はじめてのワンちゃん
柊と桜瀬が作ってきてくれたお弁当は、一時間も掛からずに食べ尽くされた。空になった重箱を片付け、これから何をしようかと話をしていた時だ。
「ワンワン!」
突然犬の鳴き声が聞こえてきたかと思うと、隣に座っていた逢坂が「ひゃっ!」と肩をビクリとさせた。
鳴き声のした方を振り向いてみると、首輪をしている大きなゴールデンレトリバーが俺たちの居るレジャーシートに乗り込んでいた。ゴールデンレトリバーは「ハッハッハッ」と呼吸をしながら、口を開けて舌を出している。かなり癒し系の顔をしたゴールデンレトリバーだ。
「ビックリしたー、どこのワンちゃんだろう」
桜瀬はそう言いながら、なんの躊躇もなくゴールデンレトリバーへと近付いていく。それを見た逢坂も、ゴールデンレトリバーへと近寄った。
「迷子になっちゃったんですかね?」
「そうじゃない? 首輪もはめてるから飼い主は居るはずだよ」
「あららー、今頃飼い主さん焦ってるだろうね」
桜瀬と逢坂はゴールデンレトリバーを撫で回しながら、そんな会話をしている。
「どうしたの、迷子になっちゃったの?」
鼻に掛かるような高い声でゴールデンレトリバーに話し掛けているところを見るに、逢坂はかなり動物に慣れているのだろう。
「ワン!」
「そうなのー、じゃあ飼い主さん探さないとねー」
「ワン!」
傍から見ると意思疎通が出来ていそうな逢坂は、推川ちゃんの方を振り返った。
「推川ちゃん、この子どうすればいい?」
「うーん、ここで待ってた方がいいんじゃない? 無駄に動くと行き違いになっちゃうかもしれないし」
「それもそうか。それじゃあわたし達が保護することにしよーう」
飼い主さんが探しに来るまで、ここで保護することになったようだ。
「あ、でも私には近付けないでね。大きい犬苦手だから」
苦笑いを浮かべて、推川ちゃんは顔の前で手を振った。それを聞いた桜瀬と逢坂はお互いに顔を合わせると、ニヤリと嫌な笑みを浮かべた。何を考えているのかは、何となく分かる。
「この子、推川ちゃんと仲良くしたいって言ってるよ」
「紬先輩の言う通りですよー。みんなと仲良くしたいって言ってますよー」
桜瀬と逢坂はニヤニヤとしながら、ゴールデンレトリバーを連れて推川ちゃんへと近寄っていく。
「ま、待って待って! ほんとに無理なんだって! ぎゃあああ──っ!」
最後は悲鳴を上げながら、推川ちゃんは靴下のまま芝生へと逃げていく。
「そ、そんなにワンちゃんダメなの?」
「言ったじゃん! ダメなんだって!」
「まあ推川ちゃんの絶叫が聞けたから許してあげましょうよ、紬先輩」
「そうだね、これ以上は可哀想かも」
未だにレジャーシートに戻ってこようとしない推川ちゃんを見て苦笑いを浮かべた二人は、今度は俺と柊へと視線を向けた。
「湊と瑠愛はワンちゃんどう?」
隣合って座っている俺と柊に尋ねると、桜瀬はちょこんと首を傾げた。
「俺は全然大丈夫だぞ」
「私は触ったことない」
皆の視線が柊へと集まる。ようやくレジャーシートに戻ってきた推川ちゃんも、珍しいものを見るような目を柊へと向けている。
「え、瑠愛先輩ワンちゃん触ったことないんですか?」
「うん、ない」
「ちっちゃい子も?」
「うん、犬を触ったことがない」
当たり前のような顔をしている柊を見て、全員が目を大きくさせて驚いている。全員と言っても、ゴールデンレトリバーだけは舌を出しながら穏やかそうな顔をしているのだが。
「瑠愛、この子触ってみる?」
「うん、触ってみたい。でもまずは湊の見本を見たい」
隣に座っている柊はそう言うと、俺の顔を覗き込んだ。
「いやまあ、別にいいけど」
俺がそう言うと、ゴールデンレトリバーが目の前に歩いてきた。近くで見ると本当に可愛い顔をしていて、舌を出しながら「ハッハッハッ」という声が聞こえてくる。
そんなゴールデンレトリバーの垂れた耳の上から頭を撫でる。その何とも言えぬ毛並みの気持ち良さに、今度は体をワシャワシャと撫でてみる。
「これだけ知らない人に撫でられても嫌がらないんだな」
「すごいよねこの子。飼い主の育て方が良かったんだよ」
「ですよね。超人懐っこくてビックリしました」
ゴールデンレトリバーを挟んで座った桜瀬と逢坂が楽しそうに言うと、柊に腕を掴まれた。
「どうした柊」
「ちょっとだけ勇気がいる」
「犬を触ることにか?」
「うん、大きいから」
「そ、そうか」
勇気を出すために俺の腕を掴んでくるなんて、可愛いすぎやしないだろうか。
柊は自分に言い聞かせるように頷くと、ゴールデンレトリバーの頭に恐る恐る腕を伸ばした。無事にゴールデンレトリバーの頭の上に手を乗せると、柊はそのままゆっくりと撫でた。
「可愛い……気持ちいい?」
「ワン!」
「そうなんだ。じゃあもっと撫でてあげる」
「ワン!」
犬と会話を始めた柊を見て、四人は自然と笑顔になった。するとゴールデンレトリバーはトコトコと柊に歩み寄り、彼女の顔を舐め始めた。
「んっ……」
柊は俺の腕から手を離すと、両手でゴールデンレトリバーを撫で始めた。真っ白な肌を舐められている柊は、全く嫌そうな素振りを見せず、それどころかどこか嬉しそうでもあった。
「すいませーん! そこの犬、私のでーす!」
すると遠くの方からそんな声が掛かり、五人が一斉にそちらを向く。そこには若い女性の人が手を振りながら、こちらへと小走りで向かって来ているところだった。
「お、どうやら飼い主が来たらしいな」
その若い女性が近付いて来ると、ゴールデンレトリバーは彼女の元へと走って行った。
「ほんとすいませんでした! ウチのモモがお世話になりました!」
ゴールデンレトリバーの名前はモモだったようだ。俺たちが「いえいえ」と笑顔で会釈をすると、飼い主は頭を深く下げてから帰って行ってしまった。その隣を歩くゴールデンレトリバーのモモは、とても楽しそうである。
「瑠愛先輩、始めてのワンちゃんはどうでしたか?」
逢坂が食い気味に尋ねると、柊はコテリと首を倒した。
「可愛かったけど、顔洗いたい」
「めっちゃ舐められてましたもんね! さっき蛇口あったの見たんでそこまで案内しますよ!」
「ん、ありがと」
逢坂が伸ばした手を柊が取る。柊と手を握れたことが嬉しかったのか、逢坂は言葉にならない声を発しながら目を輝かせた。
「行きましょう行きましょう! あと変な人にナンパされたくないんで湊先輩も」
「おう、了解した」
柊と逢坂は派手髪やら顔立ちやらで高校生に見えないので、もしかしたらチャラ男から声が掛かってしまうかもしれない。ということは、俺のような見た目が怖めな男が必要だろう。
結局、誰からも話し掛けられることはなく、柊は無事に顔を洗い終えることが出来た。その際、顔がびしょ濡れの柊を見た逢坂は、ポケットからハンカチを取って貸してあげていた。そのスマートさを目の当たりにして、俺もいつか真似しようと心に決めたのだった。
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