ちゃんは「食べて食べて」と言ってくれる。


「じゃあ、いただきます」


「はーい、今日はありがとうね」


 ブラックのコーヒーに口を付けた推川ちゃんを見てから、チョコケーキを口に運ぶ。うん、多分このチョコケーキはそこそこ値が張るものだ。

 目の前に座る推川ちゃんは、幸せそうな顔をしながらモンブランを食べている。


「甘いの好きなんだね」


「うん、超好き。一日三食ケーキでもいいくらい」


「ええ……」


「あ、今ちょっと引いたでしょ」


「いやいや、すごいなーって思っただけだよ」


「本当かなあ」


 保健室の先生とは言え教師である推川ちゃんと二人きりなんて気まずくならないだろうかと少しだけ心配していたが、歳の近い友達のような感覚で話せているので気まずくなんてならなかった。

 それから何気ない話に花を咲かせていると、いつの間にか二人ともケーキを食べ終わっていた。


 ☆


 ケーキを食べ終え、胃を休めるために推川ちゃんと二人でソファーに腰掛けながら、録画してあったお笑い番組をボーッと眺める時間が続いていた。


「ねえ佐野くん。まだ柊ちゃんのこと好きなの?」


 テレビでは漫才をしていたコンビが「ありがとうございました」と言って掃けて行ったタイミングで、推川ちゃんがそんなことを尋ねた。

 いきなりそんなことを聞かれても、それくらいの質問じゃ動揺しない自分が居た。


「まだ好きですね」


 何となく敬語で答えてみせると、隣に座っている推川ちゃんは目を輝かせながらこちらを振り向いた。

 そう言えばこの人は、恋バナが大好きな人だった。変なエサを与えてしまったと、多少の後悔が残る。


「えー! でももうキスも済ませてあるんだよね。しかも柊ちゃんの方から」


 ひな先輩の卒業式をした時に、俺が柊からキスされたことを覚えていたようだ。


「まあ、そうですね」


「じゃあ柊ちゃんも佐野くんを悪くは思ってないってことじゃん?」


「多分、そうなんじゃないですかね」


「じゃあさじゃあさ、告白して付き合ったりってのはしないの?」


 その質問がグサリと刺さる。桜瀬にも同じような質問をされているので、最近は『告白する』という選択肢もなんとなく出てきたところだったのだ。


「それは……近いうちに出来ればって考えてます……」


 自分を追い込むようなことを言ってみせると、推川ちゃんはさらに目を輝かせた。


「ええ! 本当に!?」


「わざわざこんな嘘つかないですよ」


「えー! すごーい! 青春だ! 結果が分かったら私にも教えるんだよ!?」


「いい結果が出たらね? 振られたら絶対に言わないけど」


 興奮している推川ちゃんは俺の手を両手で掴むと、真面目な顔つきに変わった。


「私、佐野くんの恋を応援してるから。頑張ってね」


 真面目な表情でそんなことを言われて、ちょっとだけ照れくさいなと思いながらも頷いてみせる。


「はい、頑張ってみます」


 推川ちゃんはその言葉に満足すると、頷いてから俺の手を離した。

 なんだか自然な流れで大口を叩いてしまったが、まだどうやって告白をしようかなど考えていないのも事実。

 すっかり頭の中は告白のことでいっぱいになってしまったので、テレビで流れる漫才に集中出来なくなってしまった。

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